14年前。。。
愛知県 で知り合った・・・ 恩師。。
本当は・・・ 3月10日 で貰いたかったんだけど、、 と、 S井さん(コンディショニング・ケア 共栄 を 豊川市で行っています! コンディショニング・ケア の名称は “暖簾分け” です。。) から 結婚式 まえに頂きました。。 当時・・・ デンソー でトレーナーを行っていた関係で、、、 ソフトボール 往年の名ショート 安藤 美佐子選手 に頂いた来てくれました。。
2014年 3月9日。。。
今年は、、、 この “日” に還りました!! ・・・ まぁ、、 初心に帰る くらいのもんです。。
まぁ、、 人生いろいろ です。。
9日 月曜日。。。
11:00~12:30 大田区 西馬込 出張ケア コンディショニング・ケア S濃さん
14:20~15:50 江東区 辰巳 出張ケア コンディショニング・ケア T野さん
1号線。。
今月から・・・
毎週 月曜日 に、、 S濃さんのところへ ケア へ伺っています。。
先月の 定期日曜 から 3週目 になりますが・・・ 圧迫骨折 からくる 姿勢 もだいぶ まっすぐ になってきたような感じです。。
なので・・・
今日は、、 肩甲骨周り & 脚 に + して、、 首、 骨盤 も含め、、 じっくり・・・ 施術しました。。
終了後は、、、、
目線 がまた高くなった! と、、 よろこんでおられました。。
午前中から始めたので、、、、、
いつもの 散らし寿司 もいただきました。。
そして・・・
辰巳へ、、、
2ヶ月ぶりだったので・・・
もう、、 転ばぬ先 にも 復帰 したので、、、 もう ケア は終わりかな?? って思ってましたが・・・
花粉症 で、、、 鼻 が出て迷惑かかるかも、、、 って思って。。。
まぁまぁ、、、 ムリしないでいいのに・・・
基本、、 下向いて(うつ伏せ) は・・・ 鼻水 出やすいですし、、、 ボディケア やってると、、 決して珍しいことではないですからね。。
膝の調子は・・・
右脚はほぼ 治って(といっても、、 こちらは 悪い左脚 につきあって悪くなっていた。。)、、だいぶ良いけれど、、、、、
左脚は まだ 痛く 正座 は出来ないし、、 お風呂の中では出来るけれど・・・ 痛い。。 と、、、、、
腰も・・・ たまに痛み を感じるというので、、、 筋肉 のつながり を意識しつつ、、、 全体性の法則 に則り、、 首 → 肩甲骨 → 骨盤&股関節 → 膝 → 足首 と、、 じっくり ほぐし ていきました。。
関節機能 的に視ると・・・ もうだいぶ回復していると思います。。ただ・・・
体重 をのせて 動いたり、、 日常生活動作 を行うことに・・・ 脳 が怖さ を感じているじゃないかなぁ??
終了後は、、、
どうですか?? 普段出来ない 動き をやってみてください。。
軽く、、 膝の曲げ伸ばし をやっているので・・・ 正座してみて。。
すると・・・
あれ?? 痛くない。。 でも、、 手をついてるから、、、、
(おっかなびっくり 離しても) あれ? 痛くない?? やったばかり(ケアを・・・)だからかな??
それは・・・ あるね。。 でも、、 だいぶ良くなっている 証 だから、、、 まずは、、 大丈夫! を少しずつ増やしていくことです。。
うん。。 もう少しですね。。
読み終わり&読んでいる 本 。。
腱引き はなかなかおもしろいですね。。
翔ぶが如く を 1巻 しか終えていないんですが・・・
以前から 興味 があった・・・ 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか を 読み始めて しまいました。。。
まだ、、 プロローグ を終えてちょっとしか進んでませんが・・・
柔道家 の 端くれ ですから・・・ 木村政彦先生 のことは いろいろ聞いていたのですが、、、 もう 端から 目新しい情報 が満載でした。。
むかし・・・
空手バカ一代 という マンガ があったのですが、、 梶原一騎氏 が書いていた内容だと、、 木村政彦 VS 力道山 は 引き分け というストーリーは決まっていて、、 面白くするために??(ここはちょっと経緯を忘れましたが・・・) 金的 を 木村 が入れたところ、、 力道山 の怒りをかい・・・ ボコボコ にやられた。。
というような記憶だったのですが・・・
引き分け (実際は・・・ 4戦行い、、 引き分け 2つ 続けた後、 力道 1勝 木村1勝 という ストーリー だったらしい。。)ストーリー は同じだったのですが、、 経緯 はちょっと違い、、 力道山 は端から 一戦目 から隙をねらって ぶっ飛ばす 的な感じ、、いわゆる だまし討ち だったらしい。。。
それに・・・ 再戦 には一切応じず、、、 勝ち逃げ をきどり、、 木村先生 を 奈落の底(日本国民からの評判 & 柔道界から) へ 落としてしまった。。という感じです。。。
う~ん??
グレーシー柔術 さえ 敵わなかった 木村先生 を畏れてのこと。。 当時 は、、 空手 や ボクシング さえ練習に取り入れ、、 柔道の当身 も復活させていたようですから、、 その 打撃技 も恐れ、、 空手チョップ はありだが、、 木村側 は投げ技のみ という厳しいルール。。
八百長 だからこそ・・・ 受け入れたルール。。 八百長だからこそ・・・ テキトー な準備をしてしまった??
そして・・・
もう ひとつ 意外だったのは・・・
柔道創始者 嘉納治五郎先生 は・・・ 柔道 の 当身なしの 乱捕り を奨励していなかったということ。。
柔術 から 当身 をとり除き、、、 より スポーツ化 を推進 していた。。 と聞いていましたが、、 そうではなく、、 武道・武術 として 柔道 は成立しなくなるとして、、 危惧 していた。。 という事実!!
オリンピック競技 にも 率先して 柔道 を採用しなくても・・・ 良かったと、、あくまで 武道 として 世界にうってでたかったという 本心 。。
ちょっと・・・
はまりそうです。。
武術家 を 目指すものとして・・・
学ばせてただきます。。