☆今回、地震とは関係ない「前置き」が多くなるので、とあるサイトで知った「痛快な記事」を、先ず、転載しておく(一個の独立ブログが、他のブログの内容を全て転載するのは非常識だが、それでも、今回は転載する意義はあろう)。
《衝撃の事実、体に非常に良い福島県産の農水産物 低線量率放射線効果の驚く健康増進力 (2011/3/30(水) 午後 5:59)
放射線医学の専門家であり世界的な権威、稲 恭宏(いな、やすひろ)先生が、講演発表されました。先生は、放射線治療の長年の研究から、低線量率放射線療法を開発され、実験により証明されたことを元に発表されています。
それによると、高線量率による被曝と低線量率による被曝とはまったく質が異なります。福島原発における放射線量は、チェルノブイリ事故や広島長崎のような高放射線量のものとは全く異なるもので、福島原発の放射線が、人間が地上で数十センチジャンプする力にたとえるなら、チェルノブイリや広島長崎は、宇宙ステーションに届くようなジャンプになるそうで、もう全く別物なのだそうです。
ところで、この被曝という言葉は、広島長崎の原爆による被爆という場合の被爆とは字も違い意味も違う言葉であり、原爆の被爆は原子爆弾による高線量の放射線を浴びることであり、同じ発音でも意味は違いますから混同してはなりません。
低線量率放射線療法によって、先生は多くの患者を治してこられました。もし患者でなく、まったく健康な人に低線量率放射線効果ほどこした場合は、免疫機能が著しく高まり、がんの発生率が低下し、非常な健康増進になり、インフルエンザにも掛からなくなります。もし牛ならば、福島県の牛は口蹄疫にもかからなくなるといわれます。できれば、放射線量がもう少しレベルが高いほうがもっと良いそうです。
そして、先生は長年実験してきて、英文学術ジャーナルに発表されています。マウス実験でも低線量率放射線療法を施したマウスは毛並みも良くなり、がんも発生せず、寿命も伸びて、普通のマウスよりも体格が良く健康が増進するそうなのです。
先生は、今回のことはちょうどこの低線量率放射線療法と同じであり、今後福島県産の野菜や海産物はむしろどんどん食べたほうが健康によいといわれます。今までテレビや原子力委員会で説明してきた専門家と言われる人々は、勉強不足だといわれます。数年前の東海村の事故の時も、先生に原発関係のおえらい方が、安全性を訪ねにこられ、その時先生は施設外では全く問題ないと応えて、安全性を保証されたことで事態を収束させることができました。
今回も政府の発表や専門家と言われる人々のあまりの勉強不足による嘘の発表とひどい風評に、発表の講演を行うことにされ、昼夜を問わず説明のためのデータの表や図を作成されて、講演を行われました。
福島に行くだけで、健康が良くなり、免疫力が高まります。福島の農水産物、水も大いに食べて飲んだほうが、健康が増進します。》
にわかに信じ難いが、確かに、コペルニクス的な展開を見せる衝撃的な内容です。
「…この被曝という言葉は、広島長崎の原爆による被爆という場合の被爆とは字も違い意味も違う言葉…」
確かに・・・、私、混同して使っていた・・・。
「…できれば、放射線量がもう少しレベルが高いほうがもっと良いそうです。…」
す、すげえ・・・!!!
「…福島原発における放射線量は、チェルノブイリ事故や広島長崎のような高放射線量のものとは全く異なるもので、福島原発の放射線が、人間が地上で数十センチジャンプする力にたとえるなら、チェルノブイリや広島長崎は、宇宙ステーションに届くようなジャンプになるそうで、もう全く別物なのだそうです。…」
本当に素晴らしい表現です。
私、恐れることのない放射線量の、他の人に分からせる表現を、ここのところ、ずーっと考えていましたが、これ以上に心がスルリと得心する比喩は思いつきませんでした。
リンク先には、稲恭宏さんの講演会の動画もあるので、是非!
◇
さて、本題。
KLYさんがコメントで、前々回の西尾幹二氏の引用に、こう書いてくれた。
《「どーも…」 (KLY) 2011-03-31 02:47:51
この西尾氏の文章は今回こちらで初めて読んだのです。
でも内容は全て何処かの新聞やら週刊誌に書いてあるもののコピーだったのに驚きました。
この人ちゃんと自分で取材してないんじゃないでしょうか?
偶然にも西尾氏の考えがいくつかの新聞や週刊誌の記事と同じだったのかな…?
なにやらツイッター上で流れてくる素人の安っぽい反原発論と同等にしか思えないのですが。(苦笑)》
私は、かつて、西尾氏を批判し過ぎて、今回は割りと柔らかめに書いたのですが、KLYさん、見事に「王様は裸だ!」と書いてくれちゃってます^^;
その指摘は、全くもって正しいです。
◇
表題の「独創的言論指性向症候群」とは、私が長年主張し続けている概念の一つである。
10年ぐらい前から言ってるかな。
前々回、引用した西尾幹二氏を、かつて(「新しい歴史教科書をつくる会」の内紛の時)、徹底的に批判した中で語っているのが丁度良いので、転載しておく。
以下の文章は、理由を問わず、クレーマーには異常に弱いサイト運営会社「産経デジタル」の<IZA>サイトのブログでエントリーされていたが、ある日、「つくる会」の雇った弁護士(ロッキード事件で活躍した弁護士の下で働く、統一教会顧問弁護士だった)の抗議で削除された。
私は、バックアップしていないエントリーもあったので、正直、個人的には、今回の「津波」的な情報の大ダメージを受けたものだ。
でも、名も知らぬ有志の方が、こともあろうに^^; <IZA>サイトで、私の文章を一部残してくれていた。
《 [人格攻撃の是非・2(つくる会内紛)] (2006/06/21) ミッドナイト・蘭
▼私には、よく使う独特の言い回しが二つある。
「独創的言論志向性症候群」
「当事者の罠」・・・。
この二つは、私のネット人生で常に考えさせられてきたポイントだ
(私のネット人生とは、イコール西尾先生のバカ弟子を名乗っていた期間でもある)。
前者は、
ある種の思想家(言論者・表現者)は、新しい理屈を常に求める、という事を意味する。
そう、自分の特別性を発揮させるために、無理矢理にでも追い求める、というものである。
誰かが、現実に即して主張した大義に対し、
「それならば」と、違う見方の提示をして見せると言うシニカルな、負の意味合いのものである。
・・・全文読みたい方はコチラをクリック!!! 》
多くの言論者に、この「独創的言論志向性症候群」はある。
私にもある。
私など、映画の評論を書くとき、必ず、自分独自の観点・表現を志すようにしている。
だが、最低条件として、それを自分が心から確信していなくてはならないと律している。
だが、ここ数年の西尾幹二には、その矜持がなくなってしまっている。
自分の「独創的言論」を、取り繕うようになってしまった。
今回の文章ならば、西尾幹二氏は、ワイドショーやネットなどの、自分の「保守派に属しながらの左翼的人格」に則した内容をピックアップしたでしょうし、何よりも、震災後初めての震災特集の論壇誌『WLL(←駄本。買う必要なし)』に文章を寄せ、その見本誌が届けられ、他の識者の文章を読み、それを月刊誌の影響力から、更に広い影響力を持つ全国紙(産経)に自分の文章を載せるにあたり、パクリまくった、と言うのが実状である。
だから、昨日の西尾氏の産経・「正論」欄の文章は、取りとめのない雑多なパッチワーク文章と化していたのだ。
この人、根が素直なので、会心の文章がかけなかった時には、妙な文学的な表現を駆使したりする。
「殊に4号機の燃料は極めて生きがよく」、「原発は東電という企業の中でも厄介者扱いされ、一種の「鬼っ子」になるだろう」、「手に負えぬ48個の「火の玉」をいやいやながら抱きかかえ」・・・。
武士の情けで羅列はしないが、震災特集の「WLL」の他の方の文章要旨をパクった部分は非常に多い。
私は、西尾氏の「バカ弟子」を名乗っていた頃から、その西尾氏の「傾向」は分かっていたのだが、
それは、自分らの意見も取り入れてくれているんだなと好意的に捉えていたものだ。
だが、パクリ先の言及がないのは、あまりにもの非礼であろう。
また、私は、このような時事的問題を語るにあたっては、その日、その日での・・・、その瞬間、その瞬間での、自分の言論の鋭さと言うものを常に意識している。
だから、ブログのエントリーに付された日付・日時は非常に重要視しているし、
後日、あたかも自分のオリジナルのように、私の文章の要旨をひけらかしているような奴は許せない。
私は、常に、自分の主張を自信を持って送り出しているからだ。
西尾氏も、折々での、自分の言論の鋭さと言うものを常に意識しているだろう。
だが、西尾氏は、近年、それが偽りであっても、演出するようになってしまった。
それが、昨日の新聞の西尾文章である。
「WⅠLL」やワイドショーの独創的な言論は、昨日の西尾文章よりも早くに同様の内容を語っている。
だが、例えば、10年後から見たら、新聞に載っている西尾氏のパクリ文章の方が残り、「慧眼」とされてしまうのだ。
つまり、パクリ屋が「オリジナル」とされてしまうのだ。
・・・いや、でも、この件については、10年後、西尾氏の主張はジャンク扱いかも知れんが・・・。
◇
で、そのような、偽ることを恐れない人間の言論は、その変節に躊躇が全くない。
昨日と今日、全く正反対のことを言ったりする。
それを私は、「信念のない人間」「思想のない人間」と呼ぶ。
いや、たまに、「間違った信念のある人間」「間違った思想のある人間」もいるので厄介なのだが…^^;
私が、言いたいのは、そのような人間こそが、マスコミの垂れ流す「放射能ネタの煽り」に、日々、惑わされ、思考の右往左往を続けさせられ、ただただ、頭の中で放射能に対しての恐怖をひたすらに増幅させているのだよ、と言いたいのだ。
よく、わざとに可能性の低い不幸ばかりを求めて行動する人がいて、「苦労性」などと言われるが、
現在の放射線量でビクついている人は、つくづく「苦労性」なんですなぁ^^;
(2011/03/31)
《衝撃の事実、体に非常に良い福島県産の農水産物 低線量率放射線効果の驚く健康増進力 (2011/3/30(水) 午後 5:59)
放射線医学の専門家であり世界的な権威、稲 恭宏(いな、やすひろ)先生が、講演発表されました。先生は、放射線治療の長年の研究から、低線量率放射線療法を開発され、実験により証明されたことを元に発表されています。
それによると、高線量率による被曝と低線量率による被曝とはまったく質が異なります。福島原発における放射線量は、チェルノブイリ事故や広島長崎のような高放射線量のものとは全く異なるもので、福島原発の放射線が、人間が地上で数十センチジャンプする力にたとえるなら、チェルノブイリや広島長崎は、宇宙ステーションに届くようなジャンプになるそうで、もう全く別物なのだそうです。
ところで、この被曝という言葉は、広島長崎の原爆による被爆という場合の被爆とは字も違い意味も違う言葉であり、原爆の被爆は原子爆弾による高線量の放射線を浴びることであり、同じ発音でも意味は違いますから混同してはなりません。
低線量率放射線療法によって、先生は多くの患者を治してこられました。もし患者でなく、まったく健康な人に低線量率放射線効果ほどこした場合は、免疫機能が著しく高まり、がんの発生率が低下し、非常な健康増進になり、インフルエンザにも掛からなくなります。もし牛ならば、福島県の牛は口蹄疫にもかからなくなるといわれます。できれば、放射線量がもう少しレベルが高いほうがもっと良いそうです。
そして、先生は長年実験してきて、英文学術ジャーナルに発表されています。マウス実験でも低線量率放射線療法を施したマウスは毛並みも良くなり、がんも発生せず、寿命も伸びて、普通のマウスよりも体格が良く健康が増進するそうなのです。
先生は、今回のことはちょうどこの低線量率放射線療法と同じであり、今後福島県産の野菜や海産物はむしろどんどん食べたほうが健康によいといわれます。今までテレビや原子力委員会で説明してきた専門家と言われる人々は、勉強不足だといわれます。数年前の東海村の事故の時も、先生に原発関係のおえらい方が、安全性を訪ねにこられ、その時先生は施設外では全く問題ないと応えて、安全性を保証されたことで事態を収束させることができました。
今回も政府の発表や専門家と言われる人々のあまりの勉強不足による嘘の発表とひどい風評に、発表の講演を行うことにされ、昼夜を問わず説明のためのデータの表や図を作成されて、講演を行われました。
福島に行くだけで、健康が良くなり、免疫力が高まります。福島の農水産物、水も大いに食べて飲んだほうが、健康が増進します。》
にわかに信じ難いが、確かに、コペルニクス的な展開を見せる衝撃的な内容です。
「…この被曝という言葉は、広島長崎の原爆による被爆という場合の被爆とは字も違い意味も違う言葉…」
確かに・・・、私、混同して使っていた・・・。
「…できれば、放射線量がもう少しレベルが高いほうがもっと良いそうです。…」
す、すげえ・・・!!!
「…福島原発における放射線量は、チェルノブイリ事故や広島長崎のような高放射線量のものとは全く異なるもので、福島原発の放射線が、人間が地上で数十センチジャンプする力にたとえるなら、チェルノブイリや広島長崎は、宇宙ステーションに届くようなジャンプになるそうで、もう全く別物なのだそうです。…」
本当に素晴らしい表現です。
私、恐れることのない放射線量の、他の人に分からせる表現を、ここのところ、ずーっと考えていましたが、これ以上に心がスルリと得心する比喩は思いつきませんでした。
リンク先には、稲恭宏さんの講演会の動画もあるので、是非!
◇
さて、本題。
KLYさんがコメントで、前々回の西尾幹二氏の引用に、こう書いてくれた。
《「どーも…」 (KLY) 2011-03-31 02:47:51
この西尾氏の文章は今回こちらで初めて読んだのです。
でも内容は全て何処かの新聞やら週刊誌に書いてあるもののコピーだったのに驚きました。
この人ちゃんと自分で取材してないんじゃないでしょうか?
偶然にも西尾氏の考えがいくつかの新聞や週刊誌の記事と同じだったのかな…?
なにやらツイッター上で流れてくる素人の安っぽい反原発論と同等にしか思えないのですが。(苦笑)》
私は、かつて、西尾氏を批判し過ぎて、今回は割りと柔らかめに書いたのですが、KLYさん、見事に「王様は裸だ!」と書いてくれちゃってます^^;
その指摘は、全くもって正しいです。
◇
表題の「独創的言論指性向症候群」とは、私が長年主張し続けている概念の一つである。
10年ぐらい前から言ってるかな。
前々回、引用した西尾幹二氏を、かつて(「新しい歴史教科書をつくる会」の内紛の時)、徹底的に批判した中で語っているのが丁度良いので、転載しておく。
以下の文章は、理由を問わず、クレーマーには異常に弱いサイト運営会社「産経デジタル」の<IZA>サイトのブログでエントリーされていたが、ある日、「つくる会」の雇った弁護士(ロッキード事件で活躍した弁護士の下で働く、統一教会顧問弁護士だった)の抗議で削除された。
私は、バックアップしていないエントリーもあったので、正直、個人的には、今回の「津波」的な情報の大ダメージを受けたものだ。
でも、名も知らぬ有志の方が、こともあろうに^^; <IZA>サイトで、私の文章を一部残してくれていた。
《 [人格攻撃の是非・2(つくる会内紛)] (2006/06/21) ミッドナイト・蘭
▼私には、よく使う独特の言い回しが二つある。
「独創的言論志向性症候群」
「当事者の罠」・・・。
この二つは、私のネット人生で常に考えさせられてきたポイントだ
(私のネット人生とは、イコール西尾先生のバカ弟子を名乗っていた期間でもある)。
前者は、
ある種の思想家(言論者・表現者)は、新しい理屈を常に求める、という事を意味する。
そう、自分の特別性を発揮させるために、無理矢理にでも追い求める、というものである。
誰かが、現実に即して主張した大義に対し、
「それならば」と、違う見方の提示をして見せると言うシニカルな、負の意味合いのものである。
・・・全文読みたい方はコチラをクリック!!! 》
多くの言論者に、この「独創的言論志向性症候群」はある。
私にもある。
私など、映画の評論を書くとき、必ず、自分独自の観点・表現を志すようにしている。
だが、最低条件として、それを自分が心から確信していなくてはならないと律している。
だが、ここ数年の西尾幹二には、その矜持がなくなってしまっている。
自分の「独創的言論」を、取り繕うようになってしまった。
今回の文章ならば、西尾幹二氏は、ワイドショーやネットなどの、自分の「保守派に属しながらの左翼的人格」に則した内容をピックアップしたでしょうし、何よりも、震災後初めての震災特集の論壇誌『WLL(←駄本。買う必要なし)』に文章を寄せ、その見本誌が届けられ、他の識者の文章を読み、それを月刊誌の影響力から、更に広い影響力を持つ全国紙(産経)に自分の文章を載せるにあたり、パクリまくった、と言うのが実状である。
だから、昨日の西尾氏の産経・「正論」欄の文章は、取りとめのない雑多なパッチワーク文章と化していたのだ。
この人、根が素直なので、会心の文章がかけなかった時には、妙な文学的な表現を駆使したりする。
「殊に4号機の燃料は極めて生きがよく」、「原発は東電という企業の中でも厄介者扱いされ、一種の「鬼っ子」になるだろう」、「手に負えぬ48個の「火の玉」をいやいやながら抱きかかえ」・・・。
武士の情けで羅列はしないが、震災特集の「WLL」の他の方の文章要旨をパクった部分は非常に多い。
私は、西尾氏の「バカ弟子」を名乗っていた頃から、その西尾氏の「傾向」は分かっていたのだが、
それは、自分らの意見も取り入れてくれているんだなと好意的に捉えていたものだ。
だが、パクリ先の言及がないのは、あまりにもの非礼であろう。
また、私は、このような時事的問題を語るにあたっては、その日、その日での・・・、その瞬間、その瞬間での、自分の言論の鋭さと言うものを常に意識している。
だから、ブログのエントリーに付された日付・日時は非常に重要視しているし、
後日、あたかも自分のオリジナルのように、私の文章の要旨をひけらかしているような奴は許せない。
私は、常に、自分の主張を自信を持って送り出しているからだ。
西尾氏も、折々での、自分の言論の鋭さと言うものを常に意識しているだろう。
だが、西尾氏は、近年、それが偽りであっても、演出するようになってしまった。
それが、昨日の新聞の西尾文章である。
「WⅠLL」やワイドショーの独創的な言論は、昨日の西尾文章よりも早くに同様の内容を語っている。
だが、例えば、10年後から見たら、新聞に載っている西尾氏のパクリ文章の方が残り、「慧眼」とされてしまうのだ。
つまり、パクリ屋が「オリジナル」とされてしまうのだ。
・・・いや、でも、この件については、10年後、西尾氏の主張はジャンク扱いかも知れんが・・・。
◇
で、そのような、偽ることを恐れない人間の言論は、その変節に躊躇が全くない。
昨日と今日、全く正反対のことを言ったりする。
それを私は、「信念のない人間」「思想のない人間」と呼ぶ。
いや、たまに、「間違った信念のある人間」「間違った思想のある人間」もいるので厄介なのだが…^^;
私が、言いたいのは、そのような人間こそが、マスコミの垂れ流す「放射能ネタの煽り」に、日々、惑わされ、思考の右往左往を続けさせられ、ただただ、頭の中で放射能に対しての恐怖をひたすらに増幅させているのだよ、と言いたいのだ。
よく、わざとに可能性の低い不幸ばかりを求めて行動する人がいて、「苦労性」などと言われるが、
現在の放射線量でビクついている人は、つくづく「苦労性」なんですなぁ^^;
(2011/03/31)