越路の泡
平成30年12月9日(日)
今朝も、市振へ。
芭蕉と曾良には似ていない旅人の
健脚姿に、ちょっと悲壮感が漂って
いる天険親不知。
青海町の天険だ。親不知。
今はコミュニティーロードとなっている。
駐車場も広くとってある。
親不知・子不知は、高さ300m〜400mの
急崖が約15kmにもわたって続く、
北陸道最大の難所。
親子を顧みる余裕もないほどの険しさ
から、親不知・子不知の名があるとか。
平安時代末、平清盛の弟、池中納言・
平頼盛が、越後五百刈村(現在の長岡市)に
落ち延びた際、夫の後を慕って、ここを通り
かかった夫人が、2歳の愛児をふところから
落として波にさらわれてしまったという。
その時、詠んだ歌が、
「親不知 子はこの浦の 波枕
越路の磯の 泡と消え行く」 。
明治16年に断崖を削って初めて
国道が開通し、明治45年に北陸本線が
開通したそうだ。
その後、国道8号、北陸本線とも
新ルートとなったため、明治16年
開通の国道8号の旧道が、
「親不知コミュニティロード」として整備。
旧北陸本線のトンネルも、
「親不知レンガトンネル」として保存整備され、
周回できるハイキングコースになる。
今回そこを訪ねることができ、暫し興奮!
「青海八景」から親不知の岸壁添いを、
まず楽しむ。
親不知を詠んだ句碑もあり。
こんな所に、かっこいい像あり。
これが、ウォルター・ウエストン(Walter Weston)
の像!
ウォルター・ウェストン(Walter Weston,
1861年12月25日-1940年3月27日)は、英国の宣教師。
そして、登山家。
日本に3度長期滞在した。
日本各地の山に登り『日本アルプスの登山と探検』
などを著し、日本アルプスなどの山及び当時の
日本の風習を世界中に紹介した。
ウェストンは、日本アルプスの起点は、
親不知として糸魚川を訪れている。
「海のウエストン祭」が、地元の有志によって、
毎年行われているという。
上高地等も、この人の尽力に依る。
ちょっと一休み。