顔の処が芒の穂?
平成30年11月7日(水)
天平文化の粋を集めた
正倉院に、波立つ水面に
浮かぶ島々、島で生きる人々の
点景が麻布に墨で描かれた
山水図があるという。
素人ぽいと観た吉川英治は、
<千二百年前の漁村に引き戻されて
・・・天平の庶民の一人にいつか
自分がなっている。>
とも記述。
庶民の営みが伺えることはこの
上ない楽しみでもある。
天平以降を顧みて吉川英治は、
「文明は、・・・知恵の混迷の一途を
辿ってきたかもわからない」
と。
混迷と分断が深まっていく現実を
想うと共感する部分もある。
今朝は、小野小町に会いに!
林 徳 寺 へ。
10月10日 12:25~
本殿前に鐘楼門。
先ず、参拝。
参拝の時、帽子を脇に挟んだのを
落としたよう。墓参の年配のご夫婦が
車まで届けて下さる。
有難し!
鐘楼門も珍しい!
親鸞上人像が
何とも映えるお寺の印象。
本堂左側の墓地を背に、右側に新碑、
左側に旧碑の2基が立っている。
200年ほど前に建てられた旧碑
が風化して読みにくくなったため、
1988年の秋に同じ句を右横に
再建されたそうだ。
句は、芭蕉が「おくのほそ道」の途次
で林徳寺に立ち寄った際の作。
1803(享和3)年の火災で一切の
資料が消失してしまったと碑裏に記載。
新碑の文字はもともと林徳寺にあった
もので筆者は不明。
「稲妻や 顔の処が 芒の穂」
というのが、芭蕉の句。
※美しい姿で舞っていると見るうちに、
稲妻が一閃すれば顔の所が芒の穂
(小野小町の骸骨が詠んだという歌を
ふまえている。)だったという意。
「人生は髑髏(どくろ)の舞の如し」
との観念句。
十月のことばも民話の絵と味わい
深い。
ほんとにありがとう!!