伊豆の玄関口
令和元年7月18日
昨日は、久し振りにお日様と
青空がひょっこり!
大急ぎで部屋干しの洗濯物を
日干しに。布団も日干し。
夕方道路の草刈りと
太陽とともに満喫。
3時間以上の記録だ。
令和元年7月の珍事。
三島大社総門より詣る。
二度目の参拝。
この総門は、竣工中に伊豆地震
に見舞われ、昭和6年に竣功。
旧総門は、一部改修し、芸能殿
として保存される。
ご祭神は、大山祇(おおやまつみ)命と
積(つみ)羽(は)八重(やえ)事代(しろ)
主神(ぬしのかみ)の御二柱の神を
総じて三嶋大明神と称する。
創建の時期は不明。
古くより三島の地に鎮座し、
奈良・平安時代の古書にも記録が
残っている。
三嶋神は東海随一の神格。
平安時代中期「延喜の制」では、
「名神大」に列格され、社名・神名
の「三嶋」は、地名ともなる。
中世以降、武士の崇敬、
殊に伊豆に流された源頼朝は
深く崇敬し、源氏再興を祈願。
神助を得てこれが成功するや、
社領神宝を寄せ益々崇敬され、
その神宝の中でも、頼朝の妻、
北条政子の奉納と伝えられる
国宝「梅蒔絵手箱 及び 内容品
一具」は、当時の最高技術を
結集させたものとして知られて
いる。
頼朝旗揚げ成功以来、武門武将の
崇敬篤く、又、東海道に面し、
伊豆地方の玄関口として
下田街道の起点に位置し、
伊豆国 一宮として、
三嶋大明神の称は広く天下に
広まっていく。
境内ガイドを参照し、道一つ
離れてある伊豆魂神社へ。
社殿。
芭蕉句碑は社殿右に。