軽井沢に限らず、恐らく日本全国で一番多く、普通に見られるスミレはこのタチツボスミレであろう。子供の頃住んでいた大阪市内にもあったはずだが、あまりはっきりとした記憶は無く、このスミレを意識して見始めたのは、就職して最初に赴任した横浜市でのことであった。
昼休みに職場の友人と、郊外の高台にあった勤務先の周辺を散歩していたが、その時によく見かけ、次第に正式な名前を憶えていった。この散歩コースには、まだ雑木林も残っていて、スミレ類のほかにシュンランやエビネなども多く見られたし、珍しいところではキンランやギンランも見られた。
1965年頃に建てられたこの施設も、事業環境の変化があり、京浜工業地帯に移転することになって、先日オープンキャンパスということで内部の見学会と、移転後の案内があった。周辺環境も変化し、宅地化も進んだことから、今ではもう当時見られた山野草などを見ることはできないと思う。
その後、転勤で住んだ西は広島県から北は新潟県まで、タチツボスミレはどこでも普通に見られた。北海道や沖縄ではどうかと聞かれると、旅先での記録もないので判らないが、参考書を見ると次のようである。
「原色日本のスミレ」(浜 栄助著 1975年誠文堂新光社発行)に記されている日本産スミレ属の12の分布系列でみると、タチツボスミレが属している「普遍型」は、「北は北海道から本州全域を含め、四国、九州、さらに南西諸島まで、日本各地に広く分布する適応性の大きい、最も普通に見られる仲間で、タチツボスミレ、ニオイタチツボスミレ、アオイスミレ、ニョイスミレ、スミレ、アリアケスミレを挙げることができる。」としている。分布を示す地図を見ても、この「普遍型」だけは2,000m以上の高山地を除いて、全国がまっ黒に塗りつぶされている。
この分布系列の普遍型にはタチツボスミレと共にスミレの名が挙げられている。この「スミレ」もまた日本全国で我々になじみの深い種で、名前の通り日本のスミレの代表である。
単にスミレと言った時にこの種のことを指すのか、スミレ全体のことを指すのかが分かりにくいことがあるので、学名である「マンジュリカ」と呼び区別することも多いのがこの「スミレ」である。
タチツボスミレは「原色日本のスミレ」に次のように紹介されている。
「【花期】 3月上旬~5月下旬
【分布】 北海道礼文島以南、沖縄まで、至る所にみられ、分布上からも個体数からも、日本の代表種とも言うべきスミレで、日本以外では日本海および朝鮮海峡のウルルン島やチェチェ島などに知られている。海岸線から標高2,000m(中部)位の高所まで、陽地、陰地、乾燥地、湿地を問わず広く適応し、非常に個体数が多いので、形態や葉および花などの色彩に変異が多い。
北海道ではオオタチツボスミレと形態が混然としているため、両者の分布が明確にされていない。また、中部以北や北海道には有毛のものが多く、西日本の海岸には光沢のある海岸型がある。沖縄では分布が非常に少なくなり、生育が市街地周辺であるところから多分に本土からの帰化的な感じを受ける。」
さて、雲場池に朝の散歩に出かけるようになり、途中民家の庭先や浅間石の擁壁の間にこのタチツボスミレを見かけるようになったのは昨年の4月下旬頃からだったと思う。
雲場池の縁に埋め込まれた木の柵の隙間から顔を出して花をつけている株を見つけたのをきっかけに、周囲をめぐる散策路の足元にも咲きだしてきた花付きの多い大き目の株を選んで撮影した。
以前に南軽井沢の別荘地で撮影してあったものもまじえて以下紹介する。
雲場池の杭の間から顔を出して咲くタチツボスミレ (2020.4.26 撮影)
雲場池周辺に咲くタチツボスミレ (2020.5.2 撮影)
雲場池周辺に咲くタチツボスミレ (2020.5.3 撮影)
雲場池周辺に咲くタチツボスミレ (2020.5.12 撮影)
雲場池周辺に咲くタチツボスミレ (2020.5.12 撮影)
このタチツボスミレの軽井沢周辺での花期は4月中旬から5月下旬頃で、南軽井沢の別荘地でもよく見かけたので、これまでにも随時撮影していた。次のようである。
南軽井沢の別荘地に咲くタチツボスミレ(2017.4.20 撮影)
南軽井沢の別荘地に咲くタチツボスミレ(2017.5.4 撮影)
南軽井沢の別荘地に咲くタチツボスミレ(2017.5.22 撮影)
時々出かけている群馬側に下りていくと、3月下旬にはもうタンポポと一緒に咲いているのを見かける。
次は、上信越道の甘楽SAの周囲の草地で見かけたものや、吉井町の友人の畑周辺でこれまでに撮影したものである。
上信越道、甘楽SAの芝生に咲くタチツボスミレ(2019.3.22 撮影)
上信越道、甘楽SAの芝生に咲くタチツボスミレの小群落(2017.4.15 撮影)
上信越道、甘楽SAの芝生に咲くタチツボスミレ(2017.4.15 撮影)
群馬県吉井町で見かけたタチツボスミレの立派な株(2017.4.15 撮影)
「山路来て なにやらゆかし すみれ草」 は有名な松尾芭蕉の句であるが、ここで「すみれ」はどの種を指すかという話題がある。
今となってはもう判りようもないと思うのであるが、先に挙げた分布域の広さから考えると今回取り上げているタチツボスミレかスミレ(マンジュリカ)のいずれかとされることが多いようである。
実地検分まで行って、その結果タチツボスミレであろうとする説がある。この句が詠まれた場所は、京都から大津に至る山路とされている。研究者はこの付近を調査して、周辺のスミレの生育状況から結論を出したようだ。
一方、面白いことにこの俳句の句碑は福島県の旧十三仏峠にあるという。平成元年(1989年)11月3日、白沢村観光協会がこれを建立した。この白沢村は平成19年(2007年)1月1日、本宮町と合併したので今は本宮市となっている。碑誌には次のように記されている。
【碑誌】
「松尾芭蕉は元禄2年(1689年)3月27日江戸を出立「奥の細道」行脚の旅に出て、4月20日みちのくに入り、5月1日この地を通過した。
碑刻の句は芭蕉の初めての文学の旅『野ざらし紀行』にあるもので、今年「奥の細道」紀行300年を記念し、あわせて旅を人生と芸術の道とした旅の詩人芭蕉を永く顕彰してここに句碑を建立する。」
碑刻の句は芭蕉の初めての文学の旅『野ざらし紀行』にあるもので、今年「奥の細道」紀行300年を記念し、あわせて旅を人生と芸術の道とした旅の詩人芭蕉を永く顕彰してここに句碑を建立する。」
松尾芭蕉が辿ったとされる「おくのほそ道」と「野ざらし紀行」のルートと、スミレの句が詠まれた場所、句碑の設置されている場所を示す。
芭蕉が実際にスミレを見て詠んだ場所が判っているのに、遠く離れた地にこの句碑が建てられら理由は定かではないが、それだけこの句が有名だったということであろうか。それとも、この十三仏峠にはたくさんのスミレが咲いているからだろうか。
タチツボスミレと葉の形はよく似ているのだが、花の形が驚くほど違っているナガハシスミレという種を上越市に赴任している時に見ている。タチツボスミレに混じって同じ場所に生育していた。後日再訪して撮影しているので紹介する。5つの花弁のうち下の花弁(唇弁)の後ろに突き出している部分「距」が非常に長い特長がある。花の大きさはタチツボスミレよりやや小さく、赤味が強いものが多い。
北海道南部から鳥取県まで、主に日本海側に生育するとされる。また北米大陸の北東部と日本に離れて分布しているという変わり種でもある。
タチツボスミレ(手前)とナガハシスミレ(2017.4.20 撮影)
ナガハシスミレ(2017.4.20 撮影)
ナガハシスミレ(2017.4.20 撮影)
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