出たとこ勝負?
平成29年11月8日(水)
「四無行」?
9日間、「断食、断水、不眠、不臥」を
することだそう。
「食わず、飲まず、寝ず、横にならず」を、
9日間続けるのだそう。
今の今までそんな難行があるとは・・・?
4つの中で、3日間ぐらいなら学生時代やっ
たことはある。
しかし、それは修行ではない。金欠病とい
う貧しさのためと読書好きからきたもの。
それでも、白湯だとか、お茶などは飲んで
いたなあ。
夢中になることがあるということは狂気へ
の道に通じることもある。
亮潤さん、千日回峰行を終えた1年後に、
四無行に。
そのための体作り、コンディションづくり
は、やはり周到。
仲間から、
「いつものでたとこ勝負で!」
と終になるかもしれない励まし。
「よっしゃ、頼むわ!」
浄衣といわれる死出装束に身を包み、師匠に
挨拶に。
喜怒哀楽もない無心の気持ちだったそう
です。
生きて成就する確率は、50%。
「もし、神仏が利他のための行を必要とせぬ
と判断されたならば、皆様方とは永遠の別れ
に・・・」
と、生き儀式を行い、最後の晩餐。
お不動様の御真言と蔵王権現の御真言を
十万遍ずつ唱えなければならないのも課題
だそう。
そして、この行も満行される。
やはり、断水が一番辛かったと、具体的に
話されました。
そして、最後の自分の我意の克服。
「どうしても受け入れられない人が一人いる
自分」を克服。
自分の苦しみだったその人と再会する。
そして、相手の心に踏み込む優しい言葉をか
ける。
その瞬間、相手の気持ちもほぐれたそう。
すかさず、相手に厭な思いをさせていたこ
とを懺悔して謝罪されたそうです。
人と人との心をつなげるのは、やはり技
術や経験ではない。人を思い遣るやさしい心
やさしい言葉なんだと確認される。
怨憎会苦からは逃れられない人の世、
ありのままに受け入れて、常に素直に感謝、
心豊かに日々を過ごしていくことだと、
私も再確認する講話でした。
長らくのお付き合い、
ありがとうございました。
高久宿 : 高 福 寺 その2
2017(平成29)年6月2日 9:39~
高福寺の参道を歩いて行くと、山門手前
左手に七福神が一堂に会していた。
そして、一体一体がきちんと整列。
七福神を参拝すると、七つの災難が除かれ、
七つの高福が授かるという信仰。
農民や漁民の信仰として今もなお生き続け
ている。
私は、それぞれの神様の風体や表情が大好き!
これも蕉道の副産物としての福徳だ。
ここは、高久宿の高福寺。七福神が一堂に。
平成29年11月8日(水)
「四無行」?
9日間、「断食、断水、不眠、不臥」を
することだそう。
「食わず、飲まず、寝ず、横にならず」を、
9日間続けるのだそう。
今の今までそんな難行があるとは・・・?
4つの中で、3日間ぐらいなら学生時代やっ
たことはある。
しかし、それは修行ではない。金欠病とい
う貧しさのためと読書好きからきたもの。
それでも、白湯だとか、お茶などは飲んで
いたなあ。
夢中になることがあるということは狂気へ
の道に通じることもある。
亮潤さん、千日回峰行を終えた1年後に、
四無行に。
そのための体作り、コンディションづくり
は、やはり周到。
仲間から、
「いつものでたとこ勝負で!」
と終になるかもしれない励まし。
「よっしゃ、頼むわ!」
浄衣といわれる死出装束に身を包み、師匠に
挨拶に。
喜怒哀楽もない無心の気持ちだったそう
です。
生きて成就する確率は、50%。
「もし、神仏が利他のための行を必要とせぬ
と判断されたならば、皆様方とは永遠の別れ
に・・・」
と、生き儀式を行い、最後の晩餐。
お不動様の御真言と蔵王権現の御真言を
十万遍ずつ唱えなければならないのも課題
だそう。
そして、この行も満行される。
やはり、断水が一番辛かったと、具体的に
話されました。
そして、最後の自分の我意の克服。
「どうしても受け入れられない人が一人いる
自分」を克服。
自分の苦しみだったその人と再会する。
そして、相手の心に踏み込む優しい言葉をか
ける。
その瞬間、相手の気持ちもほぐれたそう。
すかさず、相手に厭な思いをさせていたこ
とを懺悔して謝罪されたそうです。
人と人との心をつなげるのは、やはり技
術や経験ではない。人を思い遣るやさしい心
やさしい言葉なんだと確認される。
怨憎会苦からは逃れられない人の世、
ありのままに受け入れて、常に素直に感謝、
心豊かに日々を過ごしていくことだと、
私も再確認する講話でした。
長らくのお付き合い、
ありがとうございました。
高久宿 : 高 福 寺 その2
2017(平成29)年6月2日 9:39~
高福寺の参道を歩いて行くと、山門手前
左手に七福神が一堂に会していた。
そして、一体一体がきちんと整列。
七福神を参拝すると、七つの災難が除かれ、
七つの高福が授かるという信仰。
農民や漁民の信仰として今もなお生き続け
ている。
私は、それぞれの神様の風体や表情が大好き!
これも蕉道の副産物としての福徳だ。
ここは、高久宿の高福寺。七福神が一堂に。