しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

石川啄木 

2021年04月19日 | 銅像の人
場所・北海道札幌市  大通り公園


石川啄木の詩は、日本人の心情に響くものがあるように思う。

3年前に啄木の故郷、渋民村を訪れた。
北上川や岩手山が近く見え、啄木にちょっとだけ近づいた気持ちなった。



これは↓、北海道旅行の時。





石川啄木
石川啄木は本名を一(はじめ)といい、渋谷村石川一禎の長男として、
明治19年2月20日、渋谷村常光寺に生まれ、
明治31年盛岡中学にはいり、3年の時ストライキの首謀者の一人となり、学生改革に活躍した。
翌4年退学して上京し、文学に志したが病をえてはたさず、帰盛して詩活動に従い、
長詩「愁調」が雑誌「明星」にのせられるようになる。
このとき与謝野鉄幹の命令で”啄木”と称するようになった。

明治38年処女出版「あこがれ」をだし、これによって結婚費用を支弁しようとしたが、
収入は一文もなく、ついに節子との結婚式に間に合わなかったという。
しかし盛岡に新居をかまえさかんに文学活動をおこない、
「小天地」を発行しているが、経済的には恵まれず、
39年渋谷村の小学校代用教員をつとめた。
40年校長排斥のストライキを指導し免職となり、一家離散し、
妹を連れて北海道函館にて小学校の代用教員となり、
その後転々と北海道の新聞社を歩き、社会主義運動にひかれ、上京の志おさえがたく明治41年上京し、
42年朝日新聞社に入社、
43年「一握の砂」を発刊した。
45年4月13日死去。
6月10日発行の「悲しき玩具」は死後の刊行となる。


「岩手県の歴史」 森嘉兵衛  昭和47年発行








石川啄木 

明治19年(1886)~大正元年(19112)
岩手県生まれ。
盛岡中学中退後、上京し与謝野鉄幹の知遇を得て「明星」に詩を発表。
20歳で処女詩集「あこがれ」を刊行、天才詩人として注目される。
その後、北海道各地を流浪、函館にもより、2年ほど北海道にいた。
明治43年『一握の砂』、45年「悲しき玩具』は近代短歌史上不朽の生命を持つ。

「日本の銅像」  金子治夫  淡交社  2012年発行





撮影日・2017年8月3日



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1 コメント

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石川啄木 (killy)
2021-04-19 15:28:33
アイヌ語の研究者、金田一春彦(国語辞書の編纂)が文芸春秋で、
しょっちゅう借金に来ていたから「啄木といえば、親のかたき」
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