今日、大雪の後初めて弘法坂を下った。除雪した雪でどの道も道幅が狭くなっていた。日陰にはまだ雪があって対向車が来ると怖かった。
一昨日、ナナの散歩をしていたら、何人かの人が近所の1人暮らしの家の雪かきをしていて「ボランティアですが、何か困っている事はありませんか」と声をかけられた。「困っているけど何とかやれてますから」と言うと「人手も余っているからやりましょう」と言ってくれたので、物置の前の雪かきをお願いした。積もった雪の上に屋根からの雪が落ちて物置が雪に埋まってしまっていた。物置には灯油のポリ缶を入れていた。前日、何とか灯油を出したいので雪の上から扉の分だけ穴を掘って灯油を出したが大変だった。雪をかいてもらって大助かり、地元清里のボランティアグループの人たちだった。
思わぬ事でお世話になった。思わぬこともう一つ、物置が埋まってしまったので、ガソリンスタンドに灯油を買いに行ったら「品切れ」の張り紙がしてあって、これにもビックリ!明日は入りますからとの事だったが、私の中では想定外で身に降りかかってみないと実感できないものと思った。
色々な事を引き起こした雪だが、雪景色は何ともいえず美しい。
先週の雪がすごいと思っていたが、今朝起きてびっくり!ナナの小屋が雪に埋もれてどこか分からない。呼んでもワンとも言わない。外に出るドアも雪で開かない。やっと雪をかいて小屋から出したが、小屋には戻りたくないようで足を踏ん張るので廊下を歩かせて玄関に連れてきた。
お風呂場の窓から覗いてみたら、風呂用のボイラーが雪で埋まっている。何とかしなければと思うのだが、行くだけでも大変。1メートル以上ある雪をかき分けながら行かなくてはならない。雪も止んだので、頑張ってボイラーの所まで行くことにした。人が通れる幅で10メートルの雪かきに1時間半かかった。3時ごろ漸くブルドーザーの音がして道路の雪をかいているようだった。
雪で道路の状態も見えない。駐車場から玄関までは雪もかかずそのまま。車は雪に埋もれて小山になっている。
小鳥達が餌台の周りでうろうろしている。餌台に行けないのでベランダにヒマワリの種を置いてやる。
2時ごろ「今日やっていますか」と電話があった。国道にいるが夕べは車の中で今日も帰れそうにないからと言っていた。その頃私はボイラー目指して雪と格闘の最中。雪かきしてなく入れないからと断ったが、国道沿いの宿泊施設を聞いてみるよう勧めた。入れるなら泊めてあげたかった。
先週に続いて、今日も天気予報通り雪が降っている。先週はお客様があったので、朝から6回も雪かきをした。かいてもかいても積もる。一日でこんなに積もったのは私が清里に来てから初めてのこと。70㎝は積もったと思う。やっと雪かきを終えたと思ったら、ブルドーザーが道路の雪をかいて入口を塞いでしまった。何とかしてよ!と怒鳴りたかったが、仕方なくまたその雪をかたずけた。これくらいで騒いで、雪国の人の大変さを改めて思う。今日は雪籠り。テレビでオリンピックでも見よう。
雪の日は小鳥達がたくさん来る。餌台に行くのも雪をかかなくては行けず、いつもの倍はヒマワリの種を置いてやった。今年は一度も見ていないシメも来ていた。シジュウカラ・カワラヒワ・雀が群れできている。小鳥達も力関係があってみていると面白い。
中学校の同窓会があって、愛知県知多半島の先に在る日間賀島に行ってきた。同窓会の案内が来るまでまったく知らない所だった。名古屋から電車で1時間、河和港からフェリーで20分、清里からだと遠い所だった。知らない町へ初めて乗る電車、ずーと旅していたい気分になった。
今は高山市になってしまったが私達は「朝日村立朝日中学校」の卒業生82名。今はすっかり過疎地になって1学年10名前後とか、私達の頃は子供がうようよいたような感じで、小学生の頃全校で500名と聞いた記憶がある。
今回集まったのは29名、また2名が旅立っていた。あのころは中学を卒業して就職する人のほうが多い時代で、15才で見知らぬ土地でよく頑張ったねという話になった。今回の幹事の1人は新日鉄の溶鉱炉で45年。もう1人はまだ現役で土木工事車両の整備をず~としていると言っていた。名古屋駅まで彼の高級車で送ってもらい感激した。
3年後に今度は朝日在住が当番なので、地元でと皆で再会を約束して別れた。