場所・岡山県倉敷市船穂町
「軍国日本の興亡」 猪木正道 中央新書 1995年発行
日本海海戦
ロジェストヴィンスキー提督ひきいる第二太平洋艦隊は、
極東で日本の連合艦隊と決戦する前に、過酷としか形容しようのない1万5.000マイルの航海をやりとげねばならなかった。
タンジールで艦隊を二分し、喜望峰経由と、旧式艦をスエズ運河経由させ、仏領マダガスカルで合流させることとした。
その間、旅順港が陥落したニュースも届いた。
食糧事情が悪化し、病人も増え、艦隊内の士気が低下した。
仮装巡洋艦の日本郵船信濃丸から、「敵艦隊見ゆ」の電報が届いた。
ロシア艦隊のウラジヴォストークへの逃走を防ぐため、東郷大将は有名なT字戦法をとり、ロシア艦隊の頭を抑えた。
バルチック艦隊のうち12隻の戦艦のうち8隻が撃沈され、4隻は捕獲された。
ロシア艦隊の人的損害は溺死を含む戦死、4830人。
捕虜は7.000人を数えた。
日本海海戦は、日本の完勝といえる。
しかし光の裏には必ず影がある。
日本海軍は1945年まで、40年間もパーフェクト・ゲームの夢を見続けた。
東郷大将も元帥となり、神格化された結果、海軍軍縮交渉では、日本の孤立化に一役買うことになる。
「教養人の日本史4」 社会思想社 昭和42年発行
奉天会戦と日本海海戦
旅順は参加した兵力13万人、そのうち5万9千人が死傷するという犠牲があった。
黒溝台で9千人の死傷者を出した。
日本軍は決戦に出てロシア軍に大打撃を与え、戦局を終わらせるほかない情勢に立たされた。
兵士も補充する見込みもつかないくなり、兵器の製造と補充も限界に達した。
砲弾も全軍で20数万発を残すだけとなった。
奉天での決戦を企てた。
戦闘は一週間におよび、日本軍の死傷は7万、ロシア軍は9万にのぼった。
ロシア軍はハルビンでの決戦を期して退却し、日本軍は奉天を占領した。
しかし、追撃する余力はなかった。
ロシア軍は、バルチック艦隊の応援を得て、ハルビンで日本軍を殲滅する作戦に出た。
対馬沖で東郷平八郎の率いる日本の連合艦隊に、二昼夜の激戦の末、19隻を撃沈された。
講和交渉は急速に本格化した。
戦争に動員された日本兵は107万人、うち死傷者だけでも21万人であった。
撮影日・2006年3月4日
「軍国日本の興亡」 猪木正道 中央新書 1995年発行
日本海海戦
ロジェストヴィンスキー提督ひきいる第二太平洋艦隊は、
極東で日本の連合艦隊と決戦する前に、過酷としか形容しようのない1万5.000マイルの航海をやりとげねばならなかった。
タンジールで艦隊を二分し、喜望峰経由と、旧式艦をスエズ運河経由させ、仏領マダガスカルで合流させることとした。
その間、旅順港が陥落したニュースも届いた。
食糧事情が悪化し、病人も増え、艦隊内の士気が低下した。
仮装巡洋艦の日本郵船信濃丸から、「敵艦隊見ゆ」の電報が届いた。
ロシア艦隊のウラジヴォストークへの逃走を防ぐため、東郷大将は有名なT字戦法をとり、ロシア艦隊の頭を抑えた。
バルチック艦隊のうち12隻の戦艦のうち8隻が撃沈され、4隻は捕獲された。
ロシア艦隊の人的損害は溺死を含む戦死、4830人。
捕虜は7.000人を数えた。
日本海海戦は、日本の完勝といえる。
しかし光の裏には必ず影がある。
日本海軍は1945年まで、40年間もパーフェクト・ゲームの夢を見続けた。
東郷大将も元帥となり、神格化された結果、海軍軍縮交渉では、日本の孤立化に一役買うことになる。
「教養人の日本史4」 社会思想社 昭和42年発行
奉天会戦と日本海海戦
旅順は参加した兵力13万人、そのうち5万9千人が死傷するという犠牲があった。
黒溝台で9千人の死傷者を出した。
日本軍は決戦に出てロシア軍に大打撃を与え、戦局を終わらせるほかない情勢に立たされた。
兵士も補充する見込みもつかないくなり、兵器の製造と補充も限界に達した。
砲弾も全軍で20数万発を残すだけとなった。
奉天での決戦を企てた。
戦闘は一週間におよび、日本軍の死傷は7万、ロシア軍は9万にのぼった。
ロシア軍はハルビンでの決戦を期して退却し、日本軍は奉天を占領した。
しかし、追撃する余力はなかった。
ロシア軍は、バルチック艦隊の応援を得て、ハルビンで日本軍を殲滅する作戦に出た。
対馬沖で東郷平八郎の率いる日本の連合艦隊に、二昼夜の激戦の末、19隻を撃沈された。
講和交渉は急速に本格化した。
戦争に動員された日本兵は107万人、うち死傷者だけでも21万人であった。
撮影日・2006年3月4日