この本について書くのはちょっと気恥ずかしい。
なぜなら買ってこれまで全くの『積ん読(つんどく)状態』にあった本なのだから。
※トマス・ピンチョン『スロー・ラーナー』筑摩書房 / 1989年6月15日初版第6刷発行
<収録作品>
スロー・ラーナー<のろまな子>
少量の雨
低地
エントロピー
秘密裡に
秘密のインテグレーション
ワタシはかなりの本を読んでいるように思われているかもしれませんが、実はそうでもナイのです⤵。
かってガルシア・マルケスに代表される『魔術的リアリズム』の小説が一大ブームになった時期がありました。
私もそのテの本を読み漁ったことがあります。そこからドナルド・バーセルミ『死父』やらウイリアム・バロウズ『裸のランチ』あたりまで読み進んで、ビートニクス運動からとうとうトマス・ピンチョンに・・・いやいやトマス・ピンチョンまでは至らなかった。
ビートニクス運動の小説を読み進むのにイイカゲン疲れたンだろうと思うンです。
※『裸のランチ』は鬼才デヴィッド・クローネンバーグ監督によって映画化された(原作と映画は全くの別物)
で、この本は買ってから現在まで実に30年間『積ん読(つんどく)状態』にありました(告白)。
あらためて読んでみるとこれが短編集であったことに驚きました。
『えー!?ピンチョンに短編があったのか!』
『V』や『重力の虹』の分厚い装丁を見て『これは手ごわい』と思い、これはまだしも読み切れる中編だと思い込んで買ったに違いないのです、30年前の私は。
で、読んでみると表題作『スロー・ラーナー』とはピンチョン自身による収録作品解説だったことにまたビックリ!
そうかぁ「『まえがき』を独立した作品にする」といった実験的な手法をこの時代にやっているのね。
で、収録作品に『エントロピー』が入っているのに、またまたビックリ!
ええ!?昔、SFマガジンの紹介レビュー記事で読んだことがある、この小説ってピンチョンの作だったのぉ!?
ずっとJ.G.バラードの作品だとばかり思っていました⤵。
凄い思い違いをしていたものです。
不思議な味わいを持った短編集ですが、ピンチョンの自伝的な小説『少量の雨』や、科学的概念を扱った『エントロピー』のような実験的な小説等、読んでみると結構オモシロイのですが、どうやらこれらの小説を読むには、かなりの素地が必要なようです。少なくともT.S.エリオットの『荒地』やストラヴィンスキー『兵士の物語』くらいは知っておかないと、と思われるので、やっぱりかなり『手ごわい』短編集なのです。
※吾妻ひでお描く『のた魚』・・・抛っておくとエントロピーはどんどん増大していく
『エントロピー』とは無秩序の程度を表わす言葉(←熱力学の第二法則)です。
『この世界にあるエネルギーは利用可能なものから、利用不可能なものに変換されていく』という原則がありますが、この現象を『エントロピーの増大』と呼ぶワケです。例えばガソリンを燃焼させる内燃機関は熱を運動に変える装置ですが、発生した運動エネルギーは車軸の抵抗や路面との摩擦によって利用できない熱エネルギーに変換されていきます。ブレーキは車輪の回転を止める装置だと思っている人が多いのですが、正確にはブレーキパッドでディスクを掴むことによって運動エネルギーを熱(と音)のエネルギーに変換しているのです。ハイブリッド車はこれをもう一度電気に変換しようとしていますが、言うまでもなく100%変換できるワケではありません。
最終的には熱エネルギーの差というものが発生しない状態・・・すなわち宇宙の『熱的な死(ヒートデス)』状態に至って安定する、そこには一切の運動も熱の移動や変換も起こらない。
生物は局所的にはエントロピーを減少させることができますが、世界全体のエントロピー増大を押しとどめることはできません。
※木城ゆきと作『銃夢(ガンム)』より、SFでは昔から『宇宙の熱的な死』が扱われてきました
『熱的な死(ヒートデス)』と言われると、何だか真っ黒に焼け焦げて死ぬようなイメージを思い浮かべそうですが、これはもっと違って・・・そうですね『冷たい水と熱いお湯を混ぜると、ぬるま湯になって安定する』ような状態を言っているのです。
宇宙全体が熱的な死を迎えるのは何億年も先(いや、もっともっと先でしょう)のことになるはずですが、これをピンチョンは80年代に世界が華氏37度で安定する状態が訪れる小説として書き上げました。作者自身の解説(スロー・ラーナー)によれば『人体がセ氏37度で安定しているのだから、世界は華氏37度(2~3℃)で安定するように書いたのです』と作者自身によるネタばらしが行われています。
ストーリーはある小部屋での乱痴気パーティーの描写から始まり、部屋の中のケイオス(混沌)状態が増していく(エントロピーの増大)のと並行して、飼っている小鳥が弱っていく様子が描かれる。体温で温めてやろうとするが、弱った小鳥は死んでしまう。パーティーの混乱が最高潮に達すると部屋と外界とを仕切っていた窓ガラスが割られ、ゆっくりと均質な温度で満たされた死の世界が部屋に満ちるであろうことを暗示して物語は終わります。
ここで相応しいのはやっぱりT.S.エリオット『荒地』の一節なのだろう。
ネビル・シュートが最終戦争後の世界と人類の滅亡を描いた小説『渚にて』の冒頭にも引用されています。
※映画『渚にて』1960年アメリカ(スタンリー・クレイマー監督)
このいやはての集いの場所に
われら ともどもに手さぐりつ
言葉もなくて
ただこの潮満つる渚につどう
かくて世の終わり来たれり
かくて世の終わり来たれり
地軸くずれるとどろきもなく
ただひそやかに
なぜなら買ってこれまで全くの『積ん読(つんどく)状態』にあった本なのだから。
※トマス・ピンチョン『スロー・ラーナー』筑摩書房 / 1989年6月15日初版第6刷発行
<収録作品>
スロー・ラーナー<のろまな子>
少量の雨
低地
エントロピー
秘密裡に
秘密のインテグレーション
ワタシはかなりの本を読んでいるように思われているかもしれませんが、実はそうでもナイのです⤵。
かってガルシア・マルケスに代表される『魔術的リアリズム』の小説が一大ブームになった時期がありました。
私もそのテの本を読み漁ったことがあります。そこからドナルド・バーセルミ『死父』やらウイリアム・バロウズ『裸のランチ』あたりまで読み進んで、ビートニクス運動からとうとうトマス・ピンチョンに・・・いやいやトマス・ピンチョンまでは至らなかった。
ビートニクス運動の小説を読み進むのにイイカゲン疲れたンだろうと思うンです。
※『裸のランチ』は鬼才デヴィッド・クローネンバーグ監督によって映画化された(原作と映画は全くの別物)
で、この本は買ってから現在まで実に30年間『積ん読(つんどく)状態』にありました(告白)。
あらためて読んでみるとこれが短編集であったことに驚きました。
『えー!?ピンチョンに短編があったのか!』
『V』や『重力の虹』の分厚い装丁を見て『これは手ごわい』と思い、これはまだしも読み切れる中編だと思い込んで買ったに違いないのです、30年前の私は。
で、読んでみると表題作『スロー・ラーナー』とはピンチョン自身による収録作品解説だったことにまたビックリ!
そうかぁ「『まえがき』を独立した作品にする」といった実験的な手法をこの時代にやっているのね。
で、収録作品に『エントロピー』が入っているのに、またまたビックリ!
ええ!?昔、SFマガジンの紹介レビュー記事で読んだことがある、この小説ってピンチョンの作だったのぉ!?
ずっとJ.G.バラードの作品だとばかり思っていました⤵。
凄い思い違いをしていたものです。
不思議な味わいを持った短編集ですが、ピンチョンの自伝的な小説『少量の雨』や、科学的概念を扱った『エントロピー』のような実験的な小説等、読んでみると結構オモシロイのですが、どうやらこれらの小説を読むには、かなりの素地が必要なようです。少なくともT.S.エリオットの『荒地』やストラヴィンスキー『兵士の物語』くらいは知っておかないと、と思われるので、やっぱりかなり『手ごわい』短編集なのです。
※吾妻ひでお描く『のた魚』・・・抛っておくとエントロピーはどんどん増大していく
『エントロピー』とは無秩序の程度を表わす言葉(←熱力学の第二法則)です。
『この世界にあるエネルギーは利用可能なものから、利用不可能なものに変換されていく』という原則がありますが、この現象を『エントロピーの増大』と呼ぶワケです。例えばガソリンを燃焼させる内燃機関は熱を運動に変える装置ですが、発生した運動エネルギーは車軸の抵抗や路面との摩擦によって利用できない熱エネルギーに変換されていきます。ブレーキは車輪の回転を止める装置だと思っている人が多いのですが、正確にはブレーキパッドでディスクを掴むことによって運動エネルギーを熱(と音)のエネルギーに変換しているのです。ハイブリッド車はこれをもう一度電気に変換しようとしていますが、言うまでもなく100%変換できるワケではありません。
最終的には熱エネルギーの差というものが発生しない状態・・・すなわち宇宙の『熱的な死(ヒートデス)』状態に至って安定する、そこには一切の運動も熱の移動や変換も起こらない。
生物は局所的にはエントロピーを減少させることができますが、世界全体のエントロピー増大を押しとどめることはできません。
※木城ゆきと作『銃夢(ガンム)』より、SFでは昔から『宇宙の熱的な死』が扱われてきました
『熱的な死(ヒートデス)』と言われると、何だか真っ黒に焼け焦げて死ぬようなイメージを思い浮かべそうですが、これはもっと違って・・・そうですね『冷たい水と熱いお湯を混ぜると、ぬるま湯になって安定する』ような状態を言っているのです。
宇宙全体が熱的な死を迎えるのは何億年も先(いや、もっともっと先でしょう)のことになるはずですが、これをピンチョンは80年代に世界が華氏37度で安定する状態が訪れる小説として書き上げました。作者自身の解説(スロー・ラーナー)によれば『人体がセ氏37度で安定しているのだから、世界は華氏37度(2~3℃)で安定するように書いたのです』と作者自身によるネタばらしが行われています。
ストーリーはある小部屋での乱痴気パーティーの描写から始まり、部屋の中のケイオス(混沌)状態が増していく(エントロピーの増大)のと並行して、飼っている小鳥が弱っていく様子が描かれる。体温で温めてやろうとするが、弱った小鳥は死んでしまう。パーティーの混乱が最高潮に達すると部屋と外界とを仕切っていた窓ガラスが割られ、ゆっくりと均質な温度で満たされた死の世界が部屋に満ちるであろうことを暗示して物語は終わります。
ここで相応しいのはやっぱりT.S.エリオット『荒地』の一節なのだろう。
ネビル・シュートが最終戦争後の世界と人類の滅亡を描いた小説『渚にて』の冒頭にも引用されています。
※映画『渚にて』1960年アメリカ(スタンリー・クレイマー監督)
このいやはての集いの場所に
われら ともどもに手さぐりつ
言葉もなくて
ただこの潮満つる渚につどう
かくて世の終わり来たれり
かくて世の終わり来たれり
地軸くずれるとどろきもなく
ただひそやかに