@kstangor 今のように幕内の東西で人数が違うのも、それが正解なのか間違いなのかは議論が分かれるところ。仮に現代で片大関になれば、新たな説が生まれるのでしょう。
@search_net_box @kstangor 文字通り片大関初めての場所ですね。1・3・9月は東大関のみですが、1・3月は西の次席横綱は枠内、9月は張出。次の片大関56年5月は、横綱大関が復活していますね。
@search_net_box @kstangor 実際に大関が片側に1人しかいないのが2場所だけなので、東西にいなければならないというのが正当…ということなのでしょう。そこから、横綱・大関が誰もいなくなったらどうなる? という議論が生まれます。
@search_net_box @kstangor この時は武蔵丸を上げますね。小錦が負け越していれば、貴花田8勝でも大関昇進か。
@search_net_box @kstangor 実際に大関になるには3場所で三十何勝というのは、植に横綱や大関がいる状況だからなのでしょう。誰もいないなら、こだわる必要がないです。仮に先場所限りで横綱・大関が全員引退していれば、豪栄道や栃煌山は文句なしの大関です。
@search_net_box @kstangor 大関・関脇・小結は本当に全員必要か、とか。
@search_net_box @kstangor いないこともある「横綱」に対して、「大関」は関脇・小結と同じく必置という感覚なんですが、「横綱がいれば大関は不在でも良し」という説もある。大関の中途半端さが…。
@search_net_box @kstangor というわけで、今日もその時ならないと分からないという回答で打ち止め(笑)
@search_net_box @kstangor そこまで来ると、ちょっと趣旨からずれているというか。関脇以上が誰もいなくなってしまえば、安美錦や碧山は「大関」としか呼べないんでしょうね。上がいないから。
@kstangor @search_net_box そうではなくて、上から数えて一番上が「大関」、次が「関脇」と呼んでいるということです。