阪神淡路大震災から30年、島岡美延です。寝ている人が多い冬の暗い朝、揺れを知らなかった関東の私が目にしたのはテレビの信じがたい映像。
西宮の友人をその夏に訪ね、「社宅の人たちが赤ちゃん優先だから、と助けてくれた」という話を聞きました。震災の二日前に引っ越したばかりの若い夫婦の子ももう30代。あの頃、職場結婚、社宅暮らしは多かったはず。
30年たって「街はきれいになったけど閑散として、思い描いていたのと違う」という声も。都市部ですら商店街が消えつつある今、街の復興とは何なのか。その後も東日本大震災、熊本地震、能登半島地震など震度7、さらに6弱以上は数えきれないほどあった日本列島。
南海トラフ地震が30年以内に起こる確率80%、と言われても「自分は遭遇しない」と思っている人が多そう。降水確率80%なら傘を持つけど、30年以内は今日でもおかしくないし、10年後かもしれないし。大災害のたびに出てくる教訓、国はボランティアや民間まかせが多すぎない?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます