最後の小説たる『モナドの領域』を書き終えた著者の『文学への関わり』を描いたエッセイ集。

※筒井康隆『不良老人の文学論』株式会社新潮社/2018年11月20日発行
84歳にして、もはや老大家として悠々自適かと思ったら、その忙しいこと。
各賞の選考委員を務める所為もありますが、大変な読書量です。気が遠くなる。
応募者の(中には)稚拙な文章をも読むのだからこれは大変なことだと想像できます。
最近あまり小説を読まなくなったのは、読み終わって『ああ時間を損した』と思えるようなものが多くなって手が出せないのですが、この本では実に様々な作品を的確に論評してあります。この本に従って読み進めれば、まずハズレなし、時間を有効に使えるに間違いありません。これから読む本選びのガイドとしても実に有用だと思います。
また、著者の交友関係や信条も吐露され、楽しく読める一冊です。
読み進むなかでブログを書く者として大いに共感するところのあった文章・・・『表現の自由のために』と題された一文をそのまま転載してみます。
ユーモア、ギャグ、ナンセンス、風刺、サタイア、何でもいいが50年以上読者を笑わせることを考えて書いてきた。わかったことは「笑い」で怒る人もいるということだ。何を言いたいのかといえば、表現の自由についてである。パリの風刺新聞シャルリー・エブドの事件で表現の自由が問題になり、少し以前には表現の自由か人権かという議論が、小生の断筆宣言からも敷衍されて論じられたりもしたのだったが、今回の場合表現の自由のためなら何をしてもいいのかという、あきらかに表現の自由を抑制するためのみの議論となっている。不寛容を支持するマスコミの存在さえあるが、小生文筆業者としては当然表現の自由を守ろうとする立場にあるわけで、もし殺意を抱くほど怒る人がいたならばこれは殺されてもしかたがないという覚悟以前に、まずは表現の自由には表現の自由で戦うべきだという論理を提示したい。表現が一部の人の特権であった時代は昔のことであり、今や誰でもがネットで自分の考えを述べることができる世界なのである。それを許容できるかどうかは読む人の知識、教養、知性にかかっている。
50年前、当時すごい勢いで信者を増やしていた創価学会を「堕地獄仏法」という作品で茶化し、破折された体験がある。この作品を読んだ創価学会の会員でもあるインテリが「でも、これはこういう話なんでしょ」と言っていた。つまりはこれが知性なのである。新生『サンデー毎日』にはこのような知性、そして言うまでもなく表現の自由を守るための共闘を切に望みたい。 (サンデー毎日2015年4月19日号)
最後に・・・著者の思い出として論評されている作家の方々の多くがすでに鬼籍に入ってしまいました。
ご冥福をお祈り致します。

※筒井康隆『不良老人の文学論』株式会社新潮社/2018年11月20日発行
84歳にして、もはや老大家として悠々自適かと思ったら、その忙しいこと。
各賞の選考委員を務める所為もありますが、大変な読書量です。気が遠くなる。
応募者の(中には)稚拙な文章をも読むのだからこれは大変なことだと想像できます。
最近あまり小説を読まなくなったのは、読み終わって『ああ時間を損した』と思えるようなものが多くなって手が出せないのですが、この本では実に様々な作品を的確に論評してあります。この本に従って読み進めれば、まずハズレなし、時間を有効に使えるに間違いありません。これから読む本選びのガイドとしても実に有用だと思います。
また、著者の交友関係や信条も吐露され、楽しく読める一冊です。
読み進むなかでブログを書く者として大いに共感するところのあった文章・・・『表現の自由のために』と題された一文をそのまま転載してみます。
ユーモア、ギャグ、ナンセンス、風刺、サタイア、何でもいいが50年以上読者を笑わせることを考えて書いてきた。わかったことは「笑い」で怒る人もいるということだ。何を言いたいのかといえば、表現の自由についてである。パリの風刺新聞シャルリー・エブドの事件で表現の自由が問題になり、少し以前には表現の自由か人権かという議論が、小生の断筆宣言からも敷衍されて論じられたりもしたのだったが、今回の場合表現の自由のためなら何をしてもいいのかという、あきらかに表現の自由を抑制するためのみの議論となっている。不寛容を支持するマスコミの存在さえあるが、小生文筆業者としては当然表現の自由を守ろうとする立場にあるわけで、もし殺意を抱くほど怒る人がいたならばこれは殺されてもしかたがないという覚悟以前に、まずは表現の自由には表現の自由で戦うべきだという論理を提示したい。表現が一部の人の特権であった時代は昔のことであり、今や誰でもがネットで自分の考えを述べることができる世界なのである。それを許容できるかどうかは読む人の知識、教養、知性にかかっている。
50年前、当時すごい勢いで信者を増やしていた創価学会を「堕地獄仏法」という作品で茶化し、破折された体験がある。この作品を読んだ創価学会の会員でもあるインテリが「でも、これはこういう話なんでしょ」と言っていた。つまりはこれが知性なのである。新生『サンデー毎日』にはこのような知性、そして言うまでもなく表現の自由を守るための共闘を切に望みたい。 (サンデー毎日2015年4月19日号)
最後に・・・著者の思い出として論評されている作家の方々の多くがすでに鬼籍に入ってしまいました。
ご冥福をお祈り致します。