真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

鉄腕アトムパイロットから

2006年06月07日 21時56分23秒 | Weblog
鉄腕アトムのパイロットフィルムを作った。しかし作曲がまだできない。そこで、手塚先生は、リカルド・サントスのホリデーインニューヨークをBGMに使用した 、その曲は、出来上がった、鉄腕アトム、パイロットのBGMにぴったりであった。見たものは、それがレコードからとった物だとは思わなかった。
よく、手塚治虫先生はクラシック音楽しか、聞かないと思われがちであるが、レパートリーは広く多方面の音楽を聴いていた。これもそんなエピソードのひとつ。

手塚先生は作曲の高井達雄先生に曲のイメージを伝えた。高井達雄先生は帰りの電車の中、曲を明日までにと言われどんな曲にしようかと、考えていた。電車の音が、ガターンゴトーンとシンコペーションを奏でていた。ふと、頭の中にメロディーが浮かんだ、タンタンたタータたーン 、膝のうえの五線紙に書き写した、てつわんあとーむのメロディーも浮かんだ。翌日他にも3曲作曲したが、手塚先生も気に入ったのは、この曲であった。子どもにはシンコペーションが難しく、覚えにくいと、反対もあったが、手塚先生は、これ以外にはないといって、主題歌は決まった。
広告代理店は萬年社 提供社は明治製菓 フジテレビのプロデューサー別所孝治氏は後の虫プロを支えるフジテレビのプロデューサーとなった。
アトムの声は清水マリさん。昭和11年生まれ俳優の「清水 元」氏の長女 俳優座第7期生。旦那さんは演出家だったと聞いていた。 鉄腕アトムの2年目長女が生まれた時に2ヶ月 田上和枝さんが代役したが。「アトムの声が違う」と苦情が殺到してしまった。
スケジュールの遅れからアフレコは徹夜となった 、そのことから「徹夜アトム」と陰口を言われてしまった。アトムは子供たちの心を捉え、大ヒットとなった。低い制作費のため赤字であったが思わぬ褒賞が入ってきた。 それが、キャラクターの使用料であった。 手塚先生はそれを自分の利益とはせず、社員に昇給や、臨時賞与と言う形で分け与えた、手元には何も残らなかったが、それでもうれしかったのだ。
コメント
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