☆浜木綿(ハマユウ)
浜木綿の 風にそよぎて 咲くさまの 優しき姿 君に見せたく 柿本人麻呂
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長男が生まれた24日は土曜日、先生があと100gでも大きかったら帝王切開だった言われた。
土曜だったので、先生や看護婦さんが何人もついてくれたと言う贅沢な出産だった。
4キロジャスト。 2日ほど腰が立たなかった。 色々な患者さんを見てきたので、歩けなかったらどうしようと思ったくらい。
生まれるのがあと1時間遅ければ夫は午後会社の慰安旅行に出かけていなかった。 (生まれてなくてもやめはしない)
AM11時、産声を聞き、お互いの実家へ念願の長男誕生の電話をかけているのが分娩室まで聞こえていた。
部屋へもどった私の顔を見るなり、「行ってくるぞ」 嬉しそうに(旅行に行くのが)出かけて行った。
次女の場合は、大きなおなかをして自転車で診察に行ったら、今から入院して下さいと言われた。
長女と長男を義姉に見てもらって、自転車へ荷物を積んで病院へ行った。
そんな姿を見た母と同じくらいの年のお隣の奥さまが不安とそれにちょっと呆れていたかも。 3人目、母は強し。
陣痛が中々こなかったが、夕方痛みがきてからは早かった。
長女や長男の時と違って、産んだ瞬間に私のまわりにバラの花がわーって降ってきたような何とも言えない気持ちだった。
それにしても、長女は2日前の22日で、長男と次女は24日、長女が24日なら3人が同じ日と言うことで、当時やっていた
奇人変人の番組に出られたのに、のちに家族でそんな話をしたことがあった。 ちょっと残念だった。
しかし子供たちにすれば、3回食べられるはずのバースデーケーキが1回と言う不運、かなりな年齢までブーイングだった。
団捨離の時代、物は当然だが思い出をいつまでも懐かしむより、残りのこれからの人生を楽しむことを考えた方がと思うようになった。
が、子供たちが生まれた日・・これは忘れられない財産、大切にしたい思い出である。
私たちは先に逝く。 子供たちのこれからのまだ長い人生、色々あるだろうがいい家庭を作り上げて行って欲しいと思う。
24日と言う日、しみじみと子供たちのことを思う日である。