吉良吉影は静かに暮らしたい

植物の心のような人生を・・・・、そんな平穏な生活こそ、わたしの目標なのです。

梅原猛『神々の流竄』集英社文庫/昭和60年12月20日第1刷発行(その④)

2019-05-16 06:03:12 | 紙の本を読みなよ 槙島聖護
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【国譲り神話】

 八岐大蛇に因幡の白兎・・・この本により、今まで慣れ親しんできた伝説の持つ真の意味が明らかになってきたワケです。
 さらに『「国譲り神話」の舞台も同様に出雲ではない』との主張が為されるのです。

 自分の孫に日本の国を与えようと考えたアマテラスは何度も征服の試みをするのです。

 第1陣:天善比神(アメノホヒノカミ)大国主に懐柔され失敗
 第2陣:天若日子(アメノワカヒコ)ふたたび大国主に懐柔され、アマテラスに殺される
 第3陣:建御雷(タケミカヅチ)と天鳥船神(アメノトリフネノカミ)を差し向ける

 国譲りのいきさつは以前『オオクニヌシ』に詳述しましたので、そちらを見て戴くことにして、2度の失敗に懲りたアマテラスの人選が功を奏し、タケミカヅチはオオクニヌシに国譲りを迫ります。

 その姿は砂浜に十束の剣を逆さまに立て、その上に胡坐(あぐら)をかいて座って交渉に臨んだとの記述があるところから、圧倒的な武力を誇示して『平和的に国を譲るか、戦争をして皆殺しにされるか』の選択を迫ったと考えられます。


※水木しげる先生が描くタケミカヅチ(お尻・・・大丈夫ですかぁ?)

 オオクニヌシが、息子の意見を聞かねば答えられないと言うと、まず2人の息子に迫るのです。

 長男:コトシロヌシ・・・戦わず館に閉じこもり、入水自殺する
 次男:タケミナカタ・・・戦うが敗れて逃亡するも、諏訪で囚われ幽閉される
 父親:オオクニヌシ・・・国を譲った後(ハッキリ書かれないが)入水自殺する

 オオクニヌシの国譲りの言葉は次のように書かれています。

 此の葦原中国(あしはらのなかつくに)は、命の随(まにま)に既に献らむ。唯僕(ただあ)が住所(すみか)をば、天つ神の御子の天津日継(あまつひつぎ)知らしめす登陀流天(とだるあめ)の御巣名(みすな)して、底津石根(そこついはね)に宮柱布斗斯理(みやばしらふとしり)、高天の原に氷木多迦斯理(ひぎたかしり)て治め賜はば、僕(あ)は百足らず八十坰手(やそくまで)に隠りて侍(さもら)ひなむ。亦僕が子等(こども)、百八十神(ももやそがみ)は、即ち八重事代主神、神の御尾前(みおさき)と為りて仕へ奉(まつ)らば、違(たが)ふ神は非じ。


 本居宣長は、この言葉の後に『乃(すなは)ち隠(かく)りましき』という言葉を補い『オオクニヌシは死んだ』としています。ここで、オオクニスシの話に仮託してニニギノミコトによるナガスネヒコ殺しもまた正当化されている、というのです。

 さらに「国譲り神話」の功労者の名前に注目すると不思議なことに気が付くのです。
 古事記ではタケミカヅチの功績とされますが、日本書記ではフツヌシが第一の功労者でタケミカヅチはそれに従ったように書かれています。


※私の名はフツヌシ。フツヌシでもフッくんでも、好きに呼んでくれて構わんよ(一血卍傑より)

 本居宣長はこの二神は同一神ではないかと推論しましたが、この本では『物部氏の神フツヌシの業績を、藤原氏の神タケミカヅチが行なったように意図的に書かれたもの』としています。
 古来、天孫族の軍事面は主に物部氏が担当していました。その業績をさも中臣氏(後の藤原氏)が行なったように書いた人物がいる、というのです。

 私はこれを読んで、自分にも思い当たることがあるのに気が付きました。
 企業内で会議があると必ず議事録を作ります。
 常々私は『議事録を制すれば会議を制する』という信念をもっていました。
 会議では結論がハッキリと決まらないことがあります。そんな時、議事録を書けば結果をある程度左右できるのです。そこで、積極的に議事録を作成する担当を引き受けました。
 いったん文字にしてしまうと、残るのは議事録だけです。ヒトの記憶なんてあやふやですから、後になればなる程、残された文書が『正しい結果』と認識されてしまうのです。

 このように『自分に有利な歴史を編纂した影の人物がいるに違いない』と結論づけるのです。
 果たしてその人物とは誰なのでしょうか?

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