しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

芭蕉 〈行く春や 鳥啼き魚の 目は泪〉

2022年07月14日 | 銅像の人

場所・東京都荒川区南千住・南千住駅 西口駅前広場

千住

千住は古く千寿と書き、中世から奥州への道筋になっていた。
徳川家康は江戸へ入国したのち、すぐにここに架橋を命じた、文禄3年(1594)には早くも千住大橋が完成している。
そして日光道中第一の宿駅、江戸四宿の一つとして栄えた。
今も千住1丁目から五丁目まで、わずかながら街道筋の面影を残している。

芭蕉は、元禄2年(1689)の3月27日(5月16日)に深川から舟に乗り、
小名木川から隅田川へと入って千住に上陸した。
深川からは約10キロである。
ここで見送りの人々と別れを惜しみ、遥かなみちのくへの期待と不安を抱いて、
旅路の第一歩を踏み出したのである。

「奥の細道を旅する」  日本交通公社 JTB  1996年発行

・・・

千住大橋は、江戸で最初に架けられた橋です。
浮世絵のなかの大橋も行き交う人々で賑わっていますが、
旅を住処とした漂泊の詩人・松尾芭蕉も、
ここ千住から「奥の細道」へと旅立ちました。
(千住大橋の説明版より)

 


弥生(やよい)も末の七日(なのか)、明ぼのの空 朧々(ろうろう)として、
月は有明(ありあけ)にて 光おさまれるものから、
富士の峰 幽(かす)かに見えて、
上野・谷中(やなか)の花の梢(こずえ)、またいつかはと心細し。
むつまじき限りは 宵(よい)よりつどいて、
舟に乗りて送る。
千住(せんじゅ)と云う所にて 船を上がれば、
前途三千里の思い 胸にふさがりて、
幻(まぼろし)の巷(ちまた)に 離別の泪(なみだ)をそそぐ。


  行く春や 鳥啼(な)き 魚の目は泪


是を矢立(やたて)の初めとして、行く道なお進まず。
人々は途中(みちなか)に立ち並びて、後ろ影の見ゆる迄はと、見送るなるべし。

 

 

 撮影日・2022年7月13日

 

 

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