☆元の映像化はテレビドラマで、私は、20年前くらいに、TBSの開局○周年だかの特別番組で、そのフランキー堺主演版のダイジェストを見た。
その番組では、筑紫哲也の正統な後継者っぽい関口宏(^^;)が、TBSの社是に沿った左翼的な括りで紹介していたと思う。
私は、この、やや極端すぎる物語性にアクの強さを感じていたので、今回の映画版をあまり見る気はなかったのだが、ふと、思い立って見てみた。
主演の中居正広は、顔が全然違うのに、序盤の表情がフランキー堺にそっくりであった^^;
美術(四国の小さな町、東京の焼け野原など)が素晴らしく、そこにリアリティが宿っているので、物語も引きずられて、いい出来になっていた。
今回の映画版は、ほとんど左翼臭もなかった。
まあ、元々、物語のプロットは、戦争の悲劇しか抽出できない。
この物語に左翼臭を探すような右翼は、『明日への遺言』に対しても、同様の思いを抱くのだろう。
世の中の物事が、全て、自分の思想に都合よく進むとは思わないで欲しいものだ。
◇ ◇
私は、主人公の兵隊時代から物語が始まるのかと思いきや、その前の、家族との団欒の時間から、更には回想で、妻(仲間由紀恵)との馴れ初めが描かれるので驚いた。
つまり、これは、夫婦、小さな家族の物語なのだな・・・。
だから、冤罪で軍事裁判にかけられた夫の経過とともに、妻の助命署名嘆願の困難も描かれたりする。
この、署名嘆願の雪中の道行きも、「いくらなんでもやりすぎだろ^^;」の一歩手前で踏み止まる演出であった。
だが、クライマックスの大どんでん返しの悲劇の演出は容赦なかった。
『フランダースの犬』よろしく、結末に悲劇が待っているのは分かっていたが、こんな「サドンデス」な展開だとは思っていなかった。
また、久石譲の音楽が、これでもかと盛り上げる。
この人、『ハウルの動く城』でも思ったけど、ワルツは絶品だね。
この作品でも、クルクルと運命に翻弄される主人公をワルツ風のBGMでよく表現していた。
◇ ◇
ただ、なあ・・・。
この物語の主人公だが、どうしても個人主義に思えてしまう。
いや、最終的に、全体(お国)のレベルに達観せよ、と言ってるのではない。
死ぬ間際になっても、「私は深い深い海の貝になりたい」などと<自分のこと>だけを考えているのが、どうにもなあ。
そんな遺言を渡された家族の不愉快さったらない。
せめて、「私は雲になって、お前らを空からずっと見守っているよ」ってのが、現実的な個人(それでも家族込み)レベルであろう。
この物語は「創作」なのである。
原作者は、70年代後半まで生きていて、病死している。
生きている人間が書いた遺書なのである。
死にゆく人間ならば、「貝になりたい」なんて、ネガティブなことは言うまい。
◇ ◇
PS.前述の『明日への遺言』と言い、『南京の真実・第一部「七人の死刑囚」』と言い、今年は、巣鴨プリズンのセットを何度も見ることになった。
いっそのこと、今後は、使い回しをすれば、製作費が安く上がって、東京裁判の欺瞞を打ち破るのに役に立つと思うのだが。
(2008/12/09)
その番組では、筑紫哲也の正統な後継者っぽい関口宏(^^;)が、TBSの社是に沿った左翼的な括りで紹介していたと思う。
私は、この、やや極端すぎる物語性にアクの強さを感じていたので、今回の映画版をあまり見る気はなかったのだが、ふと、思い立って見てみた。
主演の中居正広は、顔が全然違うのに、序盤の表情がフランキー堺にそっくりであった^^;
美術(四国の小さな町、東京の焼け野原など)が素晴らしく、そこにリアリティが宿っているので、物語も引きずられて、いい出来になっていた。
今回の映画版は、ほとんど左翼臭もなかった。
まあ、元々、物語のプロットは、戦争の悲劇しか抽出できない。
この物語に左翼臭を探すような右翼は、『明日への遺言』に対しても、同様の思いを抱くのだろう。
世の中の物事が、全て、自分の思想に都合よく進むとは思わないで欲しいものだ。
◇ ◇
私は、主人公の兵隊時代から物語が始まるのかと思いきや、その前の、家族との団欒の時間から、更には回想で、妻(仲間由紀恵)との馴れ初めが描かれるので驚いた。
つまり、これは、夫婦、小さな家族の物語なのだな・・・。
だから、冤罪で軍事裁判にかけられた夫の経過とともに、妻の助命署名嘆願の困難も描かれたりする。
この、署名嘆願の雪中の道行きも、「いくらなんでもやりすぎだろ^^;」の一歩手前で踏み止まる演出であった。
だが、クライマックスの大どんでん返しの悲劇の演出は容赦なかった。
『フランダースの犬』よろしく、結末に悲劇が待っているのは分かっていたが、こんな「サドンデス」な展開だとは思っていなかった。
また、久石譲の音楽が、これでもかと盛り上げる。
この人、『ハウルの動く城』でも思ったけど、ワルツは絶品だね。
この作品でも、クルクルと運命に翻弄される主人公をワルツ風のBGMでよく表現していた。
◇ ◇
ただ、なあ・・・。
この物語の主人公だが、どうしても個人主義に思えてしまう。
いや、最終的に、全体(お国)のレベルに達観せよ、と言ってるのではない。
死ぬ間際になっても、「私は深い深い海の貝になりたい」などと<自分のこと>だけを考えているのが、どうにもなあ。
そんな遺言を渡された家族の不愉快さったらない。
せめて、「私は雲になって、お前らを空からずっと見守っているよ」ってのが、現実的な個人(それでも家族込み)レベルであろう。
この物語は「創作」なのである。
原作者は、70年代後半まで生きていて、病死している。
生きている人間が書いた遺書なのである。
死にゆく人間ならば、「貝になりたい」なんて、ネガティブなことは言うまい。
◇ ◇
PS.前述の『明日への遺言』と言い、『南京の真実・第一部「七人の死刑囚」』と言い、今年は、巣鴨プリズンのセットを何度も見ることになった。
いっそのこと、今後は、使い回しをすれば、製作費が安く上がって、東京裁判の欺瞞を打ち破るのに役に立つと思うのだが。
(2008/12/09)
『明日への遺言』は私も観ました。教養人でエリートの岡田中将と一般庶民の豊松の違いがそのまま出ているのかなと感じた次第です。
ちなみに『私は貝になりたい』は制作にあたって、フランキー堺当時からの脚本の変更は一切認められない契約だそうです。(一字一句までかは解りませんが。)しかしながら演じる人が違うとココまで別の作品のように見えるものかと、逆に感心しました。(笑)
本作はおっしゃるとおり創作ですので、あくまで映画として愉しめればよいのかと思いますが、『明日への遺言』は史実として一度は観ておいたほうが良い作品だと思いました。
>>教養人でエリートの岡田中将と一般庶民の豊松の違いがそのまま出ているのかな
そうですね。
物語上の豊松の生い立ちから察しなくてはならないのかもしれません。
トラックバックで、幾つかのブログを回っていたら、黒澤監督は、かつて、脚本担当の橋本・幻の湖・忍から、この作品の脚本を読まされて、これじゃあ貝にはならないよ、と言ったとか・・・。
やっぱ、黒澤監督は凄いなあと思った次第です。
これからもごひいきに^^