真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

千夜一夜物語 マスコミの取り上げその2

2006年11月30日 16時42分48秒 | 虫プロ千夜一夜物語
女性セブン 6月23日
「隔週リレー対談 北杜夫のマンボウ・パジャマ対談10 ゲスト手塚治虫さん」
北杜夫  手塚さんの女性観はどうなんですか。
手塚 「ぼくは、女性は不可解なほうがいいと思っている。ぼくの『フースケ』って漫画、ごらんになった?」
北杜夫  ええ、拝見しました。
手塚 「あれに、ほら、女の子が月夜の晩にオオカミになる話があるでしょう?ぼくの女性観ってのは、結局、あれですよ。」
北杜夫  なるほど
手塚 「ふだんはかわいいが、結局、異性物であるとね。女性は生まれつき天使と悪魔をもっているとおもうのよ。

週刊漫画サンデー 7月9日
 「近藤日出造・杉浦幸雄の歩く座談会503回・日本最初のエロチズム漫画映画完成す!」
近藤日出造 「そしておそらく、虫プロ作品『千夜一夜物語』においては、見るものに嫌悪の情をもようようなさせる描き方はしていないんだろう」
杉浦幸雄  「じつにその、芸術的で、いいムードがあって、男女重なって波打つ形の美しいこと」

手塚治虫  「たいしてエロじゃないでしょう。じつは、ヘビはぼくが描いたんですが、描いていて、どうもおもしろくないな、と思って・・・・とまってるエロと動いているエロがあるんですね。
小島功さんのエロは、とまってるエロじゃないかと思うんです。ぼくのほうは動くエロで、動くエロってのは、一枚一枚を見ると、ちっともエロじゃない。あのヘビの場面もそうなんですよ。自分で描いた一枚一枚、ちっともエロじゃない。だからどうも、おもしろくない。

週刊現代 7月10日
 『千夜一夜物語』で大うけした手塚治虫の憂鬱」
 『千夜一夜』の美術監督のやなせ・たかし氏も、「はじめ、ぼくのところに話のあったとき、うんとエロチックにいこうという方針でした。が、手塚マンガを公開すれば、来るなといっても子供も来ます。そのときひどすぎるとこまるので、ずいぶん手加減したのですよ。

先生のコメント
 「いまやオトナが子供のマンガをふんだくって読むぐらいですから、こどもだってオトナのマンガを見てもいいわけだ。ところがオトナは自分たちの楽しんでいるエロを子供に知られるのが恥ずかしいあまり、文句をいう。身勝手ですよ」

 「例えば、子供がフロ場で裸のパパを見て『エッチね』というのは、パパのペニスをさしていうのではなく、それをブラブラさせている滑稽なニュアンスをふくめたもので、おとなの想像とはずいぶん距離があるんだ。だから、千夜一夜が完成したとき、私は自分の小学生と幼稚園の子供に映画をみせたのだが、ああいうセックスの場面を見てエロを感じるのは経験者だからで、経験のない、子供はケロリとしてみているんですよ。要するにおとなが色メガネでみてカラ騒ぎしてるだけです」
この中で渋谷パンテオン営業部主任の小林拓蔵氏は
 「事務所の電話は『手塚さんの映画だから子供がいきたいというのですが、どうでしょう』という問い合わせ電話が鳴りっぱなしで困るんです。そのたびに『やはり内容が内容ですからねえ』と、それとなく申しあげてはおりますが」

千夜一夜物語は、古川社長自身「ちょっと当たりすぎましたなぁ」と高笑いするくらいあたった。現在の配収予想は三億二千万円。

実際はこの年第三位の興行成績三億六百万円となり、劇場用アニメーションとして異例の大ヒットとなったのでありました。
 手塚先生は大人の漫画映画という新しい境地の開拓に成功したわけです。しかし、株式会社虫プロダクションとしては、喜べませんでした。
契約条件を思い出してください。収益の比率七対三でした。そのため、虫プロは六千五百四十万円しかいただけなかったのでした。制作費は当初の予算を大幅に上回って七千四百五十万円かかっていました。当然赤字となりました。
 虫プロの給料体系で残業代は七十時間で打ち切りと決まっていました。七十時間を越えると、残業代は付かなかったのです。多くのスタッフは徹夜で仕事をしました。一週間徹夜を続けると七十時間は、すぐに超えてしまいます。女性のスタッフでさえそうでした、
後の三週間分はただ働きです。ただし、残りの残業分は代休として一日八時間で計算され残りました。一月で30日分の代休が付いたわけです。新入社員でも初めに有給が12日間ありました、その後は毎年増えていきました。ですから何かあってもほとんど、有給で間に合っており、有給ですら使いきれない人がほとんどでした。
虫プロを辞めるとき、代休が清算されたという事実はありません。虫プロが倒産した時は、それど頃か、給料でさえでしたので、結果的には、ただ働きになったわけで、この分を制作費に入れていたら、制作費はもっと膨らんでいるのです、実際に言われている制作費は現実とはかけ離れていることを、もっと大勢の人に知って欲しいです。
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千夜一夜物語 マスコミの取り上げその1

2006年11月29日 16時38分21秒 | 虫プロ千夜一夜物語
「千夜一夜物語」はマスコミにも取り上げられました。

キネマ旬報  6月15日
「ルポルタージュ『千夜一夜物語』の映画的冒険 岡本博 黒井和夫
 手塚氏の話は壮大であった。彼は言った。「これからのアニメはマンガではなくなる。ミュージカルのような、綜合的なものになる」彼の夢は際限なく広がるようであった。
日劇のような大劇場の舞台そのものをアニメーション化することについて、楽しそうに話すのである。しこでは、ダンサーたちと舞台いっぱいに描かれて動くアニメーションとが、混然と一体化されて一つの夢のような未来のアニメーションの姿は、必ずしもただの空想ではないところに、魅力が会った。
 本格的に製作がスタートしたのが昨年の十月。そしてプリント完成につづく上映スタートは六月十四日ときまっている。
かくして、現在の虫プロのスタジオと日本ヘラルド映画の周辺には、「千夜一夜物語」追いこみ作業のラッシュが始まっているのである。
 あの、東京オリンピックをギリギリで成立させ、今またEXPO’70をギリギリで目前にスタートさせようとしている、日本独特の、猛烈なラスト・スパートに賭ける、モノ作りシステムの一種ファナティックな熱気が、ここでもムンムンと、胎動をはじめているのである。

サンデー毎日 6月15日
「ある日のプライバシー!・いいアイディアはキリキリ舞いのなかから」
 朝も、昼も、夜もない人がここにいた。二十三時間ぐらいぶっ続けで働きまわると、さすがにくたびれるので二時間ぐらい眠り、目ざめると、それが午後であったり、朝であったり、そしてまた仕事にとりかかるという具合。「ま、いまは異常事態というわけですが、どちらかといえばキリキリ舞いしてるほうがいいアイディアがわくほうで・・・・・」
 異常事態というのは、〝動く浮世絵〟と銘打って製作中の大人のマンガ「千夜一夜物語」の追い込み。6月11日のプレミア・ショー、14日の一般公開を前に、虫プロは夜を日についでの決戦である。だのに、制作責任者には、そのほかの雑誌の連載マンガ十数誌がある。キリキリ舞いはそれに輪をかける事になる。

この文章を読んで、スタッフはうらやましく思った、23時間仕事をすれば2時間も眠れた人が居たんだ、目覚めるとそれが午後であったり、朝であったり、そんな長く寝ていたらスケジュールが間に合わなかったよ。
 多分記事を書いた人は取材はしたけれど、実態は掴んでいなかったんだと思う、これでも大袈裟ではないか、と思って書いたんだと思うが、現実はもっと地獄。

アサヒ芸能 6月26日
「不思議な博士・手塚治虫の千日千夜ーー世界初のアニメラマを製作した超モーレツ漫画家」 レポーター田中小実昌(作家)
 これだけではない。手塚さんには、虫プロ以外の、マンガ家個人としての仕事がある。週刊誌2本、月間8本、ほかに単発で今月は2本。これが、どれだけの仕事の量と質かは、ちょっと想像もつかないが、モーレツみたいな程度でないことはたしかだ。
手塚治虫の発言 (台湾に行った時のお話 18禁?で省略)

実際にはどのようなものを書いておられたのか調べてみました。
月日は発売された月日ですので、実際には前の月や前の週に書き上げております。
 2月  地球を呑む  ビッグコミック 小学館 連載
 2月   ブルンガ1世   冒険王 秋田書店 連載
 2月   ガムガムパンチ   小学一年生 小学館 連載
 2月   火の鳥 ヤマト編最終回  COM 虫プロ商事 連載
 2月   バンパイヤ  第2部   少年ブック 集英社 連載
 2月   フォアカード      話の特集 話の特集社
 2月   異法人   漫画讀本 文藝春秋
 2月02日 日  鬼丸大将   週刊少年キング 少年画報社
 2月05日 水  上を下へのジレッタ   漫画サンデー 実業之日本社
 2月09日 日  鬼丸大将   週刊少年キング 少年画報社
 2月12日 水  上を下へのジレッタ   漫画サンデー 実業之日本社
 2月16日 日  鬼丸大将   週刊少年キング 少年画報社
 2月19日 水  上を下へのジレッタ   漫画サンデー 実業之日本社
 2月23日 日  鬼丸大将   週刊少年キング 少年画報社
 2月26日 水  上を下へのジレッタ   漫画サンデー 実業之日本社
 2月27日   大学を幼稚園にするである!!少年ジャンプ 集英社
 2月28日   鉄腕アトム アトム今昔物  産経新聞 サンケイ新聞社終了
3月     地球を呑む   ビッグコミック 小学館 連載
 3月     ブルンガ1世     連載終了  冒険王 秋田書店 連載
 3月     ガムガムパンチ   小学一年生 小学館 連載
 3月     バンパイヤ  第2部  少年ブック 集英社 連載
 3月     フォアカード         話の特集 話の特集社 連載
 3月     鉄腕アトム   アトムの初恋  ビッグコミック 小学館 読切
 3月     火の鳥 宇宙編   7月まで  COM 虫プロ商事 連載
 3月02日 日  鬼丸大将  週刊少年キング 少年画報社 連載
 3月05日 水  上を下へのジレッタ  漫画サンデー 実業之日本社 連載
 3月09日 日  鬼丸大将  週刊少年キング 少年画報社 連載
 3月10日 月  空気の底 4 グランド・メサの決闘  プレイコミック 秋田書店
 3月12日 水  上を下へのジレッタ  漫画サンデー 実業之日本社 連載
 3月16日 日  鬼丸大将  週刊少年キング 少年画報社 連載
 3月19日 水  上を下へのジレッタ  漫画サンデー 実業之日本社 連載
 3月23日 日  鬼丸大将  週刊少年キング 少年画報社 連載
 3月26日 水  上を下へのジレッタ  漫画サンデー 実業之日本社 連載
 3月30日 日  鬼丸大将   週刊少年キング 少年画報社 連載
 3月30日 日  0次元の丘  週刊少年サンデー 小学館
 4月     地球を呑む   ビッグコミック 小学館 連載
 4月     ガムガムパンチ  小学二年生 小学館 連載
 4月     バンパイヤ  第2部    最終回  少年ブック 集英社 連載
 4月     フォアカード       話の特集 話の特集社 連載
 4月     火の鳥 宇宙編  COM 虫プロ商事 連載
 4月     ぽっかち    9月まで  小学一年生 小学館 連載
 4月02日 水  上を下へのジレッタ  漫画サンデー 実業之日本社 連載
 4月06日 日  鬼丸大将  週刊少年キング 少年画報社 連載
 4月09日 水  上を下へのジレッタ  漫画サンデー 実業之日本社 連載
 4月13日 日  鬼丸大将  週刊少年キング 少年画報社 連載
 4月16日 水  上を下へのジレッタ  漫画サンデー 実業之日本社 連載
 4月20日 日  鬼丸大将  週刊少年キング 少年画報社 連載
 4月23日 水  上を下へのジレッタ  漫画サンデー 実業之日本社 連載
 4月27日 日  鬼丸大将  週刊少年キング 少年画報社 連載
 4月30日 水  上を下へのジレッタ  漫画サンデー 実業之日本社 連載
 5月     地球を呑む  ビッグコミック 小学館 連載
 5月     ガムガムパンチ  小学二年生 小学館 連載
 5月     フォアカード      話の特集 話の特集社 連載
 5月     火の鳥 宇宙編  COM 虫プロ商事 連載
 5月     ぽっかち  小学一年生 小学館 連載
 5月     緑の果て  ファニー創刊号 虫プロ商事 読切
 5月04日 日  鬼丸大将  週刊少年キング 少年画報社 連載
 5月07日 水  上を下へのジレッタ  漫画サンデー 実業之日本社 連載
 5月11日 日  鬼丸大将  週刊少年キング 少年画報社 連載
 5月14日 水  上を下へのジレッタ  漫画サンデー 実業之日本社 連載
 5月18日 日  鬼丸大将  週刊少年キング 少年画報社 連載
 5月21日 水  上を下へのジレッタ  漫画サンデー 実業之日本社 連載
 5月25日 日  鬼丸大将  週刊少年キング 少年画報社 連載
 5月28日 水  上を下へのジレッタ  漫画サンデー 実業之日本社 連載
 6月   地球を呑む   ビッグコミック 小学館 連載
 6月   ガムガムパンチ  小学二年生 小学館 連載
 6月   フォアカード   話の特集 話の特集社 連載
 6月   火の鳥 宇宙編   COM 虫プロ商事 連載
 6月   ぽっかち   小学一年生 小学館 連載
 6月01日 日  鬼丸大将  週刊少年キング 少年画報社 連載
 6月04日 水  上を下へのジレッタ  漫画サンデー 実業之日本社 連載
 6月08日 日  鬼丸大将  週刊少年キング 少年画報社 連載
 6月10日 火  空気の底 5 うろこが崎  プレイコミック 秋田書店 読切
 6月11日 水  上を下へのジレッタ  漫画サンデー 実業之日本社 連載
 6月15日 日  鬼丸大将  週刊少年キング 少年画報社 連載
 6月18日 水  上を下へのジレッタ  漫画サンデー 実業之日本社 連載
 6月22日 日  鬼丸大将  週刊少年キング 少年画報社 連載
 6月25日 水  上を下へのジレッタ  漫画サンデー 実業之日本社 連載
 6月29日 日  鬼丸大将   最終回  週刊少年キング 少年画報社 連載
以上6月までを調べてみました。週刊誌を減らすわけにはいかなかったようです。毎週締め切りが来るわけですが、2本も持っていたのは大変なことです、飛び込みの仕事はできなかったことが伺えますね。
他に社長としての雑務やこのようなマスコミの取材などあったので超大変であったことがわかりますね。
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千夜一夜物語 アニメラマとは

2006年11月28日 16時33分45秒 | 虫プロ千夜一夜物語
ANIMERAMAとは、
  シネラマではありません。この耳新しい ことば は映画の画面の大きさではなく、フィルム・アニメーションという映像の世界のスケールの大きさなのです。その世界は果てしなく広大でその可能性は限りなく深く、新しい視覚芸術の創造は、とどまるところを知りません。
 ウォルト・ディズニーの作品に代表されるアニメーションの既成概念に真正面からチャレンジした ことば といえましょう。それはこども向け、家族向けアニメを完全に離れ、世界初の《おとなのためのアニメーション》に挑戦したということです。
 マルチプレーン・カメラ(距離をおいたアニメーション絵や何枚かの背景の絵を水平な撮影台で下から点灯してうつす。奥行きのある立体的な画面を構成する精密な装置のあるカメラ)の全面使用による立体感、実写(風景)と動画の合成、ミニチュア・セット(模型)と動画の合成、空中撮影、水中撮影など、あらゆるアニメーション技術と映画の技術と表現方法の多様性が、いっきょに展望できるのがこの映画です。それでアニメラマという新形式でよぶのです。
 「千夜一夜物語」が、画期的な壮挙アニメラマである由縁は、新しいアニメーションの進むべき方向を明示したことに尽きると言えます。

以上当時の資料から。またアニメラマに関して、山本暎一さんは、本の中で。
「ヘラルドからは、画面はシネマスコープだが、アニメラマと称して売りたいといってきた。シネラマみたいで、大作らしくていいという。ネーミングの発想を聞くと、アニメーションのドラマだからとかで、なんともばかばかしい。」
 と切り捨てている。

「千夜一夜物語」の映画に寄せられたことば

◇ もう、魔法にかけられた
 ディズニーに学んだ手塚さんが、技法的にも思想的にも、ディズニーを追い越すのがこの一遍だと私は信じている。見る前からもう魔法にかけられた!
   詩人  谷川 俊太郎氏

◇ 声の特別出演が楽しみ
 世界初の“おとな向きアニメ”ということーーーそれは、ディズニーが世界初の長編アニメをつくったときの期待と不安に通じます。それに、声の特別出演の方たちが、どんな役柄で出演しているかも、とっても楽しみ。
   映画評論家  小森 和子さん

◇ 大人のエンターテイメントだ
 アニメ文化の新時代は、ついに大人のためのエンターテイメントに突入した。 現代日本の千夜一夜的状況を、まか不思議なエロスでくるんだこの傑作に期待する。
   「キネマ旬報」編集長  白井 佳夫氏

◇ 本格的な劇映画
 今までのアニメは劇映画と区別されてきたように思う。マンガ映画は絵が俳優の役割を果たし、絵そのものが表情だ。この作品は本格的な劇映画のジャンルに入るものだとぼくは思う。
   グラフィック・デザイナー 横尾 忠則氏

◇ 手塚・青島コンビにきたいする
 マンガ映画といえば、わずかの例外を除いて、こども用のものと思われやすい。しかし手塚・青島コンビといえば、これだけで十分楽しめるものが期待できる。青島は古いつき合いだが、彼のやることはソツがない。
   朝日新聞 井沢 淳氏

◇ 官能と冒険の世界
 マンガは子供の玩具にすぎぬ、などと誰が思いこませたのか? この作品は、アニメだけが具体的にくりひろげられる、官能の宇宙だ。こんな素晴らしい大人の夢をどうしてこれまで映画は気がつかなかったのか?
   映画評論家 荻 昌弘氏

◇ アニメーションではない
 これはもう、アニメーションなどというものではない。まさに、《画期的な壮挙》というべきだろう。
   漫画家 小島 功氏
 
◇ 世界市場をめざせ
 日本映画の輸出低迷のおり、この作品が世界市場めざし、わが国で初めての本格的輸出映画として企画された意義は、まことに大きい。
   外国映画輸入配給協会事務局長 竹内 清和氏

◇ これが人間だ!
 「千夜一夜物語」は時間と空間と現実とを超越して、私たちの心に共鳴する。神にも猿にもロボットにもけしてできない。これが人間なのである。
   作家 星 新一氏

◇ 新しき灯
 デズニーの亡きあと、アニメの灯が消えたような淋しさを感じている。新風を吹きこむという意図のもとに作られたこの作品は、アニメ界に新しい灯をともすことを期待している。
   『スクリーン』編集長 尾河 照三氏

◇ 自由に、奔放に!
 手塚治虫のこの作品には、アニメの世界が、もっとひろく、自由に奔放にひらけているにちがいない、と、私はいまワクワクしている。
   映画評論家 品田 雄吉氏

◇ 手塚さんアリガトウ
 ずっと「鉄腕アトム」が好きだった。その私が成人したのを祝うみたいに、虫プロが《オトナ》の漫画をつくってくれた。
   女優 中山 千夏さん

◇ 新作品に期待する
 戦後育ちの我々にとって手塚治虫と六・三制と野球は切りはなせないものだった。彼が総指揮で新しい作品に挑戦するニュースに期待と不安が交差する。
   読売新聞 河原畑 寧氏

◇ 女性賛歌
 アニメの仕事は女性の根気と緻密さによるところが多いと聞く。女性の仕事のためにも、アニメの世界のためにも、この作品のスケールの大きさと、おとなの夢に期待します。
   いけばな家 安達 ?子さん

◇ 画面も大きく、スケールもでっかい
 これはでっかい。画面ももちろんだが、スケールにおいて、また数々の手法において、アニメーションのみならず、映画そのものの革命的役割に期待したい。
   毎日新聞学芸部 家内 俊夫氏

◇ 手塚さんに先を越された
   あらゆるジャンルの人たちが作りたいと思っていた理想のものができた。人間の楽しみの中で大切な《笑い》が、新しい形態で満喫できるのは、とてもうれしい。
   音楽家 山本 直純氏

◇ 世界最大のエロティックなアニメ
 私は二十数年来「千夜一夜物語」の翻訳に専念し、やがてその全訳を終わろうとしている。アラブのエロスに憑かれたせいである。だから今回の虫プロのカラー作品も、世界で最初の最大のエロティックなアニメであることを、大いにきたいしているわけである。
   英米文学者 大場 正史氏
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千夜一夜物語 制作こぼれ話

2006年11月26日 16時21分03秒 | 虫プロ千夜一夜物語
ついでに当時パンフレットなどに載っていた千夜一夜物語のエピソードを紹介 します、
 制作コボレ話
★ スタジオはスラム街
 アップを間近にひかえて虫プロの「千夜一夜物物語」班は、最後の追い込みにかかっている。演出の山本暎一氏は散発にゆく暇もなく、ビートルズの中古品(ほんもののビートルズよりも、ちょっとお年が・・・・・・・・)になってしまった。
第2スタジオは毎夜、不夜城と化し、ヒゲののびたスタッフがウロウロ。店屋物の丼が散乱し、まさにスタジオそのものがスラム化した状態。
 時折、背広にネクタイをしめた人が入ってくると、みんなゾーッとしている。バグダッドのスラム街を描くにはモデルが多くて苦労はしないが、宮殿などはモデルなしで困っている。

★ GOGOダンス登場
 カマーキムの率いる40人の盗賊が<山賊の踊り>を踊るのだが、その振り付けがたいへん。アラビア・ダンスではなく、GOGOだんすが登場する予定だが、作曲の冨田氏もアイデアを考慮中である。

★ 大群衆シーンのすばらしさ
 原画家のひとり赤堀氏の群集シーンの熱の入れ方はスゴイ。普通漫画映画は、大群衆シーンはなるべくさけて通るものなのだそうだが、2か所の大モッブ・シーンに敢然と挑んだ、一シーンに数万人の大群衆が入っている。この群集を途中から動かすといいだした。これをトレースしたり着色する仕上課の女性は悲鳴をあげているが、できあがったバグダッド市場のシーンはいかがでしょう。

★ やなせ氏も背景屋
 完成が近づくにつれ、スタジオの追い込みもスゴイ。美術監督のやなせ・たかし氏は自宅に絵コンテを持ちかえり、背景描き、監督といえどもエラそうなことばかりいっているわけではない。これでは掃除もしかねない。

★ 手塚アトムは30倍馬力
 総指揮の手塚治虫氏は、全編の絵コンテを全部、描きなおした。なぜかというとキャラクターの絵柄が、そろっていないとスタッフが困るということと、絵コンテの段階でシッカリしたものをということからだ。それは映画の長さにすると4時間。これを何回かの演出会議で2時間40分に縮められ、さらに2時間に短縮されたわけである。
 またアニメーターとしての氏の手腕はまさに30人分くらいだ。たくさんのアニメーターがいるディズニーのスタジオでも、これほど描くスピードの早い動画家はいないそうである。手塚アトムと異名がついた。

★ 制作日数は1年5ヶ月
 この映画の製作日数は、企画開始が昨年の2月15日であるから、約1年と5ヶ月。動員した延べ人員は60,000人。撮影したフィルムのフィート数は約50,000フィート(1フィートは約30,5cm)描かれたセルの枚数は70,000枚である。
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千夜一夜物語のストーリー2

2006年11月25日 16時17分03秒 | 虫プロ千夜一夜物語
 年月は流れ、ミリアムが生んだ女の子はジャリスと名づけられミリアムそっくりの顔かたちをしていた。彼女は、魔人ジンと魔女神ジニーのいたずらによって、黒の都の羊飼いアスラーンを恋するまでに成長していた。
 アスラーン恋しさのあまり、ジャリスは黒の都へ行く決心をし、男の姿に身をやつして黒の都への旅に出た。
 ある日、ジャリスが領内を見回っていたときその道の途中で片時も忘れたことのないアスラーンと再会した、アスラーンもジャリスが忘れられずバグダッドへ向かう途中だったのだ。ふたりはバグダッドへ向かった。
 時を同じくしてチフリス河の大富豪として、その名を轟かせている船乗りシンドバッドが、バグダッド目指してのぼっていた。
 シンドバッドの一隊が砂漠のオアシスにテントを張ったその夜、油売りに化けたカマーキムと40人の盗賊、それにマーディアは、今やバグダッドの守備隊長に出世しているバドリーのひそかな命をうけ、シンドバッドの一隊を襲った。
 しかし、バドリーの指揮する守備隊が後ろから押し寄せ、盗賊たちは全員殺されてしまった。助かったのはマーディアだけであった。
 狡猾(こうかつ)なバドリーが大富豪シンドバッドと近づきになりたい一心で仕組んだこの計画は見事に成功した。
 シンドバッドに会ったバドリーは、以前にどこかで会ったような気がしてさかんにくびをひねっていた。シンドバッドは実はアルディンだったのだ。
 バドリーもその招待を見破り、いつかこの大富豪を落としいれようと決心した。

  (レ・ミゼラブル( Les Miserables)ヴィクトル・ユーゴー のジャン・ヴァルジャン が頭に浮かぶ)  

 シンドバットはその財力でバグダッドの王を追い払い、自分が王位についた。しかし王様になったのはいいが、何をしたらいいのかわからない。とりあえず王の権力を象徴すべく天までとどく大きな搭の建設を思いついた。

  (バベルの塔(旧約聖書の『創世記』に出てくる伝説上の巨大な塔)のお話が思い浮かぶ)

 バドリーは忠実な部下を装っていたが、いろいろの策謀をめぐらした。彼はまず、ジャリスからアスラーンをとりあげて軍隊に入れた。
 軍隊に入ったアスラーンはジャリス恋しさのあまり脱走したが、捕らえられ、ライオンの谷で処刑されることになった。ライオンが襲いかかろうとしたとき、このふたりの恋に火をつけた魔女神ジニーが救出した。
 ジャリスはバドリーにアスラーンは死んだと告げられ、悲嘆(ひたん)のあまり、前からいわれていたシンドバッド王のハレムへの参上を承知してしまった。
 親子とは露知らぬ王とジャリスが初夜の床にはいったとき、バドリーはバルコニー広場に人を集め、近親相姦の事実を発表した。しかし、その日ジャリスといっしょに寝たのは魔女神ジニーの手引きで現れたアスラーンだった。
 悪巧みを見抜かれたバドリーは、ふところから毒蛇をとり出し、王に投げつけようとした。
 そのとき、以前からひそかにバドリーを父のかたきとしてつけねらっていたマーディアの放った矢がバドリーの胸を貫いた。
 マーディアは第2の矢を王に向けた。しかし彼女はアルディンを愛していたのだ。矢はアルディンから遠く離れた搭に当たった。
 矢を受けた搭は、雷鳴、大嵐を呼んで崩れ去った。
 王座は何も得るところがなかった。シンドバッドの名を捨て、アルディンに戻ったひとりのおとこは王座よりも、
もっと自由なすばらしいものを求めて次なる旅へと出発するのでありました。

      -終わりー

ー以上当時のパンフレットをもとにストーリーを記してみました、手塚先生は、東映時代に「白蛇伝」や「アラビアンナイト シンドバッドの冒険」などに関わっております。
その時に、当然かなりの勉強をしていたので、ストーリー作りに役立ったことがわかると思います。
 また後半でアルディーンがシンドバッドと名を変え、大富豪になっていると言う設定は、レ・ミゼラブルのジャン・ヴァルジャン が、「マドレーヌ氏」として正体を隠してモントルイユ・スュール・メールの市長になっていたお話が参考になっているように思えます。私的にはジャヴェール警部がバドリーでは性格が悪すぎますが。
 当時、白黒だったと思いますが映画もありました。長い映画で、テレビで放送したときには、大晦日前の30日の深夜映画劇場で放送、続きを31日にと2回に分けて放送したのを見ています。
バベルの塔のくだりは、「展覧会の絵」と一緒に公開されたのが「天地創造」でした。そのあと手塚先生は、実験映画でパロディーの「創世記」を制作していますが、その時に「旧約聖書」を購入して読んでおります。これらのことから何らかの影響を受けた、と思うほうが自然ではないかと思います。
 ほかにもいろいろありますが、以上のこのことから、ただ単に「千夜一夜物語」の原作にとらわれず、他からも話を取り入れて、話を作るのは、他の人たちでは制約があってできないはずです、この「千夜一夜」について、現在では、手塚先生以外の人も、ストーリーを作ったように、語られておりますが、原作以外のストーリーは、「そんな話は原作には無いよ」ということになるはずで、原作には無い話は、手塚先生以外のアイディアーとは考えられず、ストーリー全体のアイディアーはやはり、すべて手塚先生が考えたのだと、思うほうが、わたしは自然だと思うのです。
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千夜一夜物語のストーリー1

2006年11月24日 16時06分31秒 | 虫プロ千夜一夜物語
 以下「千夜一夜物語」のストーリーです

 バグダッドの目抜き通りを歩いていた水売り商人アルディンは,奴隷市で売られている美しい女奴隷に魅せられた。
彼女の名前はミリアム。そのミリアムを金貨一万枚で競り落としたのは、バグダッドの警視総監の放蕩息子だった。
 
 (なぜか当時から坂本九の悲しき60歳(ムスターファ)の青島幸男作詞の歌を口ずさんでいた、いまも口ずさんでいる♪。)

 アルディーンは金のない悲しさ、一目ぼれしたミディアムが売られて行くのを、ただ指をくわえて見ていた。
 アルディーンの恋心が店に通じたのか、突然通りに大旋風がおこった。砂塵が巻いて奴隷市にいる人々の目をつぶした。
 これはチャンスとばかりアルディーンはミリアムをかっさらい、雲を霞と逃げ去った。 逃げ込んだのは大富豪シャリーマンの邸。 アルディーンは憧れのミリアムとはげしく愛し合い幸福な夜を送った。
 しかし、末は大臣はおろかバグダッドの王にもなろうと、ひそかな野望にもえる補史バドリーは、40人の盗賊の力をかりて、アルディーンとミリアムを捕らえるのを口実に、シャリーマンを殺して、アルディーンをシャリーマン殺しの犯人に仕立てあげた。
 アルディーンは監獄にぶち込まれ、ミリアムは警視総監のドラむすこのハレムに拉致されたが、ドラ息子はミリアムを取り戻したうれしさと興奮で、階段から落ちてあっけなく死んでしまった。
 バドリーはミリアムをもらい下げて自分の家へ連れて帰った。
 一方、アルディーンはバドリーの命令で毎日拷問にかけられていた。 しかし、彼の生への執着はものすごく、監獄の看守長はそのバイタリティーに驚嘆して、アルディーンの脱獄に手をかした。 看守長の手助けによって脱獄に成功したアルディンは、その日から恋しいミリアムを捜し歩いた。
 何ヶ月かたって、ようやくそのゆくえをつきとめてバドリーの邸に忍び込んだとき、ミリアムは女の子をうみおとし、この世を去っていた。
 涙にくれるアルディンのわきを、憎いバドリーが馬に乗って駆け抜けた。アルディンはその後を追いかけた。
 着いたところは、40人の盗賊の山塞だった。パドリーが「開けゴマ」と呪文を唱えると、驚いたことに、岩が轟音とともに左右に開いた。 アルディンもあとからこっそりと忍び込んでみると、そこには、なんと金銀財宝の山があった。持てるだけかき集めて帰ろうとしたところを、盗賊の首領カマーキムの娘、マーディアに発見された。野生のまま育てられているマーディアは、陽気で磊落(らいらく)なアルディンに好奇心を覚え、カマーキムの宝である空飛ぶ木馬に乗って、気ままな旅に出かけた。
(アリババと40人の盗賊)
着いた所は女護が島だった。男は歓迎するが、女は、はいってはならぬという島の女王とマーディアは決闘をしたが、マーディアは敗れ、島を立ち去った。
残ったアルディンは酒地肉林、快楽の日々を送った。
この島の奥には禁断の扉があった。好奇心の強いアルディンは女王との約束を破り、扉の中をのぞくと、女王が白い大蛇に変身していた。驚いたアルディンは後もふりかえらず、猛烈な勢いで海に飛び込んで逃げ出した。
      (白蛇伝を思い出すシーンだった)
 小船で海に出たアルディンは商船に救われた。
やっと助かってホッとしたのも束の間、この世のものとは思われないような、大怪鳥ロプロプに襲われた。
ロプロプの羽ばたきで船は木の葉のように揺れたが、なんとか無人島にたどり着いた。
 ところがこの島には世にも恐ろしい食人鬼が住んでいた。無人島なのも道理。人間はみな食べられてしまうからだ。
船員たちは必死で逃げたが食人鬼の腹の中に、入ってしまった。アルディンは、持ち前の粘り強さで逃げ隠れしたが、食人鬼は彼を見つけ一歩一歩迫ってくる。あわやアルディンの最期かと思われたとき、晴れた空が一天にわかにかき曇り、再び空をおおうばかりの怪鳥ロプロプが現れて、怪物同士の壮絶な格闘が始まった。ふたつの怪物は取っ組みあったまま海に転げ落ちた。
隠れていたアルディンが、そっと海をのぞいてみると、怪物が落ちた反動のため、海が盛り上がっり、中から壊れた難破船が浮かび上がってきた。
 この船は船艙に巨万の富を持つ魔法の船だった。思わぬところでこの船を手に入れたアルディンは一躍大金持ちとなりました。
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千夜一夜物語 解説文より

2006年11月23日 16時07分01秒 | 虫プロ千夜一夜物語
また「千夜一夜物語」の解説書には次のような解説文が載っていた。
 解説
「千夜一夜物語」は、日本ヘラルド映画が創立10周年を記念して企画し、 「鉄腕アトム」 「ジャングル大帝」 で 日本のアニメーション界に一つの道標を築いたパイオニア、虫プロダクションが制作にあたった娯楽対策である。
総指揮には、虫プロ主宰者であり、まんが家としても、アニメ作家としても第一人者である手塚 治虫が、日本映画に今まで見られなかったエンターテーメントを目指し、手塚 治虫 自身の新境地と、世界初の〈アニメラマ〉すなわち、アニメーションの新しい可能性の開拓に大きな意欲とファイトをもってのぞんでいる。
題材は、世界四大奇書のひとつ、偉大な民族遺産、多彩な人間文学といわれるご存知 「千夜一夜物語」 (アラビアン・ナイト)。 その膨大な原作のエッセンスを結集させ、現代的な解釈と新技術で日本のみならず、世界市場で通用する決定版を作ろうというのが制作意図である。  主人公アルディーンは、金も権力もないバグダッドの水売り人夫だが、数々の破天荒な冒険ののち大豪商にのしあがり、ついに王位まで獲得する、だが王といえども、人生の終着点ならずと考え、無一文の水売り人夫に戻って未来へ旅たつ。常に未来、理想を夢み、挑戦する青年アルディンの波乱にみちた半生を主軸にして、世に知られたるアラビアン・ナイトのさまざまなエピソードが展開する。
アクション、幻想、コミック、風刺、スペクタクル、そして、“アニメーションは子どものためのもの”とする既成概念を打ち破り、アニメーションにして、はじめて可能と注目されているのが、そのおいろけシーンである。
伝説的な既成概念を打ち破り、新しいアニメーションの世界を現出させるためには、いろいろな新技術のすべてを網羅せねばならず、その技術、手法を称して〈アニメラマ〉と名づけた。立体効果満点のマルチプレーン・カメラの全面使用、実写と動画の合成などが注目されるのであるが、〈アニメラマ〉たるゆえんは、新しいアニメーションの進むべき方向を明示したことにつきるといえよう。  手塚 治虫以下のスタッフは、構成・脚本が深沢 一夫、演出・山本 暎一、 美術監督・やなせ たかし、音楽・冨田 勲、さらに構成協力者として、大宅 壮一、北 杜夫、小松 左京、そして熊井 宏之の四氏が参加するなど意欲的なメンバーである。
声の出演は、バイタリティーあふれる主役のアルディンに青島 幸男、敵役バドリーに芥川 比呂志、アルディンの恋人ミリアムとその娘ジャリスの二役で岸田 今日子、盗賊の首領カマーキムに小池 朝雄、その娘マーディアに伊藤 幸子など一流演技人をそろえている。そして、この作品の趣旨に賛同し、協力してくれた各界の人々が、声の特別出演をしているのも話題となっている。
主題歌を歌い演奏しているのが、ヘルプフル・ソウル(ビクター ワールド・グループ)。昨年秋ごろから流行しだし、日本でも最近大いに注目されだしたアートロック(ニューロック)のグループで、関西出身のユニークなバンドである。
---当日のパンフレットより---

 打ち上げの日、昼休みに練習していた虫プロエレキバンドが、「千夜一夜物語」の主題歌、アルディーンのテーマや悲しきマーディアを演奏し、スタッフは踊りまくり、美酒に酔いしれた。

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千夜一夜物語 封切り

2006年11月22日 15時49分13秒 | 虫プロ千夜一夜物語
6月14日土曜日 「千夜一夜物語」は「展覧会の絵」の時とおなじ、新宿のミラノ座、渋谷のパンティオン、東銀座の松竹セントラルで封切り上映された。
手塚先生のもとには、手分けして各映画館を下見に行ったスタッフたちから、「長い行列ができています」との報告を受けた。

そのあとの一般封切館での上映でも「千夜一夜物語」の大入りは続いた。日本ヘラルド映画社から、虫プロ全スタッフに、大入り袋が配られた。

みんなが歓喜して大入り袋の中身を見た。どの顔も期待に膨れていた。しかし中身は期待を裏切った、がっかりするような金額であったからで、お札ではなく玉であった。
芸能界に居て、大入り袋を貰った経験のあるものが、「大入り袋ってそんなモンですよ!」と言った。
そこでみんなが大笑いをした。
 観客が、沢山入って、大入り袋まで出た、成し遂げた、ものすごい充実感と、歓喜と、感動と、どの顔も喜びであふれていた。


そして手塚先生は

 アニメーションは子供のためのものだけではない。大人のためのアニメーションがあってしかるべきだ。と言うのが私の持論であり、かねてから、「おとなのためのアニメーション」を作るのが念願でした。

 アニメーションの持つ魅力、その豊富なイメージの世界の楽しさ、面白さ、そして美しさは 大人にとっても、十分に見ごたえがあるものであり、広く世界市場にも通用するもの、という証明をしてみたい、という意図で制作したこの 「千夜一夜物語」 は、十分その意図を表現できたものと確信しております。

 しかし「おとなのためのアニメーション」 という言葉はまだ生命も人格も与えられていないのです。われわれが、この作品をあえて 《アニメラマ》 と名づけたのは、この作品をとおして「おとなのためのアニメーション」に生命を与えようとしたからなのです。

 アニメーションの新しい歴史を開こう、と微力ながらスタッフ一同努力した 「千夜一夜物語」 が、ひろく皆様に愛され、楽しんでいただければ製作者の喜び、これに勝るものはありません。

1969年初夏  手塚 治虫

と当時のパンフレットに書いておりました。
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千夜一夜物語 8

2006年11月21日 13時59分36秒 | 虫プロ千夜一夜物語
 6月4日からは暎一さんが六本木のスタジオセンターへダビングのため泊り込みに入った。
現場は手塚先生を中心にしてやなせさんなどが、上がってくるものから、撮影出しをして撮影して上がったものを、次々と東洋現像所に届けにいった。

作画のめどがついてくると次には、彩色も、最終段階に入っていた、手塚先生の奥様まで、彩色を手伝った、当然社員の奥さんや、漫画部までもが、かり出された。虫プロに関係したものは、ほとんど、全員が狩り出されたのでは、とおもえるほど、大勢の人たちが彩色をした、そのためにこんどは、乾かす場所がなくなってしまった。部屋中、隙間さえあれば、乾かすために、彩色されたセルが置かれていった。
進行は外注さんから、まだ乾いていないセルでも、引き上げなくてはならなかった。そこで、車内の後ろの席に、彩色棚を置いて1枚1枚のセルを傷つけないように注意して、彩色棚へ入れたまま運んだ。セルを汚さないように、運転にも気をつけなければならなかったが、少しでも早く乾かしたいから、ヒーターを最高にかけていた。6月もう初夏、晴れていれば、室内の温度は容赦なく上がり、汗が吹き出る。そのうえ睡魔とも闘わねばならなかった。

6月9日最後のカットの撮影が終了した。そのネガの缶にラベルが張られ、「即日ラッシュ」のスタンプが押された。
「気をつけてね」との声に見送られて、東洋現像所へと車を走らせた。受付へ、「即日ラッシュでお願いします」と渡した。

夕方、東洋現像所に、仕上がったラッシュプリントを取りに行き、虫プロへ戻る。編集室で待ちかねていた手塚先生などが立ち会って編集が行われる。そしてその作業が終わり3階で試写をした。リテーク箇所の確認をしたうえで、そのラッシュプリントは東京スタジオセンターの暎一さんに届けられた。 すでに夜9時になっていた。

その時届けた進行はそれまで1週間以上寝ていなかった、聞いた話では、どうも気が抜けてロビーで爆睡してしまったらしい、無理ない話しであるが、暎一さんはその時のことを次のように本の中で書いている。

「すこし外の空気をすおうと廊下へ出た。ドアの外の床に、ロールのあがりを待っている進行のやつが、行き倒れの死体のようなかっこうで眠っている。それが、ものすごいぜいたくに見え、蹴飛ばして起こしたくなる。」と
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千夜一夜物語 7

2006年11月20日 13時28分53秒 | 虫プロ千夜一夜物語
5月22日制作室の人たちに衝撃が走った。
口の悪い連中が「カッパの皿が干上がった」というのであった。
カッパさん、富岡厚司さんを影では、みんながそう呼んでいた。面倒見が良く部下から尊敬され、慕われていたので、愛着を込めてそう呼んでいた。が、本人はそう呼ばれるのをいたく、嫌っていた、面と向かってカッパさんなどと呼ぶと、げんこつをお見舞いされるので、けして呼べない愛称であった。

その富岡プロデューサーがギブアップしたというのであった。カッパは頭の皿が乾いてしまったら生きて入られないと言う。そのカッパさん、富岡プロデューサーが降りると言い出したと言うのであった。

「いま、先生や役員と話し合っている」という。どうもスケジュール管理をしていた、広川プロデューサーがいなくなって、それでなくても、ばらばらな上層部、仕上がりの流れが、掌握できなくて、パニックになってしまったらしい。

 富岡プロデューサーがそんなになっているとは思ってもいなかったので、進行連中は責任を感じた、それを解決するには、進行それぞれの、持っている進行状態を上に報告するだけではなく、一つにまとめて把握して、かっぱさんに報告してあげればよいからであった。広川さんの代わりをすればよいのである。

スケジュールの管理は、進行連中のほうがなれていた。それでも進行状態を一つにまとめるのには、3日もかかってしまったが、25日には、まとめることができ、カッパさん富岡プロデューサーの「頭に水を入れる」ことができたので結果なんとか、光明が見えてきた、そしてカッパさんが復帰した。

いままで、「千夜一夜」の制作責任者の、命令系統がはっきりせず、最高責任者が富岡厚司プロデューサーであることを知らなかった進行もいたが、てんでんばらばらな命令を受けていたが、 このことで、誰の命令を優先すればよいのか、誰に報告をするのかが、はっきりした。「雨降って地固まる」で仕事の能率もあがり、一つにまとまった。

30日には暎一さんを中心に、どんどん撮影が上がった、そしてラッシュフィルムの編集が始まった。一スタ3階の16mm映写機には、スコープレンズが取り付けられて、ラッシュ試写も始まった。

6月になり手塚先生は突然、グループタックの田代さんを呼んで、前宣伝ができないため宣伝になる方法はないかと考えた、有名人や芸能人に一声ずつ、せりふを入れたいので協力してくれないかと頼んだ。
音響ではすでにダビング作業も始まっていたので、それどころではなかったが、田代さんは断らなかった「協力します」と答えていた、
そこで、手塚先生は、知人など片っ端から電話をして事情を説明し、「一言のせりふ」をお願いした。田代さんも有名人と交渉をした。承諾を得ると田代さんは携帯用のテープレコーダーを肩にかけて訪ねて行き、録音していった。

それは、11PMでおなじみの司会安藤 孝子さん 小説家、狐狸庵山人(こりあんさんじん)こと遠藤周作氏、11PM 司会の大橋巨泉氏、ベトナム戦争報道でのハノイ一番乗りしたジャーナリストの大森 実氏、1970年11月22日お亡くなりになった「毒舌の評論家」大宅壮一氏、作家 木崎国嘉氏、師とおなじ昆虫少年であり、精神科医でもある、どくとるマンボウシリーズで有名な小説家北杜夫氏、日本SF界を代表するSF作家 小松左京氏、小説家、推理作家また弁護士でもある佐賀 潜氏、「ザ・ヒットパレード」や「シャボン玉ホリデー」スマイリー小原とスカイライナーズの踊る指揮者 スマイリー小原氏、日本テレビ『笑点』の司会者(1966年5月から1969年11月) 立川談志氏、日本を代表するSF作家で、小松左京、星新一と並んで「御三家」と称される 筒井 康隆氏、テレビ、ラジオの構成作家 野末陳平氏、放送作家で1968年から放送された『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ)での司会者、「マエタケ」事 前田武彦氏、1994年(平成6年)、癌のため、聖路加国際病院で永眠 NHKのアサドラ(朝のドラマ)「あぐり」の長男 小説家の 吉行淳之介氏、(あいうえお順)
そうそうたる面々であった。
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千夜一夜物語 6

2006年11月19日 13時02分03秒 | 虫プロ千夜一夜物語
4月に入り全社体制で「千夜一夜」へ取り掛かっていた。眠気覚ましにビートルズやジャズ、など夜通し音楽を鳴らしていた。それはまだ、カセットテープがない時代で、8トラックという装置であった。ガソリンスタンドなどにもテープは売っていたので、次々といろんなテープを買って来て8トラックステレオにかけて聞いていた。
 深夜になると、静かな音楽が人気があった、特にリクエストが多いのが「夜明けのスキャット」の由紀さおりさんの曲で「ヨーロッパ映画主題歌」のテープであった。歌詞の日本語訳がとても心を打って「見ない振りしてる間に、この部屋を出て」などの歌詞は、若者の心を捉え、暫し目をつむっているだけで、疲れが取れるような気がした。また、広沢虎蔵の「清水次郎長外伝、森の石松」の浪曲なども人気があった、空で覚えてしまうほどきいていた。これも8トラックテープであった。

 船頭多くしてで、2スタのプレハブにはプロデューサーと名の付く人たちが大勢居た、実際に動く進行にとって、命令系列がはっきりせず、Aさんにこういわれたが、Bさんは違う命令をする、と言うように混乱がひどかった。作画班も、寝ないで作業をし始めていた。
5月いっぱいで何とか上げようと言う熱意だけで必死であったが、すべての人が非常に疲れていた。進行は今までお願いしたことのある外注さんを思い出したり、やめて会社員や奥さんになっている人にも一人一人説得して、動画や仕上げをお願いしていた。そのためなら埼玉の川越や千葉の市川でも出かけていった。

 あるとき、プレハブの現場は、殺気立って居た、それでなくても体のあまり丈夫ではない広川プロデューサーが、疲れがたまり、隅で寝込んでいた。誰かが「もう何時間寝てるんだ?」と聞いた「2時間も寝てるよ」と答えた「なに!2時間も寝てんのかよ」「だれかおこせ!」

 今思えば正常ではない、2時間も、である。たった2時間寝ただけで、白い目で見られた。
みんなが、正常ではなくなっているときであった。その後、彼を見る目が、冷たくなっていたのであった。そのため、それでなくても疲れ切って気がめいっていたのに、精神的に陥ってしまった。そして広川さんは戦列を離脱せざるを得なかった。すでに人間性などなくなり、相手を思いやる心すらなくなっていた。

思いやりと言えば、5月、仕上班もすでに深夜まで作業をするのが、当たり前になっていた。作画の上がり次第で、時間が惜しいと、ただちに仕上の作業を始めるので、午前3時や4時に仕事が終わるのが、当たり前になってしまい。夜が明けてしまい6時や7時になることも多かった。
 やはり女性なので、身だしなみなどあるし、泊まれる場所もないので、一度、家に帰っていた、そのためには、始発まで待って、帰らねば、ならなかった。しかし虫プロの進行連中は紳士であった。早く帰って少しでも休息と取れるようにと、コースを決めて、仕事が終わった人から、同じ方向の人たちを、車で送って行っていた。
これは、上から言われたのではなく、自発的に始まった、変な下心ではなく、またそんなことを思う余裕すらもなく送ることにしていったのであった。
 進行連中の疲れはピークになっていたが、あと1ヶ月の辛抱で、倒れるまで続けるぞと全員が言っていた。
それからしばらくして一人のプロデューサーからクレームが出た、「送る必要はない」というのである。「会社から、交通費が出ている、早く帰りたいならタクシーをつかえ」「進行をこれ以上疲れさせたら、それでなくても遅れているのに間に合わなくなる、責任を取れるのか」
と言ういい分であった。
地頭と泣く子にはかなわない、精神的におかしい状態、制作を遅らせるのかと言われては、進行も説得できない、「ただ、女性に何かあったらどうするのですか」 と言うのが精一杯であった。
 そんなやり取りが昼間あって、「今日から送れないから」と女性たちに説明した。
家が近くのマヤさんが午前1時過ぎ、1人で歩いて帰宅した。しかしすぐに2スタの玄関へ逃げ込んできた。頭からは血を流している、すぐに、病院へ運び、警察も来たが、痴漢に殴られてしまったと言うことであった。 
なぜ、もっとプロデューサーに抵抗できなかったのか、送っていっていれば、怪我などさせてしまう事はなかったのに、進行連中は自分たちを責め反省した。そしてすぐに送っていくことを再開した。
あのプロデューサーからは、いまだに何も言ってこなかった。進行たちも何も言わなかった。
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千夜一夜物語 5

2006年11月18日 23時39分02秒 | 虫プロ千夜一夜物語
シナリオはなかなか決まらず遅れに遅れた。
7月には、虫プロと日本ヘラルドによる「千夜一夜物語」の制作発表会がおこなわれた。
9月虫プロでは「わんぱく探偵団」の放送終了に伴いスタッフの編成替えが行われ、スタッフも決まり、第二スタジオすべてが「千夜一夜物語」班となった。
ストリーボードを作るため大量のベニア板が運ばれ、そこに少しずつかかれた場面のシーンが張られ始めた。あるていどのストリーボードが、できあがったとことで、 手塚先生は北 杜夫さん、小松 左京さんにストリーボードを見ていただいて意見を聞いた。

音響は虫プロから独立して、グループ・タックを立ち上げていた田代敦巳さんに決まり、音楽は冨田勲さんと決まった。

主役アルディンの声に七夕選挙(7月7日)で参議院議員になられた青島 幸男さんを抜擢したいと言うこととなり、10月はじめ、川端制作部長と、山本暎一チーフディレクターそれに富岡厚司ディレクターが、参議院議員会館へ青島議員を訪ね、出演交渉をし快承を得ることができた。じつはこの時、青島さんは、実写と勘違いして、すっかり自分が主人公で、出るつもりでいたと言う逸話もある。

12月マスコミやヘラルドにお見せするためのフィルムを急いで制作した、5分でアルディーンが、「バベルの塔」を建設するシーンであったマルチを多用して立体感を出し、迫力あるシーンに、出来上がった。ヘラルドでの試写会では、大きな好評を得ることができた。

まだ5分しか出来ていなかった。それなのにお正月が来た。納品期日3月はすぐそこに、迫ってきていた。
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千夜一夜物語 4

2006年11月17日 23時28分33秒 | 虫プロ千夜一夜物語
千夜一夜物語の読みかけを机に置き忘れていたが、手塚先生の目にふれた。

 手塚先生は「千夜一夜物語」を取り上げた、アイディアは泉のごとく吹き出した。
主人公をバグダッドの水売り「アルディン」にきめた。東映の時勉強したシンドバットやアリババが参考になった、それに旧約聖書のバベルの塔、お色気のために女護ヶ島等など。

 最初の問題が起きた、役員会から、3000万円の制作費の工面が出来ないという、いま虫プロでの収入源は「リボンの騎士」だけであった。500人に近づいている社員の給料を払うだけで、精一杯の状態であった。(単純に社員一人の給料を2万平均に計算しても、2万×500人=1千万円。リボンの騎士一本250万×月4本=1千万である、それに給料の平均が2万のわけが無い) そこで放送が決まった「わんぱく探偵団」の前渡し金を局から先払いしてもらって、やっとしのいでいた。いわゆる自転車操業といわれるものであった。
 銀行も貸してはくれなかった。担保もすでに無かった、手塚先生の屋敷すら、何重にも抵当権に入っていたのだった。

 日本ヘラルドへ借り入れができないかの交渉が始まった時には、昭和43年になっていた。この交渉は何度となく交わされ、3月になって、配給収入分配率を五分五分から七対三で合意に達した。
4月に両者の社長のあいだで契約調印が交わされていた。

制作プロデューサーが富岡厚司さんに決まる。手塚先生の指示ですぐに、山本暎一さんをチーフ・ディレクターとして説得する。
 手塚先生はシノップスの状態で行き詰まっていた、話があふれて、多すぎてまとまらない、どれもこれもやりたいと思う話ばかりなのであった。
(もしテレビシリーズが、可能であれば1時間番組で、半年は、続けられるほどであった。)
自分で削るのはなかなか出来ない、あれこれ考えているうち、削るどころか、かえって増えてしまうからだ。人の手を借りることが、解決する一番の方法であった。暎一さんらは穴見常務の親友であった「東京演劇アンサンブル」の熊井宏之さんに助けを求めた。

 手塚先生と打ち合わせを重ね、結果何とかハコガキが出来上がって話の全体が見え始めた。 忙しい中野手塚先生の校閲もやっと終わり、了解が出たところで、シナリオライターの深沢一夫さんにシナリオ制作を依頼した、すでに5月も終わろうとしていた。

 第二スタジオの1階に美術と作画の人が移った。 手塚先生は、ユニークなキャラクターを描く、漫画家のやなせたかしさんに、参加を依頼した、キャラクターや美術などの協力を頼んだ。
 やなせさんは絵本に詩を書いて出版しており、虫プロの若いスタッフたちにも人気があり、その詩集を読んでいる人もかなり居た。
6月には第二スタジオ1階設定室に、やなせ たかしさんが通ってきた。
 やなせ たかし先生は当時四谷駅から防衛庁(陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地)正門に行く道下り坂の左に住んでいた。学生運動が過激になり正門のそばと言うことで何かあるのではと恐れて、引っ越したいと言っていた。

シナリオはなかなか決まらず遅れに遅れた。
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千夜一夜物語 3

2006年11月16日 23時09分37秒 | 虫プロ千夜一夜物語
 手塚先生は、大人のためのアニメに、最初は、ゲーテの「ファウスト」を企画した、ファーストは手塚先生が常々アニメ化したい、といっていた作品でもあり、昭和25年1月15日には、不二書房から、単行本を出版している(昭和24年に執筆している)
内容は、高慢な悪魔メフィストに、神が学者のファウストを地獄に引っ張りこめるかと持ちかける。黒犬に化けたメフィストは、ファウストから「満足した」と言ったら地獄へ落ちても良いと、約束を取り付け、ファウストを若返らせる。 神は天使をお姫様に生まれ変わらせ、ファウストを守らせる、波乱万丈な経験をして満足したファウストをメフィストは地獄へ誘うが、天使が阻止いて天国へと向かう。

このようなお話で、ゲーテの「ファウスト」を、自由に脚色した作品であったが、その後の作品やアニメにも、少なからず影響を受けた、この、「ファウスト」であった。(リボンの騎士の神様などや、ふしぎなメルモで複数の神様がいる)

 しかし昭和42年エリザベステーラー主演の映画「ファウスト 悪のたしなみ」が公開された。このことが「ファウスト」の企画を中止させることになった。

 出版界では,原色百科辞典や、日本の歴史、世界文学全集、など、毎月発売される本が流行っていた。(月ぎめで虫プロ出入りの本屋さんに注文していたが、本代だけで、給料日に集金に来た本屋さんに半分は持っていかれてしまった。)
 この頃、「千夜一夜物語」の本も、毎月出版され始めていた。その読みかけを机に置き忘れていたのが、手塚先生の目にふれた。
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千夜一夜物語 2

2006年11月15日 22時57分02秒 | 虫プロ千夜一夜物語
 日本ヘラルド映画株式会社から社長に電話があった。
日本ヘラルド映画株式会社は、洋画の配給会社であったが、洋画を輸入するだけではなく、日本ヘラルド映画株式会社自身が制作した作品を、世界に配信できないものかと考えていた。

 そんな頃、売り込みに来た「展覧会の絵」を見ていた、それがヒントとなり、アニメならば、俳優の問題もなく、世界にすぐ通用する物が作れるのではないか、と思っていた。そしてその計画を立てていった。

アニメと言えば、子供もの ということではなく、大人が見るに耐える映画が作れるはず、「展覧会の絵」のような作品が出来るのだから、それはいたって可能なはず、そこで社内を説得して、アニメ制作の実現に向けて研究をし、企画をまとめその計画を会議にかけた。その結果、作って見ようのゴーサインが出た、すでに半年経って、それは秋になってしまっていた。

 社内では、製作会社は東映動画に頼むのが、長編映画に慣れているので、よいのでは、と言う意見が多かったが、やはり「展覧会の絵」の質の良さに、初めの思惑通り、虫プロへ依頼しようと言うことにまとまった。

この電話はその依頼の電話であった。

 手塚治虫先生はすぐにその気になり「作りましょう」と答えていた。
その時の手塚先生は、夢が膨らんでいた、そして少年のように、わくわくしていてとても嬉しそうであった。

もう、雑誌など手に付かなかった。すぐに時間を作り、山本さんと杉井さんを呼んで、日本ヘラルドからのすばらしい話を打ち明けた。
2人も大人のためのアニメ制作の話に、すぐに乗り気になった、やる気は十分であった。
しかし、制作費の問題で、現実に戻された。虫プロには、それだけの資金がないからであった。制作費は、国内の配給収入は8000万円と多めに見ても、宣伝費に2000万円かけて残り6000万円を半々にして3000万円の予算で作らねばならないであろう。東映の「白蛇伝」は5千万円以上かかり、40年の「ガリバーの宇宙旅行」は1億5千万円もかかったと言われている時代であったのだ。

いま、虫プロダクションは、新たにまた、無謀なことが、行われようとしていたのであった。
そして、手塚先生は、ゲーテの「ファウスト」を企画した。それは、手塚先生が、まえからアニメ化したいといっていた作品であった。
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