しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

(若き日の)徳川家康

2021年09月28日 | 銅像の人
場所・静岡県浜松市中区元城町  浜松城公園

家康の浜松時代は、29才から45才までで、”若き日の”でなく壮年期を浜松で17年間過ごしている。
もっとも大きな出来事は、岡崎から浜松に移って2年後の”三方ヶ原の戦い”であろう。







三方ヶ原の敗戦
「日本史探訪12」 角川文庫 昭和58年発行

元亀元年(1570)、家康29歳の時、家康は岡崎を離れ。浜松城に居城を移した。
二年後、家康は生涯ただ一度の手痛い敗戦をそこで経験する。

元亀三年(1572)十月、武田信玄は四万五千の大軍を引き連れて上洛の途についた。
天竜川沿いに北から侵入してきた信玄の大軍に対し、家康の軍は信長の援軍を合わせた八千余を率いて、三方ヶ原に討って出た。
ここで徹底的に討ち負かされた家康は、わずかな従者と、追い迫る武田勢をけちらし、やっとのことで浜松城に逃げ込んだという。

しかし、この戦いで、家康の譜代武将の率いる三河武士は勇名をとどろかせた。
武田軍の孟将馬場信房は、あとで信玄に、
「三河武士はたいしたものです。
死体を見てもこっちを向いている者はみんなうつぶし、
浜松の方を向いた者はあおむきになっていました。
敵に後ろを見せた者は一人もいない証拠です」と言ったという。

家康が「街道一の弓取り」と称されるようになったのは、
この戦いからだといわれる。











撮影日・2014年10月9日



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