吉良吉影は静かに暮らしたい

植物の心のような人生を・・・・、そんな平穏な生活こそ、わたしの目標なのです。

梅原猛『日本人の「あの世」観』中公文庫 / 1993年2月10日初版発行(その③)

2019-09-30 05:14:29 | 紙の本を読みなよ 槙島聖護

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 第二部の最後に宮沢賢治に関する考察(新しい時代を創造する賢治の世界観)が掲載されています。
 それまでの内容とは趣が異なるので、新たにひとつの記事としてこれに触れておくことにします。

 『注文の多い料理店』は賢治最初の童話集ですが、この広告チラシに書かれた文章に賢治の世界観を解くカギがあるというのです(宮沢賢治は童話集を12巻のシリーズとして出版する構想を持っていたらしいのですが、『注文の多い料理店』が全く売れなかったので、この構想を断念せざるを得ませんでした)。

 そのチラシの惹句とは次のようなもの(部分)でした。

 ①これは正しいものゝ主旨を有し、その美しい発芽を待つものである。而も決して既成の疲れた宗教や、道徳の残澤を色あせた仮面によつて純真な心意の所有者たちに欺き与へんとするものではない。

 ②これらは新しい、よりよい世界の構成材料を提供しやうとはする。けれどもそれは全く、作者に未知な絶えざる警異に値する世界自身の発展であつて決して畸形に涅ねあげられた煤色のユートピアではない。

 ③これらは決して偽でも仮空でも窃盗でもない。
 多少の再度の内省と分折とはあつても、たしかにこの通りその時心象の中に現はれたものである。故にそれは、どんなに馬鹿げてゐても、難解でも必ず心の深部に於て万人の共通である。卑怯な成人たちに畢竟不可解な丈である。

 ④これは田園の新鮮な産物である。われらは田園の風と光との中からつやゝかな果実や、青い蔬菜を一緒にこれらの心象スケッチを世間に提供するものである。


 なお、上掲の文章は誤字誤植もそのまま転記しています。
 ここで宮沢賢治は自身の文学について重要なポイントを指し示していると指摘するのです。
 順番にその論旨をまとめてみましょう。

 ①において賢治は彼の童話を既存の宗教とは一線を画したものであると強調しています。
 賢治は『法華経の真理を説得するために多くの童話を書いた』というのですが、腐敗堕落した既存宗教に対しては徹底的な弾劾を行っています。梅原氏は『蜘蛛となめくぢと狸」に登場する「なまねこ、なまねこ」といって、動物を食って太っていく狸が真宗の僧のカリカチュアあることにまちがいない。』と喝破しています。

 ②において賢治は謙虚な言葉で「新しい世界観を提供する」と言っている、というのです。
 表題作となった『注文の多い料理店』は狩られる動物と狩る人間の立場が逆転した童話ですが、いつも人間の側から世界を見ていたことの誤謬を正す物語だ、というのです。
 この背景には人だけでなく「動物も植物もあらゆるものに仏性がある(山川草木悉皆成仏)」とする天台本覚論の思想がある、と指摘します。

 ますむらひろしは登場人物がすべて猫である『銀河鉄道の夜』を描いていますが、そう思えばこれは理にかなったアレンジなのかもしれません。


※ますむらひろしが描くユニークな『銀河鉄道の夜』

 ③において賢治は『心象において存在するもの、すべてそれは実在するものである』と説いています。ここで梅原氏は『賢治が仏教的な唯識論哲学の信奉者であることが重要な意味を持つ』と指摘しているのです。
 唯識論の立場から言えば『心象に浮かんだものは、ここではなくとも宇宙のどこかで実在しているのである』と。この考えに立ってイーハトヴの存在を考えなければならない、というのです。

 ④において『東北の森の存在を考えるべきである』として柳田國男の影響を指摘しています。
 山人なる先住民がいる森は豊かな恵みを提供してくれる一方で、人がその存在を忘れたとき手痛いしっぺ返しをする、というのです。

 これらの点を踏まえて、宮沢賢治への正しい理解が必要である、と結んでこの論文は終わります。
 『いずれ宮沢賢治に本格的に取り組んでみたい』という梅原氏の思いは実現しませんでしたが、これは後を託された私たちの課題であることを強く感じさせられる論文でした。


 管理人の献辞:改名したる "ジョバンニ" のために。

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