軽井沢からの通信ときどき3D

移住して10年目に入りました、ここでの生活と自然を写真と動画で発信しています

エントロピー・1/2

2022-01-07 00:00:00 | 日記
 大学の教養時代に学ぶ物理の授業に「統計力学」があった。講義をしていただいたのは中村 伝教授であったが、岩波全書に授業と同名の本「統計力学」があり、著者は中村 伝教授その人であったことから、より一層熱心に授業を受けた記憶がある。


「統計力学」(仲村 伝著、1967年岩波書店発行)のカバーケース

 統計力学(statistical mechanics)は、「統計物理学」あるいは「統計熱力学」とも呼ばれるが、歴史的には系の熱力学的な性質を気体分子運動論の立場から演繹することを目的として始められたものとされ、熱機関の発達の過程ので発展した学問ということになる。
 
 熱力学の基本法則には三つの法則がある。それぞれ次のように記述される。

熱力学の第一法則・・・閉じ込められた系に外部から与えられた熱量は、系の内部エネルギーと
           仕事との変化量の和に等しい。

熱力学の第二法則・・・閉じ込められた系で起きる変化では、エントロピーは常に増大する。

熱力学の第三法則・・・絶対零度での系のエントロピーは常にゼロである。

 このように、統計力学を学ぶ中で初めて「エントロピー」という概念に出会った。第一法則は拡張されたエネルギーの保存法則であり、判りやすい概念であるが、第二法則はやや難解である。そもそもエントロピーとは何かということから始まる。

 しかし、「あつい物体からつめたい物体に熱が移り、両者が一定の温度に達することがあっても、逆に、つめたい物体からあつい物体へ熱がひとりでに移ったためしはない。」という例を用いることで、エントロピーが増加するということは、より無秩序な状態になることだとの説明を受けると、なるほど、時間が関係した統計的な現象を示す概念かと理解したのであった。

 それと同時に、自然界で起きる出来事が、時間の経過とともに、より無秩序な方向に向かうことが定められているとすれば、生命現象はそれに逆らうように見えるが、これはどのように説明できるのだろうかという疑問が生じる。

 同級生の間で起きたこうした疑問に対し、当時の助手の先生からの説明は、「生命の存在している空間は開放系なので、外部との間でのエネルギーの出入りを考えれば不思議ではない。」といったことであったと思う。

 即ち、生命現象は物理学・化学で説明可能なものであり、生命特有の原理というものを考える必要はないということである。ただしかし、そうだとしても、生命はいかにして熱力学の第二法則に抗するかのようにして秩序を生み出しうるのかということには答えてはいない。

 その後、量子力学を創造し原子物理学の基礎をつくったシュレーディンガー博士が、その著書「生命とは何か/WHAT IS LIFE?」(原著1944年発行、日本語訳1951年発行 岩波新書)の中で、この生命とエントロピーについて述べていることを知ったが、生物学関連の話は物理系の頭には難解であり、容易に理解が進むことはなかった。

 若い物理系学生が抱いたこの生命とエントロピーに関わる疑問についての理解は、こうしてそれ以上深まることなく、忘れ去られてしまったのであるが、その後半世紀を経て、再びこのエントロピーと生命の話題に再会することになった。

 「生命とは何か、生命はいつどこでどのようにして誕生したのか」という、繰り返される問いかけに出会った時である(2021.10.22~ 公開本ブログ「軽井沢の夜話-1/3・2/3・3/3」参照)。

 松井孝典名誉教授が行った「軽井沢の夜話・宇宙から俯瞰する人類1万年の文明、ウィルスはどこから来たのか」の講演では、エントロピーのことに直接言及する時間的な余裕はなかったようであるが、その後、同様の話題で松井さんが行った「NHKカルチャーラジオ」の放送「地球外生命を探る」があることを知り、「聴き逃しサービス」を利用して聞いてみたが、その中の第3回「生命の定義」でエントロピーについて触れているところがあり、昔のことを思い出したのであった。

 学生時代に漠然と疑問に感じたことが、その後の分子生物学の進歩の中でどのように扱われてきたのか、改めて確認してみたいという気持ちもあって、シュレーディンガー博士の先の著書や、その後に出版された同様のテーマを扱っている何冊かの本を改めて読んでみたいと思ったのであった。

 まず、シュレーディンガー博士の著書「生命とは何か/WHAT IS LIFE?」(原著1944年発行、日本語訳1951年発行 岩波新書)でシュレーディンガー博士はこの点についてどのように説明していたか。


「生命とは何か/WHAT IS LIFE?」(シュレーディンガー著 原著1944年発行、岡 小天・鎮目恭夫訳 2016年の岩波文庫版)のカバー表紙

 この本の第1章で、シュレーディンガー博士は次のように述べている。

 「・・・私の企ての意図するところは、ただ一つの考えを伝えようとするにすぎません・・・・
 その大きな重要な、しかもはなはだしばしば論議されている疑問とは次のことです。
 生きている生物体の空間的境界の内部で起こる時間・空間的事象は、物理学と化学とによってどのように説明されるか?
 この小著により解き明かして、はっきりさせようと試みるその答えは、前もって次のように要約できます。
 今日の物理学と化学とが、このような事象を説明する力を明らかに持っていないからといって、これらの科学がそれを説明できないのではないか、と考えてはならないのです、と。」

 弱気ともとれる書き出しであるが、このあと、「統計物理学からみて、生物と無生物とは構造が根本的に異なっている」という項目の中で、「・・・生きている生物体の内部で、時間的・空間的に起こっていることを今日の物理学と化学とがどうしても説明できなかったのは、どういう点に関してであり、それはなぜであったかを、はっきりいうことができるようになったのです。」とした。
 そして、「周期性結晶はすこぶる興味深い、複雑な研究対象です。それは無生物界が物理学者の頭を悩ますもののなかでもっとも魅惑的で複雑な物質構造の一つです。にもかかわらず、それは非周期性結晶にくらべれば、かなり単純な退屈なものです。」・・・「私の考えでは、非周期性結晶こそ、生命をになっている物質なのです。・・・」と述べている。 

 この後、統計熱力学、遺伝、突然変異、量子力学、デルブリュックの模型の話のあと、いよいよエントロピーの話題に移る。

 この本の第6章(54節-60節)には「秩序、無秩序、エントロピー」というタイトルが付けられている。各節での内容を抜粋・引用すると、

 54節「この模型からでてくる注目すべき一般的な結論」。
 「・・・実を言えば私がこの書物を書く気を起こした唯一の動機は、この問題でありました。・・・(それは、)生きているものは、今日までに確立された『物理学の諸法則』を免れることはできないが、いままでに知られていない『物理学の別の法則』を含んでいるらしい、ということです。しかしその『別の法則』も、ひとたび明らかにされてしまえば、先のものと並んでこの科学の重要な一要素をなすものでありましょう」

 55節「秩序性を土台とした秩序性」。
 「これはなかなか微妙な考え方で、いくつかの点で誤りに陥る恐れがあります。・・・
 すでに、今日知られている物理学の諸法則は統計的な法則だということを説明しました。それらの法則は、ものごとは放っておけば自然に無秩序な状態へ変わってゆく傾向がある、ということと深い関係があります。・・・」

 続いて、56節「生命をもっているものは崩壊して平衡状態になることを免れている」。
 「生命というものだけにある特徴は何でしょうか? 一塊の物質はどういうときに生きているといわれるのでしょうか?・・・
 生きていない一つの物質系が外界から隔離されるかまたは一様な環境の中におかれるときには、普通はすべての運動がいろいろな種類の摩擦のために、はなはだ急速に止んで静止状態になり、電位差や化学ポテンシャルの差は均されて一様になり、化合物をつくる傾向のあるものは化合物になり、温度は熱伝導により一様になります。そのあげくには系全体が衰えきって、自力では動けない死んだ物質の塊になります。目に見える現象は何一つ起こらない或る永久に続く状態に到達するわけです。物理学者はこれを熱力学的平衡状態あるいは『エントロピー最大』の状態と呼んでいます。・・・」

 こうして、57節のシュレーディンガーの有名な「生物体は『負エントロピー』を食べて生きている」という説につながっていく。
 「生物体というものがはなはだ不思議にみえるのは、急速に崩壊してもはや自分の力では動けない『平衡』の状態になることを免れているからです。これははなはだ不思議な謎なので、人間がものを考えるようになったばかりの遠い昔から、或る特殊な非物理的な力---というよりむしろ超自然的な力が生物体の中で働いていると主張されてきましたし、或る一派の人々の間ではいまだにそれが主張されています。
 生きている生物体はどのようにして崩壊するのを免れているのでしょうか?
 わかりきった答えをするなら、物を食べたり、飲んだり、呼吸をしたり、・・・と答えられます。・・・
 それでは、われわれの食物の中に含まれていて、われわれの生命を維持する貴重な或るものとは一体何でしょうか?・・・
 生物が・・・生きているための唯一の方法は、周囲の環境から負エントロピーを絶えずとり入れることです。・・・生物体が生きるために食べるのは負エントロピーなのです。このことをもう少し逆説らしくなくいうならば、物質代謝の本質は、生物体が生きているときにはどうしてもつくり出さざるをえないエントロピーを全部うまい具合に外へ棄てるということにあります。」

 「負エントロピー」という概念が出てきたことで、却ってわからなくなるが、次の58節「エントロピーとは何か」をみると、

 「・・・最初に強調したいのは、エントロピーとは朦朧たる概念もしくは観念といったものではなく、・・・一つの測定することのできる物理学的な量だということです。絶対温度零度の点では、どんな物質のエントロピーも零です。・・・」とある。

 59節「エントロピーの統計的な意味」には次の式が紹介され、エントロピーが統計物理学的にきちんと定義可能なものであることが示される。

 「(エントロピーは、)次の式により表わされます。
    エントロピー=logD
 この式でkはいわゆるボルツマン定数であり、Dは問題にしている物体の原子的な無秩序さの程度を示す目安となる量です。このDという量を簡単に専門的な術語を使わずに正確に説明することはほとんど不可能です。・・・
 (砂糖と水の関係でいえば)、砂糖がそこにある水全体に徐々に拡がっていくと無秩序を表すDが増し、したがってエントロピーが増します。熱を供給すると熱運動の混乱が増し、したがってDが増し結局エントロピーが増すこともかなり明らかでしょう。・・・
 一つの系が外界から隔離されている場合および一様な環境の中にある場合には、その系のエントロピーは増してゆき、遅い速いの違いはあるにしてもエントロピー最大の活動のない状態へと近づいてゆきます。・・・」

 第6章最後の60節「生物体は環境から『秩序』をひき出すことにより維持されている」では、
 「生物体が崩壊して熱力学的平衡状態(死)へ向かうのを遅らせているこの驚くべき生物体の能力を統計的理論を使ってどのように言い表したらよいのでしょうか? 前には次のようにいいました。『生物体は負エントロピーを食べて生きている』、すなわちいわば負エントロピーの流れを吸い込んで、自分の身体が生きていることによってつくり出すエントロピーの増加を相殺し、生物体自身を定常的なかなり低いエントロピーの水準に保っている、と。・・・
 このようにして、生物が自分の身体を常に一定のかなり高い水準の秩序状態(かなり低いエントロピーの水準)に維持している仕掛けの本質は、実はその環境から秩序というものを絶えず吸い取ることにあります。・・・
 すなわち、多かれ少なかれ複雑な有機化合物の形をしているきわめて秩序の整った状態の物質が高等動物の食料として役立っているのです。・・・」

 こうした本文を読んだうえで、シュレーディンガー博士がこの本の冒頭で示した次の文章を読むと、博士の考えていたことが見えてくる。

 「この小著は、一理論物理学者が約400人の聴衆に対して行った一連の公開講演をもとにしたものです。・・・講演者の意図が、生物学と物理学との中間で宙に迷っている基礎的な観念を、物理学者と生物学者との双方に対して明らかにすることであったからです。・・・
 生物体の最も肝要な部分にある原子の配列や、その間の相互作用は、物理学者や化学者が従来実験的・理論的研究の対象としてきたあらゆる原子配列とは根本的に異なったものです。・・・ 
 後でもっと詳しく説明することですが、生きている細胞の最も本質的な部分-染色体繊維-は、『非周期性結晶』と呼ぶにふさわしいものだということを、前もって述べておきましょう。・・・
 私の考えでは、非周期結晶こそ、生命をになっている物質なのです。それ故、生命の問題に対して、有機化学はすでに大きな重要な貢献をなしているのに、物理学者がまだほとんど何ら寄与していないのは、さして不思議ではありません。・・・」

 この後、シュレーディンガー博士は改めて、エントロピーについて、第6章への註として、次の文を付け加えた。

 「負エントロピーに関する私の議論は物理学者の仲間から疑義や反駁をうけました。・・・私がまず第一に言いたいことは・・・エントロピーの代わりに自由エネルギーについて論ずべきであったということです。・・・ところが実はこの自由エネルギーという概念はなかなか込み入ったものであって、・・・エントロピーや『エントロピーに負の符号をつけたもの』の場合ほど容易ではありません。・・・」

 このように、シュレーディンガー博士自身、生命現象がエントロピー増大の法則に抗して秩序を作り出す機構について、非周期性結晶が鍵を握っていることを指摘したものの、その具体的な内容までは示すことはなかった。
 この本が出版されてからおよそ10年後の1953年にワトソンとクリックによりDNAの構造が解明された。

 次に読み返した本は、シュレディンガーの本から26年後、1970年にフランスで発行された「偶然と必然」(ジャック・モノー著、渡辺 格・村上光彦訳:1972年みすず書房発行)である。


「偶然と必然」(ジャック・モノー著 渡辺 格・村上光彦訳:1972年みすず書房発行)のカバー表紙

 第1章「ふしぎな存在」の中で、モノー博士は次のように述べて、エントロピー(熱力学の第二法則)に言及している。

 「生物はふしぎな物体である。・・・巨視的な系を支配する物理法則に照らしあわせるとき、生物が存在しているといういこと自体が、矛盾を構成し、現代科学の基礎をなす根本法則のいくつかを侵害しているように見えたのである。では、正確なところ、どの根本法則をか。それは一目でわかるというようなものではない。したがって、この《矛盾》の性質を精密に分析しなくてはならない。そうすれば、生物の特徴をなす二つの本質的特性-複製の不変性と合目的性ーが、物理法則に照らしあわせたばあいにどのような地位に立つものかを明確にすることができよう。
 じっさい、不変性には最初から根本的に矛盾した性格があるように見える。なんとなれば、高度に秩序だった構造の維持・複製・増殖は、熱力学の第二法則と両立しないように見えるからである。それというのも、この法則によれば、いっさいの巨視的な系は、その系を特徴づけている秩序が失われるという下向きの方向にしか進行しないからである。・・・」

 この後、モノー博士はバクテリアの増殖を例にとり、系全体(バクテリア+培養液)のエントロピーは、第二法則によって定められている最小値よりも少し増加している事が確かめられるとして、「この過程が細胞の増殖へのみ向かって進められていて、熱力学の第二法則に服従するだけに甘んじてはいずに、《夢》を実現するために、熱力学の法則を利用さえしているのである。」
と述べている。

 次にモノー博士は、生物体が、エントロピー増大の法則に抗するかのように、秩序を生み出す働きを示すことが出来るのは、(酵素)タンパク質が示す触媒機能によることを説明しながら、第3章の最後で次のように述べる。

 「マクスウエルの魔物・・・この逆説に対する鍵は、レオン・ブリュアンの手で探り当てられた。彼は、シラードの初期の研究からインスピレーションを得たのである。彼は、この魔物が認識機能を行使するとき、必然的に一定量のエネルギー消費を伴うが、作用全体の帳尻を見れば、それは系全体のエントロピー減少で埋め合わせられていることを、証明したのである。じっさい、この魔物は《事情を知っていて》扉を閉ざすのであるから、彼はまえもって気体のひとつひとつの微粒子の速度を測定していたはずである。ところで、どんな測定、すなわちどんな情報獲得も、当然何かの相互作用の結果であり、結局、エネルギーを消費していることになる。
 この有名な定理は、情報は負のエントロピーと等価であるという近代的概念の一つの源になっている。・・・
 酵素は結局のところ、シラードおよびブリュアンによって訂正されたマクスウエルの魔物のように働くと言っても間違いではない。この魔物は、化学ポテンシャルを、酵素の執行するプログラムの選んだ経路へ流し込むのである。
 最後にわれわれは、この章で示した重要な考えをまとめておこう。タンパク質がその《魔物的》機能を果たすことができるのは、それらが他の分子と非共有結合によって立体的特異性をもつ複合体を形成する能力を持っているおかげである。・・・」

 続いて、この本の中でジャック・モノー博士は、生物の「進化」について書いた部分で、エントロピーとの関係について次のように記している。進化という概念もまた生物を特徴づける特有のものである。
 「・・・生物圏における進化は時間的に方向性をもった必然的に不可逆な過程である。この方向は、エントロピーの増大法則、すなわち熱力学第二法則の命ずる方向と同一である。これは、たんなる類似をはるかに越えたものである。第二法則は統計学的考察に基づいているが、これは進化の不可逆性を示す考察と同一のものである。じっさい、進化の不可逆性を、生物圏における熱力学第二法則の一つの表現とみなすことはきわめて正当なことである。第二法則は統計的予言を述べているにすぎないので、いかなる巨視的体系に対しても、非常にわずかな距離をきわめて短時間だけ動くばあいには、エントロピーの坂を逆にのぼること、いわば時間を逆にさかのぼるようなことを禁止することにはならない。生物にあっては、まさにこのエントロピーの坂を逆にのぼるような運動が、複製機構によってつかまえられ、複製されたすえに、淘汰によってふるいわけられるのである。・・・」

 そうして、モノー博士は、この本の付録Ⅳで「熱力学の第二法則の意味について」を書き、これまでの記述を補足している。

 「熱力学の第二法則とか、エントロピーの意味とか、あるいは負のエントロピーと情報の《等価性》については、いろいろと書いてきたので、この問題をここで再び少しだけ書くのはどうかと思われるが、ある読者にとって、この繰り返しも、役に立つかもしれない。・・・
  エントロピーの増大がある系の無秩序の増大を示すのであれば、秩序の増大はエントロピーの減少に対応する。これは、しばしば好んで用いられる表現によれば、負のエントロピー(または《ネガエントロピー》)の増大である。一方、ある系の秩序の程度は、別の言葉、たとえば情報の言葉でも定義できる。これによると、ある系の秩序は、この系を表現するのに必要な情報量に等しい。ここからシラーとブリユアンによる、情報と《ネガエントロピー》のあいだの、ある等価性についての考えがでてくる。この考えはきわめて豊かな収穫をもっているが、軽率に一般化されたり、混同されたりする危険性もある。しかし情報理論の基本的な理論のひとつ、すなわちあるメッセージの伝達には必然的にそれの含む情報のなにがしかの散逸を伴うということと、熱力学の第二法則とは等価であると考えるのは正当なことである。」

続く。
 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 雲場池逍遥 | トップ | 雲場池逍遥 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事