(承前)←その②に戻って読み直したいヒトはこの文字をクリック!
【因幡の白兎(イナバノシロウサギ)伝説】
出雲神話にある因幡の白兎とは何なのでしょう?
※因幡の白兎はワニザメを騙して海を渡ろうとする
八岐大蛇が実は大和の話であったことを考えると、この話も実は他の地方の話なのではないでしょうか?
ワニザメに皮を剥がれて赤い眼を泣き腫らしたウサギの姿はまことに哀れをさそいますが、この姿は何を現しているのでしょうか?
実は古事記の原文にあたってみると「この兎は白くない?」ということが分かるというのです。
古事記には『素兎』と書いてあるだけでした。『素』とは『はだか』を意味します。
古事記の文章を絶対視した本居宣長もウサギの色については懐疑的です。
さて此の菟の白なりしことは、上文に言ずして此処にしも俄に素菟と云るは、いさゝか心得ぬ書ざまなり、故思に、素はもしくは裸の意には非じか、若然もあらば、志呂(シロ)とは訓むまじく、異訓ありなむ。人猶考へてよ。(本居宣長『古事記伝』より)
そして書かれている島は、隠岐の島ではないのでは、と疑問を持つのです。
古事記には島のことを『淤岐の島』と書かれていて『隠岐の島』ではありません。八岐大蛇が出雲地方の話ではないのなら因幡の白兎も別な土地の話ではないのか、と考えた末に行き着くのが『沖ノ島』なのです。
そう、2017年7月9日に世界遺産に登録された『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群なのでした。
※宗像・沖ノ島と関連遺産群(2017年7月9日に世界遺産登録)
沖ノ島は神聖な島で、今でも女人禁制、島に入るには素裸になって海水で『みそぎ』をしなければ島に入ることはできません。そして『島で見たことは一切語ってはならない』というオキテがあります。
※女人禁制の島『沖ノ島』に入るには海水による『みそぎ』をしなければならない
この本では、因幡の白兎伝説はこの『みそぎ』を表現したものだという説が披露されていきます。
なぜなら、古事記をキチンと読めば因幡の素菟はワニザメに皮を剥がれてはいないのです。
オオクニヌシノミコトにウサギはこのように答えています。
僕(われ)淤岐の島に在りて、此の地に度(わた)らむとすれども、度らむ因(よし)無かりき。故(かれ)、海の和邇(わに)を欺(あざむ)きて言ひしく、『吾と汝と競(くら)べて、族(うがら)の多き少きを計(かぞ)へてむ。故、汝は其の族の在りの隋(まにま)に、悉に率(ゐ)て来て、此の島より気多の前(さき)まで、皆列(な)み伏し度れ。爾に吾其の上を謟(ふ)みて、走りつつ読み度らむ。是に吾が族と孰(いづ)れか多きを知らむ。』といひき。如此(かく)言ひしかば、欺かえて列み伏せりし時、吾其の上を謟みて、読み度り来て、今地(つち)に下りむとせし時、吾云ひしく『汝は吾に欺かえつ。』と言ひ竟(お)はる即ち、最端(いやはし)に伏せりし和邇、我を捕へて悉に我が衣服を剥ぎき。此れに因りて泣き患(うれ)ひしかば、先に行きし八十神の命(みこと)以ちて、『海塩(うしほ)を浴み、風に当りて伏せれ。』と誨(をし)へ告(の)りき。故、教の如く為しかば、我が身悉に傷(そこな)はえつ。
ウサギは『服をはぎ取られ、海水に浸かり、風に当たって全身が傷んだ』と書かれています。まさにこの『みそぎ』そのものです。
※服を着た白くないウサギとは?(←ピーターラビットより)
ではワニザメの正体は、というと宗像神社に伝わる『みあれ祭』にその面影がみられる、というのです。
※秋季大祭の幕開けを飾る「みあれ祭」では200隻を超える漁船が海上を走り女神をお迎えする
どうでしょう、200隻以上の漁船が集まり宗像大社の女神をお迎えする様は『海に並んだワニザメ』の姿に重なるものがないでしょうか?
因幡の白兎伝説で語られるのは『白村江(はくすきのえ)の敗戦(脚註参照)によって沖ノ島を見捨てなければならなかった宗像族が、ワニザメに例えられる安曇族の力を頼って移動した際の混乱』を描いている、というのです。
兎は白くなく、着物を着ていた。それは神様だったのです。
日本書記には『宗像三女神が祀られた島は宇佐島』と書いてあります。三つの島は『宇佐島』とも呼ばれた。このことがウサギへの連想を招いたのではないでしょうか。
日神(ひのかみ)の生(あ)れませる三(みはしら)の女神(ひめかみ)を以(も)ては、葦原中国(あしはらのなかつくに)の宇佐嶋(うさのしま)に降(あまくだり)り居(ま)さしむ。今、海の北の道の中に在(ま)す。号(なづ)けて道主貴(ちぬしのむち)と曰(まう)す。
古事記はこの物語をこう結んでいます。
此れ因幡の素菟なり。今者(いま)に菟神と謂ふ。
(つづく)←その④に進みたいヒトはこの文字をクリック!
※脚註:白村江で、日本を破った高句麗好太王は、韓国では広開土大王(クァンド・テグン)と呼ばれています。つい最近、日本の哨戒機にレーダー波を照射した艦船の名が、この『クァンド・テグン』だったことは、私には『日韓の意識の違いを物語るまことに象徴的な出来事』に思えたのでした。
【因幡の白兎(イナバノシロウサギ)伝説】
出雲神話にある因幡の白兎とは何なのでしょう?
※因幡の白兎はワニザメを騙して海を渡ろうとする
八岐大蛇が実は大和の話であったことを考えると、この話も実は他の地方の話なのではないでしょうか?
ワニザメに皮を剥がれて赤い眼を泣き腫らしたウサギの姿はまことに哀れをさそいますが、この姿は何を現しているのでしょうか?
実は古事記の原文にあたってみると「この兎は白くない?」ということが分かるというのです。
古事記には『素兎』と書いてあるだけでした。『素』とは『はだか』を意味します。
古事記の文章を絶対視した本居宣長もウサギの色については懐疑的です。
さて此の菟の白なりしことは、上文に言ずして此処にしも俄に素菟と云るは、いさゝか心得ぬ書ざまなり、故思に、素はもしくは裸の意には非じか、若然もあらば、志呂(シロ)とは訓むまじく、異訓ありなむ。人猶考へてよ。(本居宣長『古事記伝』より)
そして書かれている島は、隠岐の島ではないのでは、と疑問を持つのです。
古事記には島のことを『淤岐の島』と書かれていて『隠岐の島』ではありません。八岐大蛇が出雲地方の話ではないのなら因幡の白兎も別な土地の話ではないのか、と考えた末に行き着くのが『沖ノ島』なのです。
そう、2017年7月9日に世界遺産に登録された『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群なのでした。
※宗像・沖ノ島と関連遺産群(2017年7月9日に世界遺産登録)
沖ノ島は神聖な島で、今でも女人禁制、島に入るには素裸になって海水で『みそぎ』をしなければ島に入ることはできません。そして『島で見たことは一切語ってはならない』というオキテがあります。
※女人禁制の島『沖ノ島』に入るには海水による『みそぎ』をしなければならない
この本では、因幡の白兎伝説はこの『みそぎ』を表現したものだという説が披露されていきます。
なぜなら、古事記をキチンと読めば因幡の素菟はワニザメに皮を剥がれてはいないのです。
オオクニヌシノミコトにウサギはこのように答えています。
僕(われ)淤岐の島に在りて、此の地に度(わた)らむとすれども、度らむ因(よし)無かりき。故(かれ)、海の和邇(わに)を欺(あざむ)きて言ひしく、『吾と汝と競(くら)べて、族(うがら)の多き少きを計(かぞ)へてむ。故、汝は其の族の在りの隋(まにま)に、悉に率(ゐ)て来て、此の島より気多の前(さき)まで、皆列(な)み伏し度れ。爾に吾其の上を謟(ふ)みて、走りつつ読み度らむ。是に吾が族と孰(いづ)れか多きを知らむ。』といひき。如此(かく)言ひしかば、欺かえて列み伏せりし時、吾其の上を謟みて、読み度り来て、今地(つち)に下りむとせし時、吾云ひしく『汝は吾に欺かえつ。』と言ひ竟(お)はる即ち、最端(いやはし)に伏せりし和邇、我を捕へて悉に我が衣服を剥ぎき。此れに因りて泣き患(うれ)ひしかば、先に行きし八十神の命(みこと)以ちて、『海塩(うしほ)を浴み、風に当りて伏せれ。』と誨(をし)へ告(の)りき。故、教の如く為しかば、我が身悉に傷(そこな)はえつ。
ウサギは『服をはぎ取られ、海水に浸かり、風に当たって全身が傷んだ』と書かれています。まさにこの『みそぎ』そのものです。
※服を着た白くないウサギとは?(←ピーターラビットより)
ではワニザメの正体は、というと宗像神社に伝わる『みあれ祭』にその面影がみられる、というのです。
※秋季大祭の幕開けを飾る「みあれ祭」では200隻を超える漁船が海上を走り女神をお迎えする
どうでしょう、200隻以上の漁船が集まり宗像大社の女神をお迎えする様は『海に並んだワニザメ』の姿に重なるものがないでしょうか?
因幡の白兎伝説で語られるのは『白村江(はくすきのえ)の敗戦(脚註参照)によって沖ノ島を見捨てなければならなかった宗像族が、ワニザメに例えられる安曇族の力を頼って移動した際の混乱』を描いている、というのです。
兎は白くなく、着物を着ていた。それは神様だったのです。
日本書記には『宗像三女神が祀られた島は宇佐島』と書いてあります。三つの島は『宇佐島』とも呼ばれた。このことがウサギへの連想を招いたのではないでしょうか。
日神(ひのかみ)の生(あ)れませる三(みはしら)の女神(ひめかみ)を以(も)ては、葦原中国(あしはらのなかつくに)の宇佐嶋(うさのしま)に降(あまくだり)り居(ま)さしむ。今、海の北の道の中に在(ま)す。号(なづ)けて道主貴(ちぬしのむち)と曰(まう)す。
古事記はこの物語をこう結んでいます。
此れ因幡の素菟なり。今者(いま)に菟神と謂ふ。
(つづく)←その④に進みたいヒトはこの文字をクリック!
※脚註:白村江で、日本を破った高句麗好太王は、韓国では広開土大王(クァンド・テグン)と呼ばれています。つい最近、日本の哨戒機にレーダー波を照射した艦船の名が、この『クァンド・テグン』だったことは、私には『日韓の意識の違いを物語るまことに象徴的な出来事』に思えたのでした。