善心に還る天女の称号
平成30年11月13日(火)
今朝は弥彦村へ。
宝光院
弥彦神社の北隣に位置する宝光院。
まず、参拝!
鎌倉時代に創建された真言宗の寺院。
御本尊は大日如来。
境内の裏には「婆々杉」という古木があり、
この杉には弥彦の悪鬼にまつわる
伝説が語り継がれている。
樹齢約千年の杉の巨木で、一般には婆々杉
とよばれ、弥三郎婆さの伝説を伝えている。
目通り周10メートル、樹高約40メー
トルで樹勢きわめて盛んである。
【妙多羅天女と婆々杉伝説】
<今から900年以上前の承暦3年
(1079)弥彦神社造営の際、
上梗式奉仕の日取りの前後について、
鍛匠(鍛冶屋)黒津弥三郎と工匠
(大工棟梁)の争いとなった。
これに負けた弥三郎の母(一説に祖母)
は無念やるかたなく、恨みの念が昂じて
鬼となって、形相ものすごく雲に乗って
飛び去った。
それより後は、佐渡の金北山、
蒲原の古津、加賀の白山、越中の立山、
信州の浅間山と、諸国を自由に飛行
して悪行の限りをつくし、
「弥彦の鬼婆」と世人に恐れられた。
それから80年の歳月を経た保元元年
(1156)、当時弥彦で高僧の評判高か
った典海大僧正が弥彦の大杉の根元に
横たわる一人の老婆を見つけ、
悪行を改め、本来の善心に立ち返る
よう説得し、さらに秘密の印璽を授け
「妙多羅天女」の称号を与えたところ
改心した。
その後は神仏、善人、子どもの守護
に尽くしたので、村人はこの大杉を
「婆々杉」と呼ぶようになった。>
という。
境内には,もう一つ。
元禄2年7月3日、芭蕉と曽良が
宿泊した場所。
曽良随行日記に(三日快晴。新潟ヲ立。
申ノ下刻、弥彦ニ着ス。宿取テ、
神へ参拝。)と記載されている。
句碑は、
「荒海や 佐渡に横たふ 天乃河」
芭蕉の句碑。
句碑の説明