☆面白そうなので観てきた^^
面白かった^^
◇
70年代の、仏教系の高校に通うロック志向の少年の悶々とした青春の物語である。
作中、童貞喪失を目指し、主人公と仲間たちは夏休み旅行で、フリーセックスの地・隠岐島を目指す。
・・・私の高校時代も、それが目的で新島に旅行する奴がいたなあ^^;
そんな事象に代表できる物語が、主人公の性格ゆえに「シャイ」にではあるが、原作のみうらじゅん言うところの「DT(童貞)パワー」として全篇溢れている。
◇
主人公・純は周囲の環境に恵まれており、多くの人生の導き手にも恵まれてもいる。
そこには、幸せで平穏な70年代がある。
それ故に、問題は、幸せで平穏な「自由」の中での自己実現がテーマとなる。
純と親友たちの「DTパワー」は、実に素直である。
そこには不器用さがあるが、屈折はない。
だからこその、屈託なくどこにでも飛び込み、喜びに身もだえする様に、私はかつての、そして未だに存在する、我が身の中のDTパワーの残滓に、心の痛痒感を感じさせられ続けた^^;
◇
・・・私事ではあるが、最近知り合う若者の「陰性のコンプレックス」には辟易している。
私は、「うひょ、有難う御座います」と、私からエロビデオを借りていく若者にはヴァイタリティを感じるが、そういった茶目っ気を持たない、「陰性のコンプレックス」の帰結としての潔癖症の若者には日本の未来の暗黒を見せられる思いがする。
物語のクライマックスに、ヤンキーの頭と、文化祭のライブでのお互いの健闘を称える。
純は「須藤の歌い方は格好悪かった。・・・でも、面白かった^^ それが格好良いってことなんだと思った!」と言う。
すると、須藤が「ロックだべ!!」と答えるのだが、それは、青春の本質を示していると思う。
最近の若者の一部は、この「青春の本質」を全く理解していないと思うのだ。
◇
青春の本質を理解して大人になった者は、作品内での、ヒッピーの家庭教師や、全共闘崩れのユースホステル管理者ヒゲゴジラのように、人に優しい。
おっと忘れていた、父親役のリリー・フランキーを忘れちゃいけない。
◇
純を「オトナ」に導くお姉さん・オードリーの、まさに「女」の具現化としての魅力は素晴らしかった。
ポテッとした唇、ノーブラのタンクトップ、白いビキニ、頻繁なスキンシップ、・・・良いですね^^
・・・やはり、どうしても自分の青春と重ね合わせてしまうのだが、私にも、このような女性がいました^^
ノーセックスで、海外旅行や温泉旅行なんかに行ったものです。
二十年ほど前に、「カナダで結婚式を挙げるから参列してくれ、君なら来れる^^」と電話がきたが、その女性を「卒業」した私は、その申し出を丁重に断るのだった。
◇
純は、オードリーとの出会いと別れで急速に成長する。
不器用な笑顔の純の表情は、次第に落ち着いてくる。
物語の全篇を、見ている私に身悶えさせた恥ずかしさは、終盤ではない。
純は一気に成長し、けれど、その成長はレベルが一つアップしたに過ぎなくて、彼の童貞喪失はまだまだ先なのだった・・・^^;
渡辺大知クンは、いい役者になっていくんでしょうね^^
(2009/10/03)
面白かった^^
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70年代の、仏教系の高校に通うロック志向の少年の悶々とした青春の物語である。
作中、童貞喪失を目指し、主人公と仲間たちは夏休み旅行で、フリーセックスの地・隠岐島を目指す。
・・・私の高校時代も、それが目的で新島に旅行する奴がいたなあ^^;
そんな事象に代表できる物語が、主人公の性格ゆえに「シャイ」にではあるが、原作のみうらじゅん言うところの「DT(童貞)パワー」として全篇溢れている。
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主人公・純は周囲の環境に恵まれており、多くの人生の導き手にも恵まれてもいる。
そこには、幸せで平穏な70年代がある。
それ故に、問題は、幸せで平穏な「自由」の中での自己実現がテーマとなる。
純と親友たちの「DTパワー」は、実に素直である。
そこには不器用さがあるが、屈折はない。
だからこその、屈託なくどこにでも飛び込み、喜びに身もだえする様に、私はかつての、そして未だに存在する、我が身の中のDTパワーの残滓に、心の痛痒感を感じさせられ続けた^^;
◇
・・・私事ではあるが、最近知り合う若者の「陰性のコンプレックス」には辟易している。
私は、「うひょ、有難う御座います」と、私からエロビデオを借りていく若者にはヴァイタリティを感じるが、そういった茶目っ気を持たない、「陰性のコンプレックス」の帰結としての潔癖症の若者には日本の未来の暗黒を見せられる思いがする。
物語のクライマックスに、ヤンキーの頭と、文化祭のライブでのお互いの健闘を称える。
純は「須藤の歌い方は格好悪かった。・・・でも、面白かった^^ それが格好良いってことなんだと思った!」と言う。
すると、須藤が「ロックだべ!!」と答えるのだが、それは、青春の本質を示していると思う。
最近の若者の一部は、この「青春の本質」を全く理解していないと思うのだ。
◇
青春の本質を理解して大人になった者は、作品内での、ヒッピーの家庭教師や、全共闘崩れのユースホステル管理者ヒゲゴジラのように、人に優しい。
おっと忘れていた、父親役のリリー・フランキーを忘れちゃいけない。
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純を「オトナ」に導くお姉さん・オードリーの、まさに「女」の具現化としての魅力は素晴らしかった。
ポテッとした唇、ノーブラのタンクトップ、白いビキニ、頻繁なスキンシップ、・・・良いですね^^
・・・やはり、どうしても自分の青春と重ね合わせてしまうのだが、私にも、このような女性がいました^^
ノーセックスで、海外旅行や温泉旅行なんかに行ったものです。
二十年ほど前に、「カナダで結婚式を挙げるから参列してくれ、君なら来れる^^」と電話がきたが、その女性を「卒業」した私は、その申し出を丁重に断るのだった。
◇
純は、オードリーとの出会いと別れで急速に成長する。
不器用な笑顔の純の表情は、次第に落ち着いてくる。
物語の全篇を、見ている私に身悶えさせた恥ずかしさは、終盤ではない。
純は一気に成長し、けれど、その成長はレベルが一つアップしたに過ぎなくて、彼の童貞喪失はまだまだ先なのだった・・・^^;
渡辺大知クンは、いい役者になっていくんでしょうね^^
(2009/10/03)
確かに、愛すべき可愛らしい作品でした。
『おっぱいバレー』と似ている感じで、微妙に、それがかなりの手触りで印象が異なってますよね。
原作はイメージが違うのですね。
私は、今、みうらじゅんの対談集『正論』を読んでいます。
なかなか勉強になるのです、これが!^^
DTパワー(笑)、面白かったですね。
原作より可愛い感じで表現されていた気がして
なんだか微笑ましかったです。
ミッドナイト・蘭さんにも“オードリー”の思い出が!!
なるほど、なるほど。。。
青春ですね!