真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

鉄腕アトムがアメリカで

2006年06月08日 22時02分33秒 | Weblog
昭和38年5月 穴見常務の尽力で「鉄腕アトム」はアメリカNBCと契約できる運びとなった。52本で2億円の売り上げとなる。1ドルが円周率の円と引っ掛けて360円もしていた時代である。(1949年4月23日、GHQは日本円とアメリカドルの交換レートを1ドル=360円と定めた。1971年に「スミソニアンレート」が採用された22年間維持された。)
その契約に、手塚先生が出かけられるのである。海外旅行自体大変なことで、洋行帰りということで、ハクがつく時代であったのだ。 バスを借りて社員一同で見送りに行った。
帰国した手塚先生は、朝礼の時に全員の前でおっしゃった。 「アトム」は隠語でおならの意味になるだから「アストロ・ボーイ」と言う題名になりましたと。

(今流行っている、韓国のテレビ番組 大長今(チャングム)のエンディングが「オナラ」である。時代は変わるのだと痛感する。)(苦笑)
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