砂をかむような思い?
平成29年11月5日(日)
「砂をかむような思い」?
あっただろうかと、思い起こす。
数回あったかな?
でも、朝起き出したら、そこから脱して
いた。
良潤さんの母親の送る言葉。
「どんなに辛くとも苦しくとも、岩にし
がみついてでも、砂をかむような思いをし
てでも、立派になって帰ってきなさい。」
495日目、小石につまずいて地面にたた
きつけられ、起き上がる力も残っていない、
短刀で腹を切るしかないと覚悟を決めた
時に、この母の言葉が浮上。
「まだ砂をかんでいない。」
目の前にあった砂を舐めてかむ。
かめばかむほどとても変な感触を味わう。
それが狂気から正気へ。
「もう一度みんなのために!」
何とか立ち上がり、ふらふらになりなが
ら涙と鼻水を流し、ボロボロになって歩き
出されたそう。
そして、気持ちに火がつく。
体はボロボロ、高熱が続く。唯々必死に
走り続け、山頂に到着。いつもと変わらぬ
時刻だったという。
御仏に対してただ清く正しくありたいと
いう願いから、痛みや血尿、台風と崖崩れ、
雷、まむしやヤマダニ、アブなどの虫、
亡霊、とっさのことから身を守り、知恵を
重ね、乗り越えていく。
自然との闘いだ。
その後、大自然の中のかけがえのない
一員だと気づく。
自然に逆らわない自分自然を受け入れた
歩き方を体得されたという。
「謙虚、素直、謙虚、素直・・・。」
と心の中で唱えながら軽やかに、明るく、
幼子のように歩いている自分を発見。
その日のことはその日にする。
そのために私は、自分に十の力があれば
十を出し切ることを心がけるようになったと。
こうやって綴っていても、目は潤み、鼻水
も・・・。
共感を越えたものを感じながら・・・。
高久宿 : 高 福 寺
2017(平成29)年6月2日 9:39~
高福寺は、黒羽領の大名主高久家の菩提寺
で、芭蕉は高久覚左衛門の家に2泊したそう
だ。


本殿

句碑には、高久村庄屋の家にやりとりて
落くるや たかくの宿の 時鳥 翁
木の間をのぞく短夜の雨 曾良
大正2年(1913)6月建立
と刻印されていた。

平成29年11月5日(日)
「砂をかむような思い」?
あっただろうかと、思い起こす。
数回あったかな?
でも、朝起き出したら、そこから脱して
いた。
良潤さんの母親の送る言葉。
「どんなに辛くとも苦しくとも、岩にし
がみついてでも、砂をかむような思いをし
てでも、立派になって帰ってきなさい。」
495日目、小石につまずいて地面にたた
きつけられ、起き上がる力も残っていない、
短刀で腹を切るしかないと覚悟を決めた
時に、この母の言葉が浮上。
「まだ砂をかんでいない。」
目の前にあった砂を舐めてかむ。
かめばかむほどとても変な感触を味わう。
それが狂気から正気へ。
「もう一度みんなのために!」
何とか立ち上がり、ふらふらになりなが
ら涙と鼻水を流し、ボロボロになって歩き
出されたそう。
そして、気持ちに火がつく。
体はボロボロ、高熱が続く。唯々必死に
走り続け、山頂に到着。いつもと変わらぬ
時刻だったという。
御仏に対してただ清く正しくありたいと
いう願いから、痛みや血尿、台風と崖崩れ、
雷、まむしやヤマダニ、アブなどの虫、
亡霊、とっさのことから身を守り、知恵を
重ね、乗り越えていく。
自然との闘いだ。
その後、大自然の中のかけがえのない
一員だと気づく。
自然に逆らわない自分自然を受け入れた
歩き方を体得されたという。
「謙虚、素直、謙虚、素直・・・。」
と心の中で唱えながら軽やかに、明るく、
幼子のように歩いている自分を発見。
その日のことはその日にする。
そのために私は、自分に十の力があれば
十を出し切ることを心がけるようになったと。
こうやって綴っていても、目は潤み、鼻水
も・・・。
共感を越えたものを感じながら・・・。
高久宿 : 高 福 寺
2017(平成29)年6月2日 9:39~
高福寺は、黒羽領の大名主高久家の菩提寺
で、芭蕉は高久覚左衛門の家に2泊したそう
だ。


本殿

句碑には、高久村庄屋の家にやりとりて
落くるや たかくの宿の 時鳥 翁
木の間をのぞく短夜の雨 曾良
大正2年(1913)6月建立
と刻印されていた。
