しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

新渡戸稲造

2021年04月21日 | 銅像の人
場所・盛岡市内丸 与の字橋右岸





大正13年、アメリカで排日移民法

アメリカで排日移民法が施行された。
移民法の成立は、日本人の対米感情に悪影響を与えた。
親米派、新渡戸稲造にも不信感を植え付けた。
彼は「排日移民法が撤廃されるまではアメリカの土を踏まず」と宣言した。
幣原喜重郎のように過剰反応しない人物もいたが、
昭和天皇は、
太平洋戦争の遠因は米国による移民拒否にある、と戦後語っている。

「大正クロニクル」 世界文化社 2012年発行











(Wikipedia)

新渡戸稲造

新渡戸 稲造(にとべ いなぞう、
1862年9月1日(文久2年8月8日) - 1933年(昭和8年)10月15日)
は、日本の教育者・思想家。農業経済学・農学の研究も行っていた。
国際連盟事務次長も務め、著書『武士道』は、流麗な英文で書かれ、長年読み続けられている。
日本銀行券のD五千円券の肖像としても知られる。東京女子大学初代学長。



盛岡観光協会web

新渡戸稲造像
作者:高田博厚
市役所そばの与の字橋ぎわには「新渡戸稲造像」 が建っています。
この彫刻は、高い理想に燃えながらも、現実の無理解と戦わなければならなかった稲造の、 苦悩と強さを表現した作品です。






撮影日・2018年8月6日


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