令和4年11月17日(木)
第43番 西予市:
明石(めいせき)寺
当寺は、「めいせきじ」と呼ぶ。
当寺は、「めいせきじ」と呼ぶ。
「あかしじ」ではない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/11/21ee1d40f6eccfa58d1c8d8be29e153d.jpg)
欽明天応の勅願により、
行者・円手院正澄が
千手観世音菩薩を安置。
七堂伽藍を建立したのが始まり
と伝えられている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/64/3ee733061d1fbecccadf211e7ae36fca.jpg)
天平六年(734)には、
寿元行者が紀州熊野から
十二社権現を勧請し、
十二坊を 建てて修験道場となる。
弘仁十三年(822)、
嵯峨天皇の勅願により、
弘法大師が荒廃した伽藍を再興して、
四国霊場に定める。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/f8/26f757e6febe7fb5617ed0ba513fc79d.jpg)
建久五年(1194)には、
源頼朝が命の恩人である池禅尼の菩提を
弔うため、
阿弥陀如来像を安置。
経塚築いて堂宇を再興し、
経塚築いて堂宇を再興し、
山号を「源光山」と改める。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/e6/29b5ce2db00b7ecc83fbc33426e48453.jpg)
室町時代には西園寺氏の祈願所となり、
寛文十二年(1672)に、
宇和島藩主・伊達宗利が
菩提寺として現在の御堂を建立。
仁王門の右手に延命地蔵堂があり、
仁王門の右手に延命地蔵堂があり、
尊像は子育てと病気平癒祈願のご利益を
授かる仏様。
特に耳の病に霊験があり、
産後の母乳もよく出ると、
昔から信仰されている。
地元では、「あげいしさん」
地元では、「あげいしさん」
と親しまれる明石寺。
その昔、
その昔、
若く美しい娘が深夜に願をかけながら
大きな石を運んでいた。
大きな石を運んでいた。
ところが、天邪鬼が鶏の声を真似て
鳴いたのを夜明けと思い驚き、
消え去ってしまう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/95/807a8b400563c10f11f5ed34c3cb9826.jpg)
この女性は千手観世音菩薩であると
伝えられ、ご詠歌の
「聞くならく 千手の誓いの
「聞くならく 千手の誓いの
不思議には
大磐石も かろくあげいし」
もこの故事から来ている。
本堂の屋根は、珍しい茶系の釉薬瓦。
正面に出鼻獅子、
もこの故事から来ている。
本堂の屋根は、珍しい茶系の釉薬瓦。
正面に出鼻獅子、
左右にバク、
中央に龍を配し、
懸魚の鳳凰が見事。
懸魚の鳳凰が見事。
大師堂、仁王門ほか八棟が
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/ca/17e524d29af0faab032c7b42df3913ad.jpg)
登録有形文化財の指定を受けている。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます