深川 採茶庵(さいとあん)
平成29年2月15日 11:30~
海辺橋南詰 深川1-9
芭蕉は、元禄2年3月27日(1689)
採茶庵(さいとあん)から「おくの細道」の
旅に出発したのだ。
当時は、仙台堀(仙台藩の蔵屋敷があった
ことから仙台堀と呼ばれ、現在の仙台堀川の
こと)に浮かぶ船に乗り、隅田川を遡って
千住まで。
『おくの細道』が生まれていくのだ。
採茶庵は、芭蕉の門人、杉山杉風
(さんぷう)の別宅である。
芭蕉は「奥の細道」の旅に出る前に、それ
まで住んでいた隅田川と小名木川の合流地点
の岸辺にあった芭蕉庵を手放し、門人、杉山
杉風(さんぷう)の別宅に厄介になる。
採荼庵に芭蕉を住まわせた杉風は、日本橋
で幕府御用の魚問屋を営み、豊かな経済力で
芭蕉の生活を支えていたのである。
採茶庵の標柱
採茶庵
芭蕉翁ご出立
平成29年2月15日 11:30~
海辺橋南詰 深川1-9
芭蕉は、元禄2年3月27日(1689)
採茶庵(さいとあん)から「おくの細道」の
旅に出発したのだ。
当時は、仙台堀(仙台藩の蔵屋敷があった
ことから仙台堀と呼ばれ、現在の仙台堀川の
こと)に浮かぶ船に乗り、隅田川を遡って
千住まで。
『おくの細道』が生まれていくのだ。
採茶庵は、芭蕉の門人、杉山杉風
(さんぷう)の別宅である。
芭蕉は「奥の細道」の旅に出る前に、それ
まで住んでいた隅田川と小名木川の合流地点
の岸辺にあった芭蕉庵を手放し、門人、杉山
杉風(さんぷう)の別宅に厄介になる。
採荼庵に芭蕉を住まわせた杉風は、日本橋
で幕府御用の魚問屋を営み、豊かな経済力で
芭蕉の生活を支えていたのである。
採茶庵の標柱
採茶庵
芭蕉翁ご出立
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