☆・・・非常に、色々と考えさせられる作品だった。
大戦末期の、かつての現役のヒトラーが現代のドイツにタイムスリップ、まったくもってヒトラーそのままに、周囲からは新進のコメディアンと勘違いされ、名声を広めていく。
物語の当初は、現在ドイツにおいては異質なヒトラーが、カルチャーギャップの中、突き進んでいく落差が面白いのかと思いきや、それを受け入れるマスコミも、ちょっとコメディタッチで描かれるので、変化が少ないなと思ったのだが、
次第に、ヒトラーは市井のドイツ人の中に進み、その心に入っていく。
その様は笑えつつ、薄ら寒くもなってくる。
・・・人は、自分が最高の安定状態にあらねば、人に幸せを分かち合うことなどはできず、そして、ほとんどの人は、けして満ち足りることはない。
故に、移民問題に代表される「幸せの分かち合い」などは、絶対的に途中で精神的な破たんを来たす。
そして、そういった局面に、心の中の悪意(人間の根源的な善意と等価のもの)が、外界のヒトラー的な存在と共調してしまうという、根源的なテーマが語られる。
人間が人間であるにおいて、局所的(個人レベル)では成功しても、国家的には破たんをきたす「幸せの分かち合い」とは、共産主義のことでもある。
不完全な人間に、究極の潔癖思想を当てはめるとき、世界には虐殺が起き、その反作用として、ヒトラーの行なったような虐殺も起きるのだ。
PS.この作品のヒトラーは、私がかつて「バカ弟子」を名乗っていたドイツ文学者でもある評論家・西尾幹二にクリソツであった^^;
(2016/07/20)