節電に備えてというわけではないが、12月に買って庭に積んでおいた薪用の 木を切ってかたずけた。この冬使って空いた薪小屋に、古い薪を移動して新しい薪の置き場所を作る。細い木だったが切ってみると沢山あって、今までの所だけでは置ききれない。私室の前に置き場所を作って積んだ。新しい切り口の薪は積んでみるときれいで見とれてしまった。たっぷり積んである薪を見ると心豊かになる。
地震・津波で被災された人たちは、何とか復興に向けて頑張ると声をあげておられ、あ~人は弱いけれど強いものなんだと嬉しくなった。原発事故という災難にあわれた方たちに、今は希望の光は見えてこない。一日も早い原発事故の終息を唯々祈っている。
11日は雪の舞い散る寒い日で、翌朝までの停電は思いがけない被害をもたらした。給水ポンプは「故障」のランプがついて動かず水が出なかった。復帰ボタンを押しても駄目でどうしょうかと焦った。動力の電源を一度切ってもう一度入れたら復帰ボタンも作動して一安心。家の中にいたらザ~ザ~と水の流れる音と湯沸かし器が作動している音がする。あわてて外に出てみると湯沸かし器が破裂してお湯が外に流れていた。7台ある湯沸かし器が、破裂までは行かなくてもみんな使えなくなっていた。一番大きいお風呂用の湯沸かし器だけは大丈夫でホッとした。ガス会社に電話したら、清里一帯で湯沸かし器が壊れて順番に回っているからとのことだった。
被災地を思えばこんなことで大騒ぎしてとは思うが、今ここで生きているのだからと自分を納得させる。テレビを見ていたら津波で流されたが助かったという男性が「こんなんだったら死んでしまえばよかった・・・・生きているということは何かをしろということだろうと思って」と言っていたことが心に残った。
11日、そろそろガーデン日記を書かなくてはと思い、クライストチャーチの地震の時を思い出しながら午前中に何とか書いた。午後からは今日こそは確定申告書を完成させなくてはと、テレビをつけたまま机に向かっていた。家がゆらゆらと揺れたので、テレビの地震速報をと思って振り向いたら、テレビは切れてしまった。ドアを開けて様子を見ていたが、大きな揺れが長いので外に出たほうがよいかと、ストーブの前に寝そべっていたムムを抱きかかえて隣の牧草地に行った。貯水タンクがピチャピチャ水音をたてて揺れている。大きなニセアカシヤの木もゆらゆら、どうなる事かと思った。クライストチャーチの時より怖いと感じた。携帯電話もなかなか通じない。そのうち長男から「大丈夫か。宮城は震度7・5とか言っている」とかかってきた。仙台には二男夫婦が居る。メールを打つたら「けがなし」とだけのリメールがあり少しほっとした。
電気はそのまま翌朝まで停電だった。