5時50分、目を覚ます。
血圧体温記録
7時14分、「マッサン」
7時30分、「半分、青い」
7時45分、見終わり、体重を量り、着替えなど。
8時、朝食準備。
朝食
今日は、六仙公園で、愛犬しつけ教室がある。
そこで今まで撮りためた、
8時35分、六仙公園関係の写真をまとめる作業の続きをする。
9時20分、長男のバイクが出て行ったような気がする。
外を見るとやはり長男のバイクがない。
母屋へ行き妻に長男は、会社かと聞く。
床屋へ行ったとの返事。
六仙公園へ、様子を見に行こうとする、
後ろから、バイクが来る。
長男で、車のバッテリーの様子を見に行っていたという。
やはり、バッテリーが、上がっていたと、積んできていた。
一緒に家に戻る。
バッテリーの充電を見守る。
9時25分、再度六仙公園に行く。
市の環課の人も3,4人来ていてご挨拶をする。
主催者の担当者たちにもあいさつする。
10時11分、朝爺に電話をする。
10時30分、開会あいさつ。
市のプラス防災、設枚。
講師の説明が
12時、参加者全員での記念写真
終了して、家に戻る。
12時10分、昼食準備。
12時17分、メルモの件で、お電話を頂く。
メールを頂いているとの事、
昼食を、食べながらパソコン。
メールを開くと、
「解説のページ、修正箇所があれば、月曜日の午前中までに
その旨をお知らせ下さい」との事。
添付ファイルを、プリントアウト。
文章のプリント、めったにしないので、何もできず、
A4用紙に見開きページ、文字が小さすぎる。
先日買った、何とかルーペと、虫眼鏡で、読んでいる。
スタッフリストから気になるね。
手塚治虫先生を、原案・構成としているが、
本来は「アポロの歌」が、「ママアちゃん」になった経緯など、考え、
各話の」キャラクターなど、作画もしているし、エピソードの絵も描いている。
どう考えても総監督だと思う。
プロヂューサーは、
南へ行ったミースケでは、一緒にプロヂューサーだったが、
一人名前にしてほしいというので、外交を任せ、映画部にすでにいた、鈴木紀男さんに任せた。
私が、現場すべての、制作担当責任者の意味で制作担当とした。
チーフ・ディレクターは、13話まで、スタジオ・ジョークの代表、永樹凡人さん。
原画、動画、合わせて5,6人のスタジオなので、指導者画、抜けることで、スタジオの運営も悪化。
2クール目、14話からは、スタジオTAKE代表の正延宏三産に、お願いした。
こちらも同じようなスタジオ、それに新人の、動画家を、育てたりしているのでかなり、犠牲にしてもらった。
作画監督は1話は手塚 治虫すべて目を通した。
その後は交代で。正延宏三さん(スタジオTAKE代表)山本繁さん(個人)に、
手塚プロの机で、仕事をして頂いている。
アニメの世界では、制作進行を軽んじているが、メルモにとっては、非常に、重要な役割を担ってもらった。
制作進行 片山秀男(社員)
制作進行 井出康道(社員)
制作進行 吉岡優一(社員)
制作進行 芝野達弥(社員)
彼ら4人は、ほかの人たちとは違って、手塚プロ社内で働く、社員であった。
多数ある、外注さんの把握や、スケジュールの管理、費用の管理など、寝る時間がなかった。
手塚先生が、特別な、絵コンテにしたため、きれいな絵を描き直さなければ、ならなかったが、
手塚先生の絵を上手に描けた、アシスタントの池原成俊さんに頼み込み、のちには演出もお願いしている。
作画は手塚 治虫
現在のデーターでは中村和子となっているが、
手塚先生から、虫プロ関係、実験アニメ用スタッフは、メルモでは使わないようにと言われていた。
その約束を破ったのは、手塚先生でオープニングで、中村和子に、数カット、お願いしたという。
この子音が、後でわかったのは、中村和子産の友人の小林準治さんから聞いたので、後に、
「手塚治虫劇場」の出版で、スタッフを調べるため、故、森室長が、ネガの、エンディングタイトル
を見て、書き写したと聞いた。
だから、見辛かったので、「南へ行ったミースケ」のプロデューサーを、見落としていたのだが、
どこにも、中村和子さんの名前は、なかったはず。
森さんと、小林準治さんはよく話をしている親友であった。
中村和子さんが、オープニングを手伝った話を森室長に、したので、作画、中村和子さんになったのだと思う。
その証拠は、中村和子さんは(中村橋スタジオ)となっているが、当時は、
その呼び方は、かつての虫プロ、漫画部画、あった、スタジオの呼び方である。
当時,私たちは、中村橋スタジオとは呼んでいなかった。
作画は スタジオTAKE
スタジオJOKE
タマプロダクション
スタジオビック
アートフレッシュ
山本繁 (個人)
岡田敏靖 (個人)
など個人多数に、お願いしている。
よく現在はグロスだしなどと言っているが、4、5人のスタジオでは、半分も出す、スケジュールがない。
数カットずつ、作画家の、技量を見抜いて、担当した進行が、バラ出しする、労働が、負担となった。
各話、登場するキャラクターの、色決めや仕上げ検査は、手塚プロですでに、仕事をしていた、
池田(片山)径子さんに、手塚プロの中で、お願いした。しいて言うならば特別な、嘱託。
一人で、できるようなスケジュールでは無かったが、持ち前の根性で、担当していただいた。
また、進行さんたちのやさしい、お姉さんにもなって、いただけた。
トレス・彩色などもすべて外注、
例えば、トレスの鈴木房子さんは、鶴瀬に住んでいて、家まで、進行がお願いしに行く。
彩色の佐野信子産は、虫プロの仕上げ外注をしている若尾プロの、お姉さん、
虫プロの外注さんは使えないので、八坂小学校先美住町の家まで、個人的にお願いした。
その後グループで、来瑠美という彩色外注ができた。
名前は忘れたが、狭山湖を抜け、三ヶ島から国道16号近くの、
農家の家で、彩色のグループを作ってもらい、出したりもした。
美術の明石貞一さん、背景会社の代表、手塚プロに机を置き、仕事してもらった。
手塚プロだけではないので、負担が、非常に大変だったと思う。
編集はスタジオゼロの西出栄子編集室
撮影は菅谷正昭自宅を改造した、撮影機で、一人で撮影、貿易商で珊瑚礁という名前、のちのスタジオ珊瑚礁、
音響監督はグループ・タックの明田川進さん、スケジュールの、遅れから、大変な迷惑をかけた、(最近やっと、お詫びができた)
忘れてならないのが、各話に入る、性教育エピソード
文・絵: 手塚 治虫画、おひとりで書かれた。
その絵を撮影してもらうが、波ガラスなど、いろいろな、アイディアでの特殊効果を菅谷正昭さん一人にお願いした。 演出補佐は眞佐美ジュンで、担当した。
演出家 本田元男は平田敏夫さん
西谷克和産は、誰だったか不明
脚本家 せき・らんは石津 嵐さん
など、
13時55分、六仙公園に行く。
午後からの部
作業以内が入ったのでと、環境課の方に断り、
14時20分、家に戻る。
上記のような、パソコン作業をした。
15時40分、買い物?
母屋へ行く。
次男次第だって、
次男が行くというので車で行こう。
次男が来て「兄貴も行くと言っているので待って。
16時、家族でイオンへ行く。
駐車棟の方へ止め、通路で、
2階、薬局で、妻、長男に高い目薬を買ってもらう。
おかしいなら眼医者へ行こうと言っておく。
下に行き食品売り場で買い物。
長男が来ると、長男の支払いとなるので、かごが2つ、いっぱいになる。
17時20分、家に戻った。
私のものも少し買ったのでそれらを受け取り部屋に戻る。
17時30分、パソコン。
六仙公園写真整理の続き。
17時45分、メールのチェックや、取り込みなど。
18時06分、ブログを書き始める。
18時30分、お風呂、まだかな、妻に声をかける。
「もう少しだという」
パソコンで、作業をする。
19時、限度、母屋へ行く。
「シャワーで良いからと言い、お風呂に入る。
とたん「お風呂が沸きました」
イライラすると、罰が当たり、普段、毛躓かない所で、足を取られ、思いっきりひっくり返った。
先日の中指、バンドエイドを張ってあったが、その勢いで、飛んで行った。
弾みというのは、恐ろしい、痛いが、笑っちゃうよね。
驚いて、長男が、降りてきた。
どこかの角にでも、頭をぶつけていたら。
歳なんだから、落ち着かないとね。
19時20分、痛い、痛い、いいながら風呂から出て部屋に戻る。
夕食準備。
チャーハンを温める。
19時25分、夕食
19時50分、六仙公園、パトロール。
なんとなくだが、お風呂の時間が、狂ったので、おかしい?
少し、事を、急している。
20時30分、いつものポケットに、歩行計が、入っていない。
歩数のために、歩くのではなく、健康のために歩くのだ、と言い聞かせたが、
情けない。
20時50分、部屋に戻る。
ブログの続き。
もう少しまとめて書かないとかなり時間がかかっているね。
0時20分、ブログを投稿する。
:5,124位 / 2,830,037ブログ ,昨日5543歩、起床5時50分.血圧:128.68、脈拍:60、体温:35.4、体重:67.8、天気:晴