せごどんの真意と気遣い
平成30年11月3日(土)
今朝は、青梅市の産業祭に
一人で出かける。
葱やお茶,鯛飯や鰻丼が一押し。
ビオラなどの花苗もよく、いろんな
楽しみ方もできる。
急用もでき、買い物をして、11時に
帰宅。
用を足して、新潟の護国神社参拝。
2017(平成29)年 7月20日 10:47~
鳥羽・伏見の戦いから始まった
戊辰戦争は、新潟市も例外なく
激しい戦場と化した。
西軍(薩摩、長州ら新政府軍)と
東軍(米沢、会津、庄内)の両軍に
多数の戦死者が出て尊い命が失われた。
1868年(明治元年)の10月に、
新政府軍(西軍)側戦死者の墓碑を
常磐ケ岡(旧新潟大学本部の跡地)に
設置され、戊辰戦争の戦没者415柱を
祀って社殿を造立し新潟招魂社として
祭られた。
本殿参拝
1941年(昭和16年)7月新潟招魂社
から護國神社と改称し、1945年(昭和20年)
5月に西船見町に移転、
1985年(昭和60年)旧新潟大学本部跡地
から東軍戦死者のものと思われる92体分
の遺骨が発見され、護國神社敷地内にある
「戊辰役殉難者墓苑」に埋葬さ れて、
1987年(昭和62年)に「戊辰役東軍慰霊碑」
を建てた。
戦争は醜く、むごい。
いろんな人などの慰霊碑も林立。
敵であった西郷の人としての、
気遣いなど,この地方でもせごどんを
祀っている家々もあるという。
さあ、芭蕉の所へ急ごう。