令和4年11月16日(水)
<雄島編 3>
島の南端には、
頼賢の碑が六角形の鞘堂の中に
納められている。
頼賢堂
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/02/8b7bf8d43f344a72367cf699017b9a33.jpg)
ここに22年間住み、
その間ついに一歩も島を出なかったという
僧の頼賢は見仏上人の再来と崇められる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/7f/39efb2c6476841a6459fbff920570f35.jpg)
高さ3メートルの碑の表面には、
まわりに雷文と唐草が施され梵字とともに、
「奥州御島妙覚庵」
「頼賢庵主行実銘並序」
の文字が刻まれている。
頼賢の碑
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/c7/2278002cca50017eae578f8ae04551eb.jpg)
頼賢の碑説明
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/84/7c23f336f9b9c6dc548fc0961cb0e94c.jpg)
本文は、頼賢の徳を讃えたもので、
松島の古い時代の様子も記載されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/7e/7ea0a9820d6f1db5d8ab5d1a1255fecf.jpg)
北の端にある「妙覚庵敷」は、
見仏上人の修行する場所(見仏堂跡)。
享保17年(1732)になって、
享保17年(1732)になって、
僧良哉が一庵を建て、
六時念仏の道場にしたいと懇願したのに応え、
瑞巌寺第105代天嶺性空が、
三万人からの布施を集め建立する。
その後、荒廃して建て直される。
最後の堂宇は瑞巌寺に移築され、
近年まで執事寮として使用されていた。
<津波の痕跡>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/f6/ba532c291e1f9e91af1d65cc2ac0ee05.jpg)
雄島を訪れる人は、
私を含め数名。
見応えのある島のひとつという印象。
<雄島からの絶景>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/8c/2becfb44304fbb7942bfa5f5b2c3ca87.jpg)
雄島から見る松島の島々も、
これまた美しい!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/c1/be673cb383b67f469f4802fc79938dc5.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/cc/981052616137776b6ca3a437c8ed0982.jpg)
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