今日は真子内親王の結婚日。
皇室の結婚は何かと騒がれる。
大正時代には、皇太子(後の昭和天皇)の”宮中某重大事件”があり、
結婚を反対した元老・山縣有朋は失脚して、失意のまま死んだ。
今回の真子内親王は、”二人の合意”を拒否の報道を週刊誌が行い、結婚が今日まで延期されていた。

昭和48年に児玉隆也の皇太子の記事がある。
皇室に求められるものは、多すぎて、大きすぎて、同情したくなる。
児玉が生きていれば、真子さまの結婚をどのように言うだろう。
皇太子への憂鬱
「この30年の日本人」 児玉隆也 「現代」昭和48年9月号
書きたいのは、40歳をこえた皇太子への憂鬱である。
やがて、彼を”象徴”と呼ぶ日の憂鬱を友人に語ると笑われた。
「それはお前がまだ関心がある証拠だ。
いまやおれたちには、彼にそんなものを感じることもない。
無関心でいろ。
その方が気が楽だ」というのだ。
中年皇太子の魅力のなさがささやかれ、何を考えているのか、
”象徴”となったとき、はたして国民が威厳と敬愛を彼に感じるか--という思いが充ちている。
「ご結婚後、皇太子の人気がどうもパッとしない。
彼が出てくるのは、毒にも薬にもならない事前事業のレセプションだけ。
もう少し自分の意志で目的を持って行動したらどうか」
皇太子という語感は、常に若さというイメージをともなうべきだ。
だが残念ながら、われらの明仁殿下は、若年寄でいらっしゃる。
金田正一投手は皇太子と同年である。
皇太子に金田のあの魅力はあるか。
皇太子という42歳になる男性は”ミッチーブーム”といわれた、結婚イベントの”貯金”があった。
皇太子はあの馬車行列の日の、マスコミの興奮ぶりや沿道の拍手と日の丸が、国民の間に今も続いてると考えているのではないか。
結婚後、正田家に里帰りする妻に同行した皇太子は、楽しげにいったといわれる。
「”まあ、きれい。キャーこっち向いてっ”と美智子には賛嘆の声がかかるのだが、僕には”ワーッ、黒い”としか言ってくれないんですよ」
皇太子の”悲劇”は、常に天皇と比較されることだ。
たしかに天皇には奇妙な魅力がある。
そのうえ「戦争責任をとらなかった天皇」をこの際わきに置くと、
「苦労した人」「あの時代を生きた」共通基盤がある。
皇太子はどうかというと、単なる「息子」である。
天皇の「陛下のおそばには、いつも笑いがたえない」と、
皇太子はどうか、愛嬌といえば、永六輔に似た舌っ足らずのしゃべり方ぐらいしか国民は知らない。
宮内庁役人の口かせは、すべて皇太子の人柄をもみ消してしまい、
あとに残るのは「公害に深いご関心をお持ちで」という官報告示的人柄だけである。
役人が彼をいっそう「魅力のない人間」にしている。
皇太子は若き日に「新憲法の精神で恋愛を成就した」と誇りに満ちていったにもかかわらず、
国会問答でそれが否定されるという苦渋をなめさせられた。
昭和34年2月6日衆議院内閣委員会。
質問者平井義一代議士(自民党)、
「もしも伝え聞くように、
皇太子殿下が軽井沢のテニスコートで見そめて、自分がいいというようなことをいったならば、ここにおられる代議士さんの子供と変わりない。
これがはたして民族の象徴といいうるかどうか、
あなたから進言されたものか、
殿下が自分で見そめられたものなのか、この点をおたずねしたい」
宇佐美宮内庁長官、
「今回のご内定になりました方につきまして、世上では一昨年あたりから軽井沢で恋愛が始まったというようなことが伝えられますが、
その事実はまったくございません。
テニスを一度二度なさったことは事実でございます。
しかし、それ以上の交際があったわけでは、もちろんございません」
こういう宮内庁の体質が、皇太子をいっそうかたくなにさせたのではないか。
お貸し下げというのは、
例えばお誕生日や新年の写真を宮内庁が撮り各社に”お貸し下げ”して、
使わしてやる制度である。
マスコミに二種類あってテレビ各社で構成されている宮内記者は、「何をした
どこへ行った」で終わる。
一方、女性誌は、怒らせては商売にひびく。宮内庁へのもみ手編集となった。
宮内官僚はおよそ千人いる。
彼らはパンのために、現実を考える。
するとパンの為に「殿下、こうあるべきです。こうして下さいと申し上げるバカな人間」はいなくなる。
「両殿下の懇談」は、行儀の悪い者は、皇太子の目には触れない。
開会前に、「両殿下にご意見をうかがうようなことは、しないように」と,釘をさされている。
皇室の結婚は何かと騒がれる。
大正時代には、皇太子(後の昭和天皇)の”宮中某重大事件”があり、
結婚を反対した元老・山縣有朋は失脚して、失意のまま死んだ。
今回の真子内親王は、”二人の合意”を拒否の報道を週刊誌が行い、結婚が今日まで延期されていた。

昭和48年に児玉隆也の皇太子の記事がある。
皇室に求められるものは、多すぎて、大きすぎて、同情したくなる。
児玉が生きていれば、真子さまの結婚をどのように言うだろう。
皇太子への憂鬱
「この30年の日本人」 児玉隆也 「現代」昭和48年9月号
書きたいのは、40歳をこえた皇太子への憂鬱である。
やがて、彼を”象徴”と呼ぶ日の憂鬱を友人に語ると笑われた。
「それはお前がまだ関心がある証拠だ。
いまやおれたちには、彼にそんなものを感じることもない。
無関心でいろ。
その方が気が楽だ」というのだ。
中年皇太子の魅力のなさがささやかれ、何を考えているのか、
”象徴”となったとき、はたして国民が威厳と敬愛を彼に感じるか--という思いが充ちている。
「ご結婚後、皇太子の人気がどうもパッとしない。
彼が出てくるのは、毒にも薬にもならない事前事業のレセプションだけ。
もう少し自分の意志で目的を持って行動したらどうか」
皇太子という語感は、常に若さというイメージをともなうべきだ。
だが残念ながら、われらの明仁殿下は、若年寄でいらっしゃる。
金田正一投手は皇太子と同年である。
皇太子に金田のあの魅力はあるか。
皇太子という42歳になる男性は”ミッチーブーム”といわれた、結婚イベントの”貯金”があった。
皇太子はあの馬車行列の日の、マスコミの興奮ぶりや沿道の拍手と日の丸が、国民の間に今も続いてると考えているのではないか。
結婚後、正田家に里帰りする妻に同行した皇太子は、楽しげにいったといわれる。
「”まあ、きれい。キャーこっち向いてっ”と美智子には賛嘆の声がかかるのだが、僕には”ワーッ、黒い”としか言ってくれないんですよ」
皇太子の”悲劇”は、常に天皇と比較されることだ。
たしかに天皇には奇妙な魅力がある。
そのうえ「戦争責任をとらなかった天皇」をこの際わきに置くと、
「苦労した人」「あの時代を生きた」共通基盤がある。
皇太子はどうかというと、単なる「息子」である。
天皇の「陛下のおそばには、いつも笑いがたえない」と、
皇太子はどうか、愛嬌といえば、永六輔に似た舌っ足らずのしゃべり方ぐらいしか国民は知らない。
宮内庁役人の口かせは、すべて皇太子の人柄をもみ消してしまい、
あとに残るのは「公害に深いご関心をお持ちで」という官報告示的人柄だけである。
役人が彼をいっそう「魅力のない人間」にしている。
皇太子は若き日に「新憲法の精神で恋愛を成就した」と誇りに満ちていったにもかかわらず、
国会問答でそれが否定されるという苦渋をなめさせられた。
昭和34年2月6日衆議院内閣委員会。
質問者平井義一代議士(自民党)、
「もしも伝え聞くように、
皇太子殿下が軽井沢のテニスコートで見そめて、自分がいいというようなことをいったならば、ここにおられる代議士さんの子供と変わりない。
これがはたして民族の象徴といいうるかどうか、
あなたから進言されたものか、
殿下が自分で見そめられたものなのか、この点をおたずねしたい」
宇佐美宮内庁長官、
「今回のご内定になりました方につきまして、世上では一昨年あたりから軽井沢で恋愛が始まったというようなことが伝えられますが、
その事実はまったくございません。
テニスを一度二度なさったことは事実でございます。
しかし、それ以上の交際があったわけでは、もちろんございません」
こういう宮内庁の体質が、皇太子をいっそうかたくなにさせたのではないか。
お貸し下げというのは、
例えばお誕生日や新年の写真を宮内庁が撮り各社に”お貸し下げ”して、
使わしてやる制度である。
マスコミに二種類あってテレビ各社で構成されている宮内記者は、「何をした
どこへ行った」で終わる。
一方、女性誌は、怒らせては商売にひびく。宮内庁へのもみ手編集となった。
宮内官僚はおよそ千人いる。
彼らはパンのために、現実を考える。
するとパンの為に「殿下、こうあるべきです。こうして下さいと申し上げるバカな人間」はいなくなる。
「両殿下の懇談」は、行儀の悪い者は、皇太子の目には触れない。
開会前に、「両殿下にご意見をうかがうようなことは、しないように」と,釘をさされている。