『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
ここでは、気軽に読めるエントリーを記していきます^^

[映画『バッド・ティーチャー』を観た(短信)]

2012-06-08 23:59:47 | 物語の感想
☆こりゃ、面白かった。

 魅力があるのは認めるが、私の趣味ではないキャメロン・ディアスが、あまりにも下世話で利己的な教師を演じる。

 しかし、観終えると、その魅力に感心し惹かれてしまうのだった・・・^^;

   ◇

 ・・・寿退職するはずだったエリザベスだが、その放蕩とふしだらさがバレ、婚約を破棄され、学校に出戻る。

 だが、そもそも、教育なんぞにゃ興味がない。

 同僚教師にも生徒にも投げやりな態度。

 生徒がボランティアで稼いだ金を、ことごとく自分の懐に入れてしまう悪徳さ!

 しかし、名家の出のイケメン実習生がやってくると、手のひら返しの愛想の良さ。

 満面に笑顔で迎える。

 が、それ以外の時間は、映画史上最悪の「犯罪でこそはないバッドな教師」振りを見せる。

 最終的に、作中、一年が経過するのだが、一時間半の間に、あまりにも細かい、イベントに即したギャグが散りばめられていて、

 しかも、それが定番ではなく、新鮮さを伴うもので、大笑いしつつ、なんとはなしに一年の経過を実感してしまえる作り手の巧みさがあった。

 作品自体も、その映像からして、フィルム撮影なのか、地に足の着いた撮影指向が見られる。

 出てくる同僚の先生方や、生徒の一人一人までも、なんか完璧な人物がいなくて、どこかしら「バッド」で味わい深いのだが、エリザベスは、とにかく「Most Bad」である^^;

 エリザベスの、恋においても教師としてもライバルとなるエイミーがいるのだが、

 この女性の演出及び役柄などは、その役者(ルーシー・パンチ)の演技も外見も含めて、メチャクチャ面白かった。

 この人、校長先生などに「2008年のようになるな」と再三言われていて、そのヒステリックを思いとどめるのだが、その「2008年にあった出来事」は、最終的には語られることはない・・・。

 また、その怒りの表情が、発作のように「チェシャ猫笑い」になってしまい、校長に「その顔、やめろ!」と言われ、やめようとするが「病められない」シーンなど、

 脚本でどうこうなるレベルの凄さではなかった^^;

 ステロタイプな展開でなく、エリザベスが、エピローグでは微妙にいい人物になって、それまで素気無くしていた同僚の体育教師と恋を芽生えさせるシーンなど、

 なんか知らんが、妙に感動させられてしまった・・・。

 小悪党が、最終的に幸せを掴む話なんだけど、見終えて、何故か、とても清々しかった^^

                                                   (2012/06/08)

[次長課長の詐欺の話]

2012-06-06 23:33:38 | 保守の一考
☆いささか旧聞だが、次長課長の母親の「生活保護の不正受給詐欺」の話だ。

 私の家にはテレビが通っていないのだが、偶然、謝罪会見のテレビ中継のときに、ラーメン屋で食っていて、見てしまい、イライラした。

 一番に腹が立ったのは、その「顔」だが、

 「お笑いというのは浮き沈みの激しい業界」云々とか言う箇所にも心底ムカついた。

 その「標語」で、自分の詐欺を肯定できると思っているのが腹立った。

 そこでの色んな過誤を羅列してみる。

     ① 先ず、「お笑い」だけが、特別に「浮き沈みの激しい業界」だと思っている誤認識。

 みーんな、現在の雇用制度では、数年先は分からなくなってきているよ。

 でも、これまでの雇用制度が、自分らに都合が良かったと考えるのが常識的な思考でもある。

 同じく、元スポーツ選手の犯罪者が、同じような言い分で擁護されるけど、「甘えるな!」と言いたい。

     ② また、「浮き沈みの激しい業界」だから、詐欺行為が許容されると思っている、底抜けの間違い。

 それは、「あなた個人の都合」であって、それを、他人である私たちが許すと思う、その傲慢さに腹が立つ。

 なんか、社会へのストーカー的な思い込みにも似ているな。

     ③ 「浮き沈みの激しい業界」に生きるには、相応の過酷な生活を生き抜かなくてはならないことへの覚悟のなさ。

 なんちゅうか、多くの若者が、自分の希望する未来に、集中してまい進できる生活を欲している。

 でも、それぞれの色んな事情があり、断念せざるを得ない者もいる。

 また、限られた状況で、頑張っている者もいる。

 私がバカにした、以下のエントリーの若者もそうである。

     《[「しんぶん赤旗」一面の、素直に読んで、素直に変な記事](2012/04/18)》(クリック!)

 この人、河本に比べたら、数100倍上等であった。

 意味のない愚痴を垂れているが、けして、犯罪行為を犯していない。

 河本は、経済的な困窮に合法のうちに耐え続ける…、あるいは、他の堅実な仕事を探すべきだった。

 彼が詐欺行為を犯してまでお笑いを続けるのは、あまりにも分不相応であった。

 どうせ、そこまで面白い芸人じゃあないんだからさ。

     ④ そこでの、国に預けた、多くのプロレタリアート(^^;)の大事な税金を掠め取ろうとする犯罪心理。

 バカな「左翼」のバカ野郎たちは、河本に文句を言うやつに、真っ当な生活を送れて然るべき生活保護受給者を不当に貶める、などとバカな見当違いの「標語」で逆ギレしている。

 もちろん、世の中には、生活保護を受けなくてはいけない不幸のうちにある方々はいる。

 私は、そんな人に、「権利」を主張させるつもりはない。

 だが! 国には彼らを守る「責務」がある、とは当然に思っている。

 彼らに「最・低・限・の・生・活」を送らせる義務がある。

 河本と「彼ら」は、全く状況が違う。

     ⑤ 現状では、充分に母親を養える稼ぎを得ているのに、それを、「先々のことを考え貯蓄する」という個人的考えの帰結での詐欺行為。

 なんちゅうか、そこでの家計の計算は、河本ファミリーの個人的な理屈に過ぎないんだよね。

 なんで、裕福な一族の個人的な生活設計の収支を、他の国民が肩代わりしなくちゃならないのか?

 そこでの思考が、なんで、自分らで考えておかしいと思わないのか?

 「先々のことを考え貯蓄する」のはいいことだけど、そこで、なんで詐欺行為をするのか?

 大多数の国民が、現在の収入で持って、ちゃんと生活し、税金も払っているんだけどね・・・。

     ⑥ 詐欺行為を犯罪行為と考えず、「やらなきゃ損」と本気で思っている、その常識の基準。

 実際にはしなくても、口ではこのようなことを言っている人は多いよね。

 なんで、自分ではしないのに、そんなことを口走るのか腹も立つが、

 大阪には、それを実行するような、そんな劣悪な人間が多いようだ。

     ⑦ そんな「怠け者のお貰い乞食家族」に、何らかのメリットを求め、「悪知恵」を授ける悪徳福祉委員。

 さすがに、こんな異常な役人を蔓延らせる社会システムはおかしいな。

 大阪市長の橋下弁護士は、早急な改革をしなくちゃなりませんな・・・。

                                                   (2012/06/06)

[森本敏]

2012-06-05 21:42:29 | 保守の一考
☆正直、森本敏拓殖大学教授が防衛大臣になったのには驚いた。

 この方、保守派の牙城が一つ・産経新聞のオピニオン<正論>のメンバーの1人だからだ。

 まあ、前々から、テレビなんかでも重宝されていて、故に、やや保守派といってもマイルドな印象で、

 かなり、過激なことを言っているのだが、他の保守派の論客と違って表現がソフトな点もあった。

 だから、私などは、「手ぬるい!」などと批判したこともあったが、

 これにて、日本の防衛のほうは、まあ、形としては安心できるのではないか。

 しかし、民主党政権で、それが成ったのは、民主党のキメラ化が更に進んだ結果とも言える・・・。

 自民党ならば、民間人の起用には慎重になったと思う。

   ◇

 硬派な左翼新聞・東京新聞では、こんな記事が載っていた。

   《「米軍、沖縄撤退すべき」 96年、自説提言(東京新聞 6/5)》

 <自民党政権、民主党政権を通じて政策ブレーンとして重用され、沖縄の米軍基地の重要性を強調してきた森本敏防衛相。だが、過去には「米海兵隊は沖縄から撤退すべきだ」(一九九六年九月十三日朝日新聞朝刊)との見出しで自説を公表していた。
 その中で、「普天間飛行場の移設など基地問題の解決には、米海兵隊を国外移転させるしかないのではないか」と提言し、「海兵隊が紛争発生と同時に沖縄から紛争地に投入されるといった作戦がありうるだろうか」との見解を示した。
 これは、「沖縄は他の地域より距離的に近く、米軍は迅速な対応が可能」(二〇一〇年防衛白書)とした防衛相の見解と正反対。軍事ジャーナリストの前田哲男氏は「沖縄の人々は過去の言動を知っているだけに今さら森本氏に普天間飛行場の県内移設を求められても反応は冷ややかだろう」。
 七月には、墜落事故が相次いだMV22オスプレイが普天間飛行場に配備される。前田氏は「学者としてオスプレイの危険性を承知している分だけ、厳しく追及されるのではないか」と指摘する>

 これは、東京新聞、苦しいね。

 一生懸命探してきたんだね^^;

 鳩山由紀夫のように、三日前の断言を翻し、更に、その三日後にそれを斜めにひっくり返すような言動を続けたら、国民も呆れるだろうが(菅直人の、三週間前の断言を翻し、更に、その三週間後に明後日にひっくり返す、もあるでよ)、

 いや、せめて、森本氏の主張が三年前ならば、呆れもするが、15年前のことを指摘されても厳しい。

 鳩山のバカを許している沖縄県民(の、左翼に踊らされている一部)が、15年前の主張と違うからと言って、反対意見だから許すことはないが、認めない訳にはいくまい。

 前田哲男っちゅうのは、左翼御用達のジャーナリストか?^^;

   ◇

 また、その時代に即応した主張もある。

 前年には、阪神・淡路大震災があり、一連のオウム事件があり、 沖縄で同日の間に、米兵隊員の運転車両に母子3人がはねられ死亡する事件と、沖縄米兵による少女暴行事件が起こっている。

 フランスによる南太平洋での核実験があり、

 その翌年には、中国が核実験をしているし、

 ロシア・エリツィンと中国・江沢民の会談もあった。

   ◇

 ・・・さて、保守にしても、左翼にしても・・・、

 うん、例えば、保守の主張をつきつめて、原理主義的に、あるいはストイックに、あるいは観念的に・・・、突き詰めていくと、表面に立ち現われる現象(主張)が、時に、論敵である左翼と重なってしまうときがあるものだ。

 私は、・・・いや、本当のトコは分からないよ^^;

 でもね、当時の時代を考えると、森本氏の現実的な思考回路が、日本の「自存自衛」の好機と考えていたとも思える。

 保守派の中にも、日本から米軍を追い出せと考えている方々は非常に多い。

 主張に使用する言葉も近くなる。

 でも、それは、左翼の方の言う「(米軍はおろか、自衛隊さえもなくすような)自存自衛」とはいちじるしく異なる。

 左翼の「安楽な平和」は、妄想の中にしかない。

 妄想の「自存自衛」の無責任は、多くの女子供を死なすことになるだけだ。

 左翼自身が後ろ指を指していた自衛隊に、震災の折、左翼を含む国民の多くが助けられたのは、それが「現実的な帰結」だからだ。

 ・・・左翼が見習いたいと願う、「永世中立国」のスイスも、「軍隊を持たない国」のコスタリカも、平和を維持するために、武力を持ち続けている・・・。

 日本も、それを「見習」わなくちゃいけないな^^

                                                     (2012/06/05)

[『映画館落語 かもめ亭』を観た]

2012-06-05 04:25:53 | 物語の感想
☆実は、二年ほど前、新宿二丁目の末廣亭の前を通ったとき、出演者の中に「歌丸」の名を見て、「今のうちに見ておかなくちゃ、取り返しがつかないかも・・・」などと思っていた。

 しかし、その時は、どうしても都合がつかなかった。

 「笑点」ではおなじみだが、私は、桂歌丸の落語をちゃんと聴いた事が無かった。

 続いて、先日の6/2に、府中の森笑劇場で、歌丸独演会が行われるの二ヶ月ほど前から知っていて、「今度こそ、今のうちに見ておかなくちゃ、取り返しがつかないかも・・・」などと思っていたところ、

 ちょうど、その日から、映画館で『映画館落語 かもめ亭』が上映され、その出演者に歌丸さんがいたので、「とりあえず、こっちで見とこう^^」と決めた。

 ちなみに、観たのは昨日で、この日は「寄席の日」なのだと、ラジオ番組「GOGOMONZ」で、三遊亭鬼丸師匠が言っていた(いつも直に楽しませてもらっているので「師匠」!^^)。

 本当は、「6/5」→「ろくご」→「らくご」で、6月5日を「落語の日」にして、チケットを安くしようとしたのだが、落語協会が「稼ぎ時の土日と<落語の日>が重なったらきつい」とのことで、6月の第一週の月曜日になったのだそうだ。

 そんな、「寄席の日」に、落語を聴けて、ちょうど良かったなり^^v

   ◇

 以下、後で記します。

 依然として、体調悪し。

   ◇

 先ずは、発起人の林家たい平の、寄席に出かける職人風の小芝居によって、落語の世界に入っていく。

 本日の出演者は、三遊亭小遊三、ぺぺ桜井、桂歌丸の御三方。

 先ずは、三遊亭小遊三の「蛙茶番」。

 「シネマ落語『落語研究会 昭和の名人 参』」の時の感想を語るときにも言ったのだが、

 私、まだまだ落語を聞く経験が浅く、うまく話せないので、簡単に記します。

 小遊三さんは、「笑点」でよく見る方だが、歌丸さん同様、その落語は初めて聴かせてもらった。

 「蛙茶番」と言う噺。

 面白くって、うまかった。

 話がどんどん横道に逸れていき、スピーディーに収斂するクライマックスと、サドンデスなオチ^^

 不思議なのは、目で、手塚治虫描くところの「丸首ブーン」のような小遊三さんの語りを聞きつつも、

 なんか、頭の中と視覚の「狭間」で、噺の映像が浮かんでくるのだ。

 これが、落語の新鮮さで、楽しくてしょうがない。

 しかし、落語家ってのは手塚治虫の描く悪役に似ているなぁ^^

…丸首ブーン

…談志に似てるアセチレン・ランプ

 おっと、ちょうど今、立川談春の「赤めだか」読んでます^^

赤めだか
立川 談春
扶桑社


   ◇

 続いて、ぺぺ桜井のギター漫談だ。

 この人、おそらく、何千回と舞台を踏んでいると思う。

 ネタは同じでも、その「いぶし銀」の間(ま)で、何度でも笑わせるのだろう。

 ギターのテクニックなんて、若手のギタリストの数段上なんだろう。

 一緒に観ていた母親は、「さあ、笑いなさい、笑いたいんだろう^^」のぺぺ桜井さんの芸に、綾小路きみまろを観ているかのように、ゲラゲラ笑っていた。

 ・・・スカンク草井

   ◇

 トリは歌丸さんだ。

 噺は「ねずみ」。

 さすがに若さはないが、淡々と活舌よく散文的に話を積み上げていく。

 最初は「左甚五郎」について、ややアカデミックに語りだすので、とっつき難い噺かなと思いきや、すぐに、聞いている私らは物語に没入させられる。

 う~む、面白い。

 何てことない子供の喋り方一つとっても、なんか面白い。

 長編なのに、あっという間に時間が過ぎていく。

 全編を通して、二時間が30分に感じられるほどの充実度であった^^

     ・・・蝉丸

 歌丸さんには、早いトコ、「24時間テレビ」のチャリティーマラソンに抜擢されて欲しいものです^^;

                                                      (2012/06/05)

[『腐女子』の使い方を間違えた北川景子(&石原慎太郎)]

2012-06-02 22:58:25 | 保守の一考
☆北川景子が、「腐女子」の使い方を、腐女子の方及び、宝塚ファンからも誤解されるような使い方をして、顰蹙を買っているそうだ。

   《「腐女子にも宝塚ファンにも謝れ!」北川景子の告白に批判殺到 (2012/05/31日)》

 <女優の北川景子は、28日発売の女性ファッション誌「with」7月号(講談社刊)のインタビューにおいて、自らが“腐女子”であることを告白し、ツイッター上では大きな反響を呼んだ。

記事では、26歳になった今の仕事や恋愛に対する思いを告白。さらに、最近では宝塚観劇に夢中になっており、「普通の男の人が全然カッコよく見えなくなってくる」「私は腐女子への第一歩を見事に踏み出しました(笑)」など、意外な一面を明かす内容となった。

しかし、北川のこの発言に対し、ツイッターでは「宝塚にハマッてるから腐女子? 腐女子にも宝塚ファンにも謝れよ。腐のちゃんとした意味も知らないのに、流行ってるからって使うな!」「腐女子が何かも知らないで言われるとムカつく」「勝手に親しみやすいように意味変えるのやめろよ」と、批判が殺到する事態に。

“腐女子”は本来、「男性同士の恋愛を扱った小説や漫画などを好む女性」を指し、宝塚ファンを指すわけではない。今回の発言は、「腐女子の意味を勘違いしている」と、本物の腐女子たちの怒りを買ってしまったようだ。


 ・・・でも、まあ、これくらい許してやれよ、と思う。

 最近、なんでもかんでも、ささやかな「言葉尻」に対しても、すぐにネットで「炎上」してしまうのが、傍観していて面倒くさくてしょうがない・・・。

 「腐女子」という言葉は、当事者のこだわりはあれど、せいぜい「オタクの女子」って意味が社会一般的な認識だろうよ。

 この後に再掲するが、6年前の産経新聞一面においての、石原慎太郎の「腐女子」誤認識があるが、

 これは、かなりの言語道断なメチャクチャ認識であったが、それ程に批判を受けなかったようだ。

 北川景子は、美人なので、多くの批判者のコンプレックスの捌け口として糾弾されたのだろう。

 景子嬢! 有名税だと思って、気にしなさんな^^

   ◇

   [「腐女子」よ怒れ! 石原慎太郎に!!^^](2006/12/05)

▼毎月最初の月曜日、産経新聞の一面には『日本よ』と題して、石原慎太郎都知事が時事問題を語る連載をしている。

 昨日は<情報氾濫のもたらすもの>と題して、携帯・インターネット社会の弊害について書いていた。

 この人は、やはり文章がうまい。

 ハッとするような表現で、自分の主張したい事のニュアンスを読者の心に見事に転移させる。

 以下は、宮台真司氏(※1)の分析を、石原氏が咀嚼した文だ。

 <・・・そもそも情報なるものは、現実を希薄にしてしまう。第一に、情報は勘違いを難しくしてしまう。昔は勘違いだらけだったからこそ夢を追い試行錯誤があった。情報に依って、「どうせ現実は‐‐‐」という容易な断念は人間の想像力を減退させてしまう、と。
 第二は、情報化は規範の輪郭を曖昧にしてしまう、と。昔は良いこと悪いことの境目がはっきりしていたが、今は昔は有り得なかった情報によって、例えば性愛に関して言えば、スワッピングや乱交などという風俗が晒しだされ禁忌なるものが消滅してしまい、それを侵して超えるといった姿勢や行為の濃度が希薄となり人間の活力の低減に繋がっていく。
 第三には、現実を入れ替え可能にする、と。かけ替えない体験だと思っていたことが、「そんなものはよくあることだ」といなされ、素晴らしい女性だと思っていたのに「よくある女だよ」と水をかけられてしまう。
 つまり自分の感性や情念にのっとった決断や選択の、自らの人生における比重がごく軽いものにされてしまうことで、生きるということの中での、人間としての積極性が殺がれてしまう。これは人間全体にとっての損失以外の何ものでもありはしない。・・・>

 さすがにうまい文章である。

 御意、である。

 私は、ここのところ延々と、一年近く、「瑣末な情報に流されるヤカラども」と対していたような気がする。

 石原慎太郎言うところの『自分の感性や情念にのっとった決断や選択』こそが、「思想」であり「哲学」だよ、と言い続けていた。

 「情報」なんてものは、【大枠】さえしっかりと把握しておけば、それ程踏み外した結果を導き出したりはしないものだ。

 溢れかえる信憑性のない情報に惑わされて、自分の「道」を右往左往させ、アイデンティティを喪失させていく見苦しさをこそ、私は「悪」とする。

 『かけ替えない体験だと思っていたことが、「そんなものはよくあることだ」といなされ、素晴らしい女性だと思っていたのに「よくある女だよ」と水をかけられてしまう』・・・、

 これは、「2ちゃんねる」でのレス応酬に対しての石原慎太郎的な表現だろう。

 うまく、確かに上品な表現である。

 アイデンティティに「信念」のない人間は、他人の些細な一言で、世界観を180度反転させる。

 事件を構成する100の因子に「正しさ」を感じても、いつしか、それを常態と感じ、新たに加わった1のマイナス因子で、それまで信じていたモノに疑惑を生じさせるのだ。

 (※1)これは、何度もネット上で書いたが、宮台氏は、十年ほど前、私の書いた文章を誉めてくれたことがあった。
     それ以来、保守論壇では評判の悪い宮台氏だが、私は、批判する気持ちなど毛頭ない^^;

▼さて、今回、石原慎太郎は、何故、「情報の氾濫」について書いたか?

 まあ、それ以前から問題視していたのだろうが、直接の引き金としては、先月、フジテレビで放送された「たけしの教育6時間スペシャル」での久米宏(※2)との討論に端を発するだろう。

 この番組の中で、

 携帯害悪論を語る石原氏に、久米氏が、

「もう、そこに存在しちゃってる物を、社会を変える立場であるあなたが否定してばかりではしょうがない。現状に即応した対策を発すべきだ」と言う趣旨の正論を言った。

 今回の『日本よ』で石原氏は、その時に言い残したことをちゃんと言っておきたかったのだろう。

 携帯電話が、子供に限らず、あらゆる人間のイマジネーションを破壊している、と言う石原氏の趣旨は分かるのである。

 しかし、なおも、久米氏の言葉は有効で、『「駄目だ、駄目だ」言っている石原氏ではしょうがない』のである。

 携帯が人類の成長を阻害するのは分かったが、石原氏は、何ら対策を講じようとしない。

 携帯が悪い。

 じゃあ、『禁携帯法』を発布するのか? と言うと、そんなことは出来ようはずがないし、出来てしまったら暴動が起きよう。

 石原氏と久米氏の会話は、永遠に平行線を辿るだろう・・・。

 (※2)久米宏は、言わずもがなの「左翼」筆頭である。もち、私の「敵」である。

 だが、『ニュースステーション』のキャスターを辞めて、その後、いまいちテレビで活躍できず、しばらくテレビと言うか社会を客観的に見つめていただろう久米氏の言葉には、ちょっと共感できる点も多々あるのだ。

 ただ、くだんの「たけしの教育6時間スペシャル」の中で、「時代は進歩していく、これはしょうがない」と言ったのは100%間違いで、左翼に毒された言葉だ。

 時代は「変化」はしていく。

 しかし、「変化」はけして「進歩」ではない。

 そういった認識が、左翼になく、「時代は進歩していく」と言う標語で思考停止してしまうのだ。

 井筒和幸監督がよく映画評論で『この作品は、「反権力」じゃないからダメだ』などとのたまっていたが、これは、「権力=悪」と言う標語で思考停止してしまう左翼虜囚だからこその思慮のない言葉だ。

 いい権力だってあろうよ・・・。

 そうそう、左翼にとっての「中国共産党一党独裁政権」やら「金正日体制」やらさあ^^;

▼石原慎太郎の今月の『日本よ』だが、その最大の問題点は、以下の一文にある。

 <・・・子供たちの所持している携帯電話には規制の無いまま、売春や変質者の嗜好に応えて容易に多額の金を手にする手引きまでが盛り込まれている。それらの情報は風俗の紊乱にとどまらず、若い世代の人間たちの人間としての本質を狂わせてしまいかねない。こうした状況は性愛に関していえば「体は手に入るけれど心が手に入らない」といった根源的な喪失を生み出してしまう。今時の若い女の子たちが「腐女子」などと呼ばれるような徴候は、喪失以外の何ものでもありはしない。・・・>

 いい文章だよ。

 だが!

 おーい! 誰か、石原の慎ちゃんに【腐女子】という言葉の正しい意味を教えてやってくれぇぇええ!!!

 産経新聞は、全国紙だべ?

 編集者は、何で、この誤った言葉の使い方を、全国紙の一面でそのまま通しちゃったんだよ!

   【これでは、あたかも「腐女子」が、
    援助交際に代表されるような行為をするタイプの女の子のようではないか!】

 「腐女子」ってのは、そう言ったベクトルの女の子のことを言うのではない。

 どっちかと言うと、いわゆる「オタク」の女の子に冠せられる言葉なのである。

  (Wikipedia『腐女子』の項より)
<・・・腐女子は漫画・アニメ・他の二次元作品、時には芸能などの三次元をして、男性キャラ同士が「恋愛していたら」という妄想で楽しむ同人女性であり、日本の漫画・アニメ市場の有力な購買層の一つである。
 ボーイズラブ(BL)というジャンル自体が普及し、BL市場が発展したことにより、原作の漫画・アニメ・ゲーム自体がボーイズラブである作品を愛好する女性を含む呼称となった。
 ・・・この呼び名は「腐女子」自身が自嘲の意味を込めて言い始めた言葉だが、その呼び名が広く知れ渡った現在では、オタク女性全般に対する呼称としても使われる事が多い。
 とくにTVなどのメディアや所謂オタクとは呼ばれない人には、この使い方の方が浸透している。・・・>

 私は、アダルトビデオなどで見る援助交際女子高生は楽しんでみるが、実際、実社会で、自分がそんな若い娘を目の前にしたら、いささか、まともなつきあいが出来るとは思えない。

 しかし、【夢見る少女】の亜種である【腐女子】だったら、私は、全く問題なく交際し、その娘に「大人の階段」を上らせてあげられると思う^^;

   ♪大人の階段 の~ぼ~る~
     ♪君はまだ シンデレラさぁ~
    ♪幸せは誰かがきっと~
       ♪運んでくれると信じてるね~

 石原慎太郎の「腐女子」認識は、腐女子(オタク婦女子)に対し、非常に失礼である。

 産経新聞は、訂正記事を出さねばなるまい。

 さあ、美しくも「腐女子」に堕ちた天使たちよ。

 我がもとへ、いざなわれよ・・・。

 再び、天へ・・・。

                                                 (2006/12/05)


   ◇

 一昨々年に死んだ我が父親は、ゼネコン畑で活躍してきた男なので、石原慎太郎と何度も会っている。

                                                      (2010/04/14)

   ◇

 私の文章は、時間の経過にさらされても、なお、読んでいて面白く光るな!!!^^v

                                                      (2012/06/02)

[映画『君への誓い』を観た]

2012-06-01 23:57:54 | 物語の感想
☆予告編を見る段においては、大体の予想のつく物語であり、

 ホント、最初の15分は、愛し合う二人に深刻な結果をもたらす交通事故が訪れてしまうのが、「カーセックスをすると子供を授かる」と言う理由で、ヒロインがシートベルトを外したことに起因するのも含めて、

 なんだかなあ…、の思いと、

 話がちょいと遡り、仲間らに囲まれ、開館中の美術館でゲリラ的に結婚する斬新さ、なんてのにも心が揺り動かされることなく、

 退屈な作品を見始めてしまった…、の思いが強かった。

 しかし、いざ、その、この作品をオリジナルたらしめている展開…、事故で頭を打ったことによって、新婚生活を二人でラブラブに過ごしていた妻の記憶…、その近しい丸4年間が消え去る…、という物語に突入していくと、俄然 面白く、目が離せなくなった。

 いや、それも予告編で分かっていたことだ。

 が、あらすじと物語は違う。

 実際の登場人物たちの生きる営みは・・・

   ◇

 ちょっと風呂に入ってきます。

 でたら、すぐに書きます^^

   ◇

 ・・・風呂、出ました^^

   ◇

 実際の登場人物たちの生きる営みの、段階を経た活写は、やはり、なかなか心に届いて、身につまされるのである。

 面白いのが、妻の消えた4年間の記憶と言うのは、

 ちょうど妻の人生の転換期で、法科の学生であったペイジ(レイチェル・マクアダムス)が、婚約者と別れ、理由ありて家出し、美術に傾倒し、それを生業としつつあり、

 レオ(チャニング・テイタム)と知り合い、交際を経て結婚に至る期間でもあった。

 それがスッポリと抜け落ち、レオとの愛を忘却してしまう展開は、分かっていながら、いざ、鑑賞と言う疑似体験を経ると、かなり面白い。

 つまり、ペイジは、親の保護下で、婚約者に胸をときめかせる娘に戻ってしまうのだ。

 レオは、自分の愛し、愛されていた妻とは違う妻を目前にしなくてはいけない。

 なんちゅうか、どうしても理解できなかった、『JOJO:第5部』のラスボスのスタンド(超能力)「キングクリムゾン:エピタフ」の効果をまざまざと理解させられたような気がするし、

 『アルジャーノンに花束を』みたいな、精神的な喪失を髣髴とさせてくれるし、

 東野圭吾の『秘密』のような、ほろ苦くも下世話な味わいもあった。

 チャニング・テイタムは、妻の不遇へのリアクション演技なので、まあ、普通だが、

 妻役のレイチェル・マクアダムスは、脳障害を生活の中で実体験する演技をしなくちゃならないので、難しかったと思う。

 しかし、展開的には、チャニング・テイタム演じる夫レオの、ペイジに対するフェアな接し方こそが、エピローグをハッピーエンドにする。

 でも、レオの、ペイジの元婚約者への対応はフェアでない。

 この元婚約者…、金持ちのイケメンで、いけ好かないが、物語上、別に悪いことはしていない。

 最後に、レオに酷いことを言って殴られるが、それは、レオが絡んできたからで、なんかかわいそうでした^^;

 また、ペイジの父親という重要な役で、サム・(ダミアン・)ニールが出演していた。

 サム・ニールは、ニュージーランドにワーキングホリデーに行ってた時に、私が働いていた日本食料理店に時折り顔を出してくれていたんで、ちょいと懐かしい^^

 そして…、うーむ、エピローグの、ハッピーエンドに至るペイジの心境の変化には、もうちょい描写が欲しかったですね(同様の駆け足エンディング近作、『僕等がいた:後篇』『宇宙兄弟』)。

                                                    (2012/06/01)