『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
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[外間守善先生、逝く・・・]

2012-11-22 21:56:16 | 保守の一考
☆朝・・・、私はせっかちなので、とても早くに出社するのだが、その駐車場で産経新聞を読んでいて、とある記事に目がとまり、「ああ・・・」とうな垂れた。

 大学時代、ゼミでお世話になった法政大学の外間守善先生の訃報だった。

   

 人は逝ってしまうのだな、と、当たり前のことを思った。

 ニライカナイでのんびり過ごすのかな。

 今、ふと思い出したのだけど、外間先生は話し方の非常に上品な方で、言語学の講義で、発音について語るとき、「のどちんこ」という言葉を使用しなくては説明できない時でも、けして、その言葉を使わず、「口蓋垂(こうがいすい)」と言い続けていました。

   ◇

 (転載)

   ☆1991年11月25日(月)

 バイト仕事を終え、学校へ。沖縄文学研究所へ。しばらく勉強していると、星名さんが来た。彼女とゼミ発表についてのおしゃべり。僕の発表は、「沖縄のオモロの時代から、その政治、世界観(神概念)、農耕、祭りを考えていく中で、古来の日本神道の影響を見てゆき、大嘗祭の秘儀へと話を運んでいく」という壮大な展開だ。書けば書くほど、書き足りなくて、どんどん字数が増えていく。あまりの多さに星名さんも広瀬君も辟易している。しかし、頭の中で結論の構想が出来てきた。

   ☆1991年11月26日(火)

 ・・・仕事を休んでしまった。どうにか、少ない字数(枚数)の中に、多くの内容を込めなくてはならない。星名さんや広瀬君がうるさいのだ。しかし、バイトばっかで、こんなにもの他の学生との触れ合いは久しくなかった。学食で広瀬君と食事。大味で不味いハンバーグ定食ながらも友人と食すものはうまい。ここ数日間、頭をフル回転させているような気がする。図書館で前に座っていた人妻(学生なのだが結婚指輪)・・・、僕の前で、わざとに不自然にプリントを上下させる。プリントの裏面には、名前とテル番号が書いてある。僕に誘いをかけているのか?

   ☆1991年11月27日(水)

 昨夜は徹夜でゼミ発表の草稿の清書。とりあえず書き終わると、AM5時、さすがにまたもバイトを休んでしまう。丸井に11・12・1月分のローンを払い、家賃を下ろすと、第一勧銀の自分の定期預金からの借金もあり、今月稼いだ14万円、プラマイ0と消える。昨日と今日、仕事休んでしまったのは、後々、大きな悪影響を生むだろう・・・。さあ、ゼミ発表だっ! 僕が2時に学校に着くと、広瀬君は来ていたが、星名さんがまだだった。どうした星名!? で、星名さんが遅れてきたと思ったら、今度は広瀬君の作業が進まない。どうした広瀬!? ともあれ、原稿をプリントし、三人でホッと一安心し、コーヒーを飲む。さて、発表! そして外間守善先生との問答、緊張しながらも言いたいことは言えた。終わった後に、半澤さんが、僕の発表に対し、「力作じゃん」と肩を叩いてくれて、それがメチャ嬉しかった。

   ◇

 私は、このゼミ発表では、内容を全文プリントし配ったんだけど、概要しか語るつもりはなかった。

 しかし、外間先生が「全部読みなさい!」と、ちょっと固い口調で促したのです。

 私は、「やべぇ、ひよっこの私が、大風呂敷広げたテーマで書いたので、先生、怒っているんじゃないか?」とビビリつつ、30分近く、自分の書いた原稿を読み上げたのです・・・。

 この時の、外間先生の真意は、今もって分かりません。

 私は、この翌年、ニュージーランドに一年間 ワーキングホリデーに行ってしまったのですが、

 外間先生は、私を、翌年のゼミ長に指名しようとしていたようで、

 新学期、私の姿がゼミに見えないと、「ミドラン君の姿が見えないが、どうしたんだ?」と、上記文中に出てくる星名さんや広瀬君、半澤さんに聞きまわっていたとのこと。

 誠に申し訳なかった。

 このブログの右上にある、ブログ内検索で「外間先生」と打ち込むと、このブログ内の、外間先生の名が出てくるエントリーがたくさん読めると思いますよ^^(批判もあり)

   ◇

  ひたすらにご冥福を祈ります。

沖縄の歴史と文化 (中公新書)
外間 守善
中央公論社


                                            (2012/11/22)


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7 コメント

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Unknown (ひめちゃん)
2012-11-23 01:25:27
突然のコメント失礼します。外間先生の訃報に心に穴があいたような気分になって、検索していたところ、外間ゼミを受講されていた方のブログを拝見し、思わず筆(キー?)を取りました。私も学生時代、外間ゼミ生でした。当時の先生はまだ50代だったでしょうか。お正月には杉並のご自宅にゼミ生をお招きくださり、奥様手作りの琉球貴族のお料理を出してくださいました。ゼミ合宿で沖縄に行った時に、沖縄タイムスの社員食堂に学生を連れていかれ、ここのユシドーフが美味しいんだよとか、辺戸岬に立つと、ここから見ると私は沖縄の人はやはり北方から渡ってきたのではないかと感じるんだとか、温厚で上品な語り口のお声を懐かしく思い出しております。もっと勉強しておけばよかったと悔やみつつ、先生のご冥福をお祈り申し上げます。
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ひめちゃん様へ^^ (ミッドナイト・蘭)
2012-11-23 06:27:20
先輩ですね^^

私は、一年、外間ゼミを受講しただけなので、他の方に比べ、先生とのつながりは少ないですが、いい加減な学生生活を送っていた私にとっては、ゼミでの学びは、今もって充実感を伴ない鮮烈に残っています^^

人間って、僅かでも「やった感」があると、いい記憶としていつまでも残るようです。

それは、外間先生の人柄が作り出した「場」だったのかな。

私は、外間先生と似ても似つかぬ下品な男ですが、その優しさは忘れないように生きていきたいなと思っております。

ひめちゃん様の語る思い出は、とても貴重ですね^^

色々思い出して、自分の糧としていきたいです^^
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Unknown (ひめちゃん)
2012-11-29 02:08:38
外間先生のことで思い出したんですけど、先生は車の免許をとろうと教習所に通っても、ペーパーテストのひっかけ問題で間違えて、それが何度かあって、免許を取るのをあきらめたっておっしゃってましたね。それと、飛行機が嫌いで沖縄に行く時は船で行かれるそうで。ゼミ合宿で沖縄に行くようになったのは私が4年の時からだったですね。その時は教育自習と重なって途中で帰ってきてしまったのですが、翌年はOBでゆっくり参加して竹富島にまで行きました。ミドランさんの頃のゼミ合宿ってどんな感じでした?
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ひめちゃんへ♪ (ミッドナイト・蘭)
2012-11-29 18:06:35
こんばんわ。

私、体の調子が悪く(風邪)、今日はコメント返すのがやっとかな^^

←こちらの、記事のカテゴリの<1991年の日記>をクリックしてみて下さい。

遡っていくと、まさに、外間ゼミのゼミ合宿のことを書いていますよ^^

そう言えば、外間先生は現地であったんでしたか・・・、先に船で行ってたのかな?

学習院と合同でした。

前年は紀子様が参加したんですよ^^
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Unknown (ひめちゃん)
2012-11-29 19:15:22
うわー、風邪はこじらせるとやっかいですから暖かくしてゆっくり寝てください。お大事に(返信不要)
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ひめちゃんへ♪ (ミッドナイト・蘭)
2012-12-01 00:40:55
風邪はなんとかなりましたが、首の寝違えがまだまだ痛いです^^;
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外間ゼミ! (還暦すぎた)
2017-08-06 22:13:25
偶然このブログを発見、懐かしく読みました。
当時は学生運動の影響で、学校がロックアウト、毎年試験が中止されるような環境でした。

先生のお名前は卒業してからのほうが新聞などで目にする機会が増えて、卒業式の夜のことなど懐かしく思い出していました。
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