しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

井笠鉄道 敗戦・戦後の混乱

2021年08月24日 | 昭和21年~25年
食べるもの・着る物は戦争が終わって、一層深刻化したが
鉄道やバス経営も、同じように昭和22・23年頃が営業難だったようだ。
煙を吐くバスは戦時中のイメージだったが、戦後の昭和25年までつづいている。



(くじば機関庫)


「井笠鉄道株式会社五十年史」  井笠鉄道  昭和37年発行

井笠鉄道 敗戦・戦後の混乱

戦後インフレの中で経営を打開しなくてはならぬ最悪の状態においこまれていた。
戦時中の打撃は極めて大きく、苦難の時代を乗り切ってきた関藤謙治氏は、
「戦時中の過度の輸送のため機関車を酷使し、且、自動車においても11台にのぼる車両供出をなし、修繕資材は品質劣悪で修繕意のごとくならず・・・」と述べている。
バス事業は昭和22年1月GHQによって代燃車をガソリン車に切り替えることを禁止していたため、新車しかガソリンは使用できず煙を吐いて走るバスがみられたのもこの時期であった。

ガソリンの供給は昭和24.25年頃から好転し、25年にはゴム原料の統制が撤廃され、タイヤ等の自由な購入ができ出し、ついに
昭和26年5月1日に代燃車をガソリン車に切替えることが承認された。
昭和27年6月30日に石油全製品の統制が撤廃された。
かくして日中戦争勃発以来強化されてきた物資の統制がなくなり、バス事業の本格的発展が開始された。





(吉田村と記されているが、今は畑が自然の山に戻っていて、吉田のどの付近かよくわからない)




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