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【八岐大蛇(ヤマタノオロチ)伝説】
※出雲のご当地ナンバーは、何と八岐大蛇(ヤマタノオロチ)です(かっけえええ!)。
八岐大蛇(ヤマタノオロチ)伝説とは何なのでしょうか?
八つの頭と八つの尾を持つヤマタノオロチ、これはまことにヴィジュアル化しにくい存在です(↓脚註1)。
なんといってもその姿形が実に特異なのです。
古事記によると『彼の目は赤加賀智(あかかがち)の如くして、身一つに八頭八尾有り。亦其の身に蘿(こけ)と檜杉と生ひ、其の長は谿八谷狭八尾に度りて、其の腹を見れば、悉に常に血爛れつ』とあり、日本書記にも『期(とき)に至りて果して大蛇有り。頭尾各八岐有り。眼は赤酸醤(あかかがち)の如し。松柏、背上に生ひて、八丘八谷の間に蔓延れり』とあります(↓脚註2)。
何と『背中に樹木が生えていて八つの尾根と八つの谷に跨る』というのです。
背中に樹を生やした八岐大蛇(ヤマタノオロチ)をヴィジュアル化すると(↓)こうなります。
※映画『八岐大蛇の逆襲』より・・・米子市街を舞台に八岐之大蛇と防衛隊の攻防戦を描く
背中に樹木が生えている、これはもはや山そのものです。そのような山があるのでしょうか。
それは蛇身の神オオモノヌシ(オオクニヌシと同一とされる)を祀る三輪山ではないか、というのです。
三輪山の姿をよく見ると複雑な稜線と谷があり、あたかも蛇がうねっているように見えます。
※三輪山の姿とその複雑な等高線
八つの尾根と八つの谷を持っている、と言われればそう見えなくもありません。
そして出雲神話に登場する神々は本来大和に祀られていたというのです。
オオモノヌシ・・・(出雲族三輪氏の神)・・ご神体は三輪山そのもの
コトシロヌシ・・・(オオクニヌシの息子)・奈良県高市郡雲梯(うなて)神社の神様
アジスキタカヒコネ(出雲族賀茂氏の神)・・葛城山高鴨神社の神様
伝承を綜合して浮かび上がるのが「オオモノヌシ=オオクニヌシ」と「八岐大蛇=三輪山」という構造です。
そして『天孫族のニギハヤヒのミコトが神武帝(ニニギノミコト)よりも先に大和に来て出雲族のナガスネヒコとともに大和地方を支配していたが、ナガスネヒコとニニギノミコトの争いが始まると、形成不利とみるやナガスネヒコを裏切って殺し帰順した』という史実を探し当てます。
且夫(またか)の長髄彦(ながずねひこ)の稟性愎佷(ひととなりすかしまにもと)りて、教ふるに天人(きみたみ)の際(あひだ)を以てすべかざることを見て、乃ち殺しつ。其の衆(もろびと)を帥(ひき)ゐて帰順(まつろ)ふ。(日本書記)
ニギハヤヒノミコトの裏切りとナガスネヒコの死により天孫族による大和地方の支配が確立したこの事件こそ、オオクニヌシのヤマタノオロチ退治の真相だと同定するのです(↓脚註3)。
※三種の神器(草薙剣、八咫鏡、八尺瓊勾玉)のイメージ
「鏡を神聖なものとして奉じる天孫族が、銅鐸を奉じる出雲族に勝利し、支配のしるしである草薙剣を手に入れて大和地方を平定した」この一件こそが八岐大蛇退治の真相なのです。
三種の神器のひとつとされる草薙剣は銅剣で、現在そのオリジナルはニギハヤヒノミコトの子孫とされる物部氏ゆかりの熱田神宮に安置されています。
(つづく)←その③に進みたいヒトはこの文字をクリック!
※脚註1:八つの頭と八つの尾となると世界にも類のない姿形です。
頭だけなら七つの首をした「ヒュドラ」や「黙示録の獣」のような例はありますが・・・。
※レイ・ハリイハウゼン監督の映画『アルゴ探検隊の大冒険』から、金羊毛を守るヒュドラ
※脚註2:この本にはありませんが、八岐大蛇の赤い眼と爛れた腹は青銅器鋳造に関係する事実を現しているかもしれません。八岐大蛇の尾から草薙剣は出てくるのですから。
古代において鍛冶に関する技術は当時最高の軍事機密のため、徹底的な情報統制が敷かれていたと思われます。
八幡宇佐神宮御託宣集によれば、欽明29年(西暦568年)の託宣に曰く『豊前国宇佐郡菱型池の辺、小倉山の麓に鍛冶の翁有り。奇異の瑞を帯び、一身と為て、八頭を現す。人聞いて実見の為に行く時、五人行けば即ち三人死し、十人行けば即ち五人死す』とあります。これによれば『鍛冶の翁が変じてその頭が八つになり、噂を聞いて見に行った者たちの半数が死んだ』というのです。見に行った者が全員死んでしまっては、話を持ち帰って伝えるものがいなくなるので『きっちり半分だけ殺す』というのです。これ『二度と近づくな』という警告でしょう。
※脚註3:八岐大蛇退治の真実がこの本の通りだとすれば「日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征に草薙剣を持って行ったのは偶然ではない」という結論に達します。ナガスネヒコを殺して奪った草薙剣は大和地方を征服した証(あかし)ですから、これを見た東夷たちの戦意を失わせるに充分な効果があったはずです。
そういえば日本武尊も、素戔嗚尊(スサノオノミコト)と同じく酒の席での騙し討ちで熊襲に勝っています(しかも女装して!)。どうやら天孫族は騙し討ちを戦の常套手段としているようです。
【八岐大蛇(ヤマタノオロチ)伝説】
※出雲のご当地ナンバーは、何と八岐大蛇(ヤマタノオロチ)です(かっけえええ!)。
八岐大蛇(ヤマタノオロチ)伝説とは何なのでしょうか?
八つの頭と八つの尾を持つヤマタノオロチ、これはまことにヴィジュアル化しにくい存在です(↓脚註1)。
なんといってもその姿形が実に特異なのです。
古事記によると『彼の目は赤加賀智(あかかがち)の如くして、身一つに八頭八尾有り。亦其の身に蘿(こけ)と檜杉と生ひ、其の長は谿八谷狭八尾に度りて、其の腹を見れば、悉に常に血爛れつ』とあり、日本書記にも『期(とき)に至りて果して大蛇有り。頭尾各八岐有り。眼は赤酸醤(あかかがち)の如し。松柏、背上に生ひて、八丘八谷の間に蔓延れり』とあります(↓脚註2)。
何と『背中に樹木が生えていて八つの尾根と八つの谷に跨る』というのです。
背中に樹を生やした八岐大蛇(ヤマタノオロチ)をヴィジュアル化すると(↓)こうなります。
※映画『八岐大蛇の逆襲』より・・・米子市街を舞台に八岐之大蛇と防衛隊の攻防戦を描く
背中に樹木が生えている、これはもはや山そのものです。そのような山があるのでしょうか。
それは蛇身の神オオモノヌシ(オオクニヌシと同一とされる)を祀る三輪山ではないか、というのです。
三輪山の姿をよく見ると複雑な稜線と谷があり、あたかも蛇がうねっているように見えます。
※三輪山の姿とその複雑な等高線
八つの尾根と八つの谷を持っている、と言われればそう見えなくもありません。
そして出雲神話に登場する神々は本来大和に祀られていたというのです。
オオモノヌシ・・・(出雲族三輪氏の神)・・ご神体は三輪山そのもの
コトシロヌシ・・・(オオクニヌシの息子)・奈良県高市郡雲梯(うなて)神社の神様
アジスキタカヒコネ(出雲族賀茂氏の神)・・葛城山高鴨神社の神様
伝承を綜合して浮かび上がるのが「オオモノヌシ=オオクニヌシ」と「八岐大蛇=三輪山」という構造です。
そして『天孫族のニギハヤヒのミコトが神武帝(ニニギノミコト)よりも先に大和に来て出雲族のナガスネヒコとともに大和地方を支配していたが、ナガスネヒコとニニギノミコトの争いが始まると、形成不利とみるやナガスネヒコを裏切って殺し帰順した』という史実を探し当てます。
且夫(またか)の長髄彦(ながずねひこ)の稟性愎佷(ひととなりすかしまにもと)りて、教ふるに天人(きみたみ)の際(あひだ)を以てすべかざることを見て、乃ち殺しつ。其の衆(もろびと)を帥(ひき)ゐて帰順(まつろ)ふ。(日本書記)
ニギハヤヒノミコトの裏切りとナガスネヒコの死により天孫族による大和地方の支配が確立したこの事件こそ、オオクニヌシのヤマタノオロチ退治の真相だと同定するのです(↓脚註3)。
※三種の神器(草薙剣、八咫鏡、八尺瓊勾玉)のイメージ
「鏡を神聖なものとして奉じる天孫族が、銅鐸を奉じる出雲族に勝利し、支配のしるしである草薙剣を手に入れて大和地方を平定した」この一件こそが八岐大蛇退治の真相なのです。
三種の神器のひとつとされる草薙剣は銅剣で、現在そのオリジナルはニギハヤヒノミコトの子孫とされる物部氏ゆかりの熱田神宮に安置されています。
(つづく)←その③に進みたいヒトはこの文字をクリック!
※脚註1:八つの頭と八つの尾となると世界にも類のない姿形です。
頭だけなら七つの首をした「ヒュドラ」や「黙示録の獣」のような例はありますが・・・。
※レイ・ハリイハウゼン監督の映画『アルゴ探検隊の大冒険』から、金羊毛を守るヒュドラ
※脚註2:この本にはありませんが、八岐大蛇の赤い眼と爛れた腹は青銅器鋳造に関係する事実を現しているかもしれません。八岐大蛇の尾から草薙剣は出てくるのですから。
古代において鍛冶に関する技術は当時最高の軍事機密のため、徹底的な情報統制が敷かれていたと思われます。
八幡宇佐神宮御託宣集によれば、欽明29年(西暦568年)の託宣に曰く『豊前国宇佐郡菱型池の辺、小倉山の麓に鍛冶の翁有り。奇異の瑞を帯び、一身と為て、八頭を現す。人聞いて実見の為に行く時、五人行けば即ち三人死し、十人行けば即ち五人死す』とあります。これによれば『鍛冶の翁が変じてその頭が八つになり、噂を聞いて見に行った者たちの半数が死んだ』というのです。見に行った者が全員死んでしまっては、話を持ち帰って伝えるものがいなくなるので『きっちり半分だけ殺す』というのです。これ『二度と近づくな』という警告でしょう。
※脚註3:八岐大蛇退治の真実がこの本の通りだとすれば「日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征に草薙剣を持って行ったのは偶然ではない」という結論に達します。ナガスネヒコを殺して奪った草薙剣は大和地方を征服した証(あかし)ですから、これを見た東夷たちの戦意を失わせるに充分な効果があったはずです。
そういえば日本武尊も、素戔嗚尊(スサノオノミコト)と同じく酒の席での騙し討ちで熊襲に勝っています(しかも女装して!)。どうやら天孫族は騙し討ちを戦の常套手段としているようです。