「小林秀雄の恵み」に2か月以上の時間を費やし、挙句の果てには何一つ理解できていないことだけが理解できました。それで、もう少し柔らかい本を読もうと思い、金曜日のカイロプラクティックの予約時間までの時間つぶしかたがた、カフェでお茶しながら土屋賢二センセイの「ツチヤの貧格」(誤字ではありません)を読み始めました。読み始めてから失敗に気がついたのですが、土屋センセイの本を人前で読んでいると、本を読みながら笑っている不気味な人になってしまうのでした。週刊文春に掲載されているエッセイをまとめて、年に1回ぐらいの割合で単行本化し、それが2年遅れぐらいで文庫本になります。昨年、無事(?)にお茶の水女子大学を退官され、現在はお茶大の名誉教授になられた土屋センセイですが、このエッセイを書いている時点ではまだお茶大教授でいらっしゃいます。
国立大学の教授というといかめしいイメージがありますが、本来の哲学研究者としての姿はともかく、このエッセイ上の土屋センセイの貧相さは抱腹絶倒ものです。妻を恐れ、助手を恐れ、学生にも犬にも馬鹿にされているとお書きになっています。この本の中で一番おかしかったのは「犬はクーンと泣くだけで労わられるが、自分は泣いても労わられることはない」というくだりです。確かに、全国のおぢさんたちの中にはそういって嘆いている人は多いのかもしれないと思うと、余計笑えてきます。「わたしはヨレヨレになって歩いているのに、犬は乳母車に乗って涼しい顔をしている」とか。見方を変えれば、昨今のペットブームに対する土屋センセイ的批判ともとれますが、それは後づけの理屈であって、読んでいる最中は犬と自分を比べて嘆いておられる土屋センセイの貧相さがとにかく面白いのです。
「小林秀雄の恵み」に2か月以上苦しみ続けたので、「ツチヤの貧格」でリハビリさせていただいた気分です。ちなみに、カフェで時々笑いながら読み、帰宅して涙を流して笑いながら読んでも、都合2時間ぐらいで読了してしまいました。貧格という言葉とは裏腹に、笑いながら読んでいてもいろいろと考えることの多い本でした。できれば人前ではなく、自分の部屋でお読みいただくことをお勧めします。
国立大学の教授というといかめしいイメージがありますが、本来の哲学研究者としての姿はともかく、このエッセイ上の土屋センセイの貧相さは抱腹絶倒ものです。妻を恐れ、助手を恐れ、学生にも犬にも馬鹿にされているとお書きになっています。この本の中で一番おかしかったのは「犬はクーンと泣くだけで労わられるが、自分は泣いても労わられることはない」というくだりです。確かに、全国のおぢさんたちの中にはそういって嘆いている人は多いのかもしれないと思うと、余計笑えてきます。「わたしはヨレヨレになって歩いているのに、犬は乳母車に乗って涼しい顔をしている」とか。見方を変えれば、昨今のペットブームに対する土屋センセイ的批判ともとれますが、それは後づけの理屈であって、読んでいる最中は犬と自分を比べて嘆いておられる土屋センセイの貧相さがとにかく面白いのです。
「小林秀雄の恵み」に2か月以上苦しみ続けたので、「ツチヤの貧格」でリハビリさせていただいた気分です。ちなみに、カフェで時々笑いながら読み、帰宅して涙を流して笑いながら読んでも、都合2時間ぐらいで読了してしまいました。貧格という言葉とは裏腹に、笑いながら読んでいてもいろいろと考えることの多い本でした。できれば人前ではなく、自分の部屋でお読みいただくことをお勧めします。