売り上げに木の葉!
令和2年9月2日(水)
伝通院の学寮(栴談林といって修行する処)
に、沢蔵司という修行僧がいた。
僅か三年で浄土宗の奥義を極め、
元和6年(1620)5月7日の夜、
学寮長の極山和尚の夢枕に立つ。
「そもそも余は千代田城の内の稲荷
大明神である。かねて浄土宗の勉学を
したいと思っていたが、多年の希望を
ここに達した。
今より元の神に還るが、永く当山を
守護して、恩に報いよう。」
と告げて、暁の雲に隠れたという。
そこで、伝通院の住職廓山上人は、
沢蔵司稲荷を境内に祀り、
慈眼院を別当寺とする。
江戸時代から参詣する人が多く繁栄。
「東京名所図会」には、
「東裏の崖下に狐棲(狐の棲む)の洞穴
あり」とある。
今も霊窟と称する窪地があり、
奥に洞穴があって、稲荷が祀られている。
伝通院の門前の蕎麦屋に、沢蔵司は
よく出かける。
彼が来た時は、売り上げの中に
必ず木の葉が入っている。
主人は、沢蔵司は稲荷大明神と察知。
毎朝「お初」の蕎麦を供え、稲荷蕎麦
と称する。
また、すぐ前の善光寺坂に椋の老樹が
あるが、これには沢蔵司が宿っていると
いわれる。
道路拡幅の時、道を二股にし避けて
通るようにする。
慈眼院、続く!