しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

西郷隆盛 (鹿児島)

2021年04月21日 | 銅像の人
場所・鹿児島県鹿児島市  鹿児島市立美術館前
安藤照 1937年


銅像の西郷は、いかめしい軍服姿で堂々と立ち、
右手を軽く折って腰にそえている。
頭が大きく、体つきも貫禄十分だ。
この姿は、明治6年、初代陸軍元帥として習志野で行われた大演習を指揮した時の姿を表現したものであるそうだ。
昭和2年、南洲没後50年記念事業として企画され、10年後の昭和12年に除幕されたという銅像だ。
城山の西郷像は堂々たる正装である。
一段高いところに立って、鹿児島の街を見守っているかのようでもある。
たとえ一時的には賊の汚名をきせられたのだとしても、
鹿児島の偉人と言えば西郷隆盛なのだ。
鹿児島の人が誰よりも西郷を尊敬しているという、
その気分がひしひしと伝わってくるような銅像だった。

「銅像めぐり旅」 清水義範著 詳伝社 平成14年発行










「氷川清話」  勝海舟 角川文庫  昭和47年発行

西郷南洲

おれは、今までに恐ろしいものを二人みた。
それは横井小楠と西郷南洲だ。

西郷と面会したら、その意見や議論は、むしろおれの方がまさるほどだったけれども、
いわゆる天下の大事を負担するものは、はたして西郷ではあるまいかと、またひそかに恐れたよ。


西郷隆盛の人物
おれが初めて西郷に会ったのは、兵庫開港延期の談判委員を仰せつけられたために、京都に入る途中に,大坂の旅館で会った。
なかなか立派な風采だったよ。


〇坂本龍馬がかつて、おれに「先生はしばしば西郷の人物を賞せられるから、拙者もいっそ会ってくるにより添え書きをくれ」といったから、さっそく書いてやった。
その後、坂本が薩摩から帰ってきていうには、
「なるほど西郷というやつは、少したたけば少し響き、大きくたたけば大きく響く。
もしばかなら大きなばかで、利口なら大きな利口だろう」といったが、坂本もなかなか鑑識のあるやつだよ。
西郷におよぶことのできないのは、その大胆識と大誠意にあるのだ。
おれの一言を信じて、たった一人で、江戸城に乗り込む。


官軍が江戸城にはいってから、市中の取り締まりがはなはだめんどうになってきた。
幕府はたおれたが、新政府はまだしかれない。無政府になっていた。
しかるに西郷は意外にも、実に意外にも
「どうかよろしくお頼み申します。後の処置は、勝さんがなんとかなさるだろう」と言って、江戸を去ってしまった。
常人と違って、よほど大きくできていたのだ。














撮影日・2013年8月8日




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