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徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

シングルイシューの問題/差別撤廃 東京大行進に向けて(2)

2013-09-17 15:30:34 | News
前回に続いて話題は「場所」である。

シングルイシューという手法をいまだに蛇蝎のごとく嫌う人たちがいる。それは問題を極めて単純化させ、そこに潜む諸々の問題を糊塗する、もしくは無視する排除の論理だというわけだ。
反原発デモでは原発事故そのものを中心に据えて文字通り思想的な立場を越えた連帯が実現した。手の付けようのない過酷事故を目前にして思想的対立などはほとんど意味がない。不幸なことに国家的危機が「立場」を越えさせ、シングルイシューを実現させたわけだ。そして両極が“同じ声”を上げれば、そこに普通の人たちが集う「場所」ができる。
シングルイシュー=単純化というのは問題をより鮮明化させる、徹底した是々非々的な態度の取り方だったといえる。
そんな「場所」だからこそ人が集まったのだ。2012年の夏、数十万人の日本人が官邸前、国会前、霞ヶ関周辺に集まり、そこは「普通の場所」になった。そして共感し、共有できる言葉として「原発反対(やめろ/停めろ)」「再稼動反対」という研ぎ澄まされたフレーズ(コール)はシングルイシューの象徴になった。
単純化を批判する人たちには梯子を外されたような気分になったのだろうが、実際にはすべてのマルチなテーマはシングルイシューに収斂されているのだ。シングルイシューは巨大な入り口であり、諸々の問題のその奥に準備されている。
問題はとんでもなく“単純”で、でもやはり“単純じゃない”。だからこそ問題意識と当事者性を喚起させるために、そして自縄自縛に陥らないために、問題の入り口をどこに求めるのか、という話である。

「普通」という言葉と同じようにクローズアップされたのは「当事者(性)」という言葉だった。
勿論3.11以前の運動も参加者の当事者性に訴えかけるものだっただろう。しかしそれも諸々の問題を「反天皇制」「反体制」といったフィクショナルな掛け声で収斂させていく方法では当事者性を喚起させるのは難しい。一体何と、誰と戦っているのか見えない上に、無用な「敵」まで増やしてしまう。手っ取り早く目に見え、身近な<権力>である警察や機動隊にひたすら楯突き、彼らと揉み合うことに血道を上げている人たちも多く見てきた。
そして、それこそが問題の本質を見誤る予定調和でしかなかった。

シンプルに、そしてダイレクトに問題に対峙する。これが3.11以降のアクションの基調だったはずだ。
今年の初め、全国でヘイトデモを繰り返し、ヘイトスピーチを撒き散らし扇動する在特会会長の桜井(高田)誠に対してTwitterで声を上げたKぽぺん(Kポップファン)の行動もまさしくこれだ。
2月以降、彼らの“声”を受けた東京ではレイシストをしばき隊を中心としたカウンター行動が猛烈に活発化し始めた。
比較的「新しい問題」である原発とは違い、レイシズムは国際的にも、国内的にも一応の合意は済んでいる問題ではある。
「差別はいけない」
「いじめはやめよう」
まさしくシングルイシューである。しかしそれも表面上は、ではある。顕在化したレイシズムに直接反対する声はまだ小さい。うつむいていれば、横を向いていれば、そして目を瞑っていればやり過ごせる他人事の問題でもあるからだ。

カウンター行動の中から生まれ、今回の東京大行進のパレードでもコールされる「仲良くしようぜ」というフレーズは、反原発運動における「再稼動反対」というフレーズほどには、シングルイシューの象徴になり得ないでいる。
誰が誰と仲良くするのか? そもそも仲良くする必要があるのか? おまえは誰なのか? 日本人か、在日か? 反日か?
「当事者(性)」の在り処が問われていた。
(まだ続く)

差別撤廃 東京大行進 The March on Tokyo for Freedom
日時:9月22日(日)12時半集合/13時出発
集合:新宿中央公園 水の広場

<数年前から、東京の新大久保や大坂の鶴橋など、全国各地でレイシスト団体によるヘイトスピーチ・デモや街宣活動が繰り返し行われてきました。私たちはこのような卑劣なデモに対して、2013年2月から様々な形の抗議活動を行なってきました。そして、7月14日に大阪で行われた「OSAKA AGAINST RACISM 仲よくしようぜパレード」への連帯をベースにしながら、人種、国籍、ジェンダーその他の偏見の範疇に基づくすべての形態の差別に反対するデモを9月22日に行ないます。>
People's Front of Anti Racism/差別撤廃 東京大行進 The March on Tokyo for Freedom公式サイト

「普通」であるということ/差別撤廃 東京大行進に向けて(1)

2013-09-16 02:53:50 | News
ずーっと教室のような場所には居心地の悪さしか感じていなくて、集団や組織を見るとそこに教室の光景を見てしまう悪癖がついてしまっている。いまだに、である。
学校や教室というのはいつまで経っても派閥とヒエラルキーの世界で、とっても頭のいい奴やバカ(本物の)やちょっと悪い連中とはそれなりに付き合えたものの、やはり「普通の人たち」がさっぱりわからなかった。だからとっとと社会に出た。社会では頭のいい奴はとことん頭が良く、バカはひたすらバカで、悪い連中の悪さは果てしない。社会は教室よりももっと酷いところではあるけれども、それはそれで素晴らしい。社会にはもっと多様な居場所や豊かな生き方がある。
そして「普通の人たち」というのは「場所」が作った同調圧力であることに気付く。
「普通」というのはきっと人ではなく場所を指す。誰だって本当は“普通”で、“普通じゃない”。
それぞれの人が生きるため、そしてそう生きたいと願う場所(=社会)ができあがれば、人はそこで「普通」を身に纏う必要はないのだよね。

3.11以降の運動は「普通の人たちの運動」だという。
確かにオレ自身もそう言い、書き続けてきたけれども、しかし最初に突破口を開いたのは、やはり筋の通らないものは許さない頭のいい奴らと後先を考えずに動いたオレのようなバカな連中だっただろうと思う。学校は卒業したとはいえ、社会に出たってそれぞれの「場所」はなかなか人を自由にしてくれない。「普通」の呪縛から逃れられない。だから社会は“だんだん”としか動かない。
そして今年の春からだんだんと動き始めた社会の、ひとつの成果として来週日曜日の新宿で差別撤廃を求めるパレードがある。
パレードまであと一週間、これが2013年の“普通の場所”になれば、と願う。(たぶん続く)

差別撤廃 東京大行進 The March on Tokyo for Freedom
日時:9月22日(日)12時半集合/13時出発
集合:新宿中央公園 水の広場

<数年前から、東京の新大久保や大坂の鶴橋など、全国各地でレイシスト団体によるヘイトスピーチ・デモや街宣活動が繰り返し行われてきました。私たちはこのような卑劣なデモに対して、2013年2月から様々な形の抗議活動を行なってきました。そして、7月14日に大阪で行われた「OSAKA AGAINST RACISM 仲よくしようぜパレード」への連帯をベースにしながら、人種、国籍、ジェンダーその他の偏見の範疇に基づくすべての形態の差別に反対するデモを9月22日に行ないます。>
People's Front of Anti Racism/差別撤廃 東京大行進 The March on Tokyo for Freedom公式サイト

東京はレイシストを歩かせない/排外デモカウンター行動(9.8)

2013-09-10 06:25:04 | News
日曜日。二ヶ月ぶりに新大久保でレイシストたちの排外デモ(東京韓国学校無償化撤廃デモ in 新大久保)が強行された。
しかもメインストリートである大久保通りを通り抜けるコースが選ばれている。勿論職安通りだって、集合場所の大久保公園だってレイシストが歩くことは許されるべきではないのだが、よりによって大久保通りがコースに組み込まれていると知ったときは、正直なところショックだった。もうそんな話は終わった話だと思っていたのだ。
しかし今回も許可は下りてしまった。下りてしまった以上、警備は何が何でもデモを通す。歪んだ順法闘争にしがみつくレイシストたちは笑いながら新大久保を歩く。

2020年のオリンピック開催地の決定を見届けてから、少しだけ仮眠して新宿へ向かう。総武線と中央線を乗り継ぎながら、いつもながらストーンズのHot Rocks2の1曲目から3曲目までをリピートして眠気と体調不良をぶっ飛ばしつつ無理矢理テンションを上げる。
デモ開始の数時間前から大久保公園周辺では6月30日を越える大掛かりな警備が展開され、公園横の道路どころか、その道路にすら近寄ることができない。10時を過ぎたあたりからデモの「出口」である職安通り沿いのコンビニ周辺にカウンターが集まり、間もなく「出口」を塞ぐようにカウンター参加者のシットインが始まった。2013年の新大久保のサウンドトラックであるRED NOTE SCALEの「奴らを通すな!x No Pasaran!」を大音量で流しながら、車で現場に乗り付けるカウンターもいた。スタートが迫るごとにカウンターのひとりひとりがプラカードを掲げ、反対側の歩道からはダンマク隊やプラカ隊による大小の横断幕やゲーフラが盛大に掲げられる。
そしてカウンター全体から「ヘイトデモ中止」のコールがひたすら繰り返された。
現場の熱気と体調の悪さと眠気から時折頭がくらくらしそうになりながら、それでも最前列の鉄柵につかまりながら全力で声を上げ続ける。すぐに全身から汗が吹き出る。

カウンター日当3万円説と同様、いまだにカウンター行動を「無許可デモ」と本気で勘違いし続ける頭の悪いレイシストがいるのだけれども(カウンターに「許可」が必要なわけがない)、この日のカウンターの行動はまさしく、ただしく「デモ」と言っていいものだった。それはレイシストに向けられているというよりも、明らかに警備、そして排外デモを許可してしまった為政者に向けられていた。
勿論この2ヶ月の間にもブログには書いていない“カウンター行動”には参加してきたのだけれども、軽々に書けないこともありつつ、やはりどうしたって<罵声を飛ばし合うレイシスト対カウンター>という、いつもながらの構図に苛立ちを感じていた。為政者や企業や、大きな話にしてしまえば<システム>に対して地道に、執拗に、粘り強く「同じコール」を繰り返し続けなければならない反原発行動と違って、反レイシズムのカウンターの「集団行動」はルーティンに耐えられない。
それはカウンター行動がレイシスト同様の、ある種の「ストレス解消」に見られてしまう危険性を常に孕んでいるからだ。現場で挑発し、罵倒し続けるだけではレイシストとカウンターと警備による予定調和の中に組み込まれてしまうだけである。どちらに転ぶとしても状況は動かさなければならない。

それまでのカウンター行動でも短い時間での「(レイシスト)帰れ」コールはあったものの、この日の「ヘイトデモ中止」コールは、ほとんど途切れることなく1時間以上続いていた。
この日の新大久保には誰に指示されたわけでもない、自然発生的な、まさに「デモ」の現場が生まれていた。
状況を動かせ、デモを中止しろ、デモの許可を下すな、というわけだ。
その意味でこの日の新大久保でのカウンター行動はレイシスト対カウンターというよりも、いつも以上にカウンター対システム(為政者、警備)の構図が色濃かったと言える。
ちなみに今回の排外デモは卑劣にも子どもたちを標的にした「東京韓国学校無償化撤廃デモ」と銘打っている。しかしいつもながら何を言っているのか、何を主張しているのかわけのわからない、しょうもないデモだったのは言うまでもない。

レイシストに(東京の場合)新大久保を歩かせないということが、まず彼らに差別行為を止めさせる前提にある。これまでもカウンター参加者は新宿区や公安委員会に向けた署名活動などでの関係各所への抗議、さらに現場の警察官、機動隊の一人ひとりに「ヘイトデモ中止」を訴え続けている。
決してレイシストを直接罵倒することだけが目的や手段ではないのだ。

瀬戸弘幸による大動員の排外デモが行なわれた6月30日には職安通りの車道にまでカウンターが溢れ、ひとりの男性がこの日と同じ場所でシットインを強行した。
そしてその日を境にこの2ヵ月、新大久保で排外デモは行なわれなかった。スタート地点に設定される大久保公園が夏場のイベントシーズンだったこともあるけれども(レイシストには夏場のデモに耐えられる体力がないということもある)、それはそれでカウンターの初期の目標は達成できていたのだ。
しかし信じられないことに新大久保での排外デモはまたもや許可され、一部で予想されていたことだとはいえ新大久保での排外デモは復活してしまった。この日のカウンター行動が、レイシストにだけ向けた抗議というよりも、それを許してしまった為政者や、個人の感情はともかく許可されてしまった以上はいくら差別的なデモでも粛々と実行させる警備に対して、より強い調子で向けられたのは当然といえば当然である。
無論レイシストたちへの抗議も生卵やペットボトルが投げつけられたようにエスカレートしていく。

職安通りでの2度のシットインが排除されたあと、路地を通って大久保通りへ先回りした。
明治通りと大久保通りの交差点には同じようにカウンターが集結し、警備の指揮車が大久保通りへ左折する前に50人ほどのカウンターが一斉にシットインを開始した。
職安通りのシットインでは、抱えたカウンターを概ね「優しく着地」させていた機動隊の諸君も、シットインがここまで大人数になるとずいぶん扱いが荒っぽい。さらにごつい靴で背中に蹴りを喰らわす。興奮した警官や公安もカウンターの服を引っ張り、身体を引きずり回す。
カウンターに参加するときは基本的にトラメガ以外は手ぶらのオレも、今回は携帯電話の類までコインロッカーに預けてきたのだけれども、身体を逆さにされた瞬間ポケットに残っていた小銭を車道にぶちまけた(みっともねえ)。
それでも一旦排除されてもカウンターは次々とシットインの列の後ろに回り込み、また車道に座り込む。
10分ほど、カウンターと警備の間でそんな攻防が続いた。このシットインを受けて、その後、大久保通りを通る排外デモの隊列の前には、それと同じか、それ以上の人数の機動隊の隊列が組まれた。それは実に異様な光景だったと思う。
そして排外デモが新大久保駅前を通過したあたりで、生卵が2個投げつけられた。ひとつはレイシストに当たり、ひとつは気の毒な機動隊員に当たった。

これが東京での五輪開催が決まった日に、その東京で行なわれたレイシストのデモなのだ。
こんなものが許されていいわけがない。こんなものが許され続ける以上、まずオレたちは連中の「出口」や通り道に座り続ける。そしてこんな状況がまだ許され続けるのならば、挑発や侮蔑の言葉だけではなく、「言葉じゃないもの」が飛び交い始めるのも近いのかもしれない。
カウンター終了後、ATS君のTOKYO AGAINST RACISMのTシャツが派手に茶色に染まっていた。流血でもしたのかと思い聞いてみると、誰かがデモに向けて投げつけたペットボトルが降りかかったのだという。
スリキズ程度ならともかく流血の騒ぎはまだ起こってはいない。起こっていないうちに止めるべきだろう。


遊びはいつまで続くのか/排外デモカウンター行動(7.14-8.6)

2013-08-09 05:23:53 | News
6月30日、2500人のカウンターが集結した、新大久保での在特会系の排外デモ<在日外国人犯罪者追放デモ in 新大久保>から、7月11日のデモ中止(延期)、更には今月11日に予定されていたデモも中止(変更)されるなど、現在新大久保周辺から排外デモは排除され続けている。

<「表現の自由もあり、不許可にはできない」「主催者側は無理に中心部を通ろうという姿勢ではない。今後は(中心部を)外した形になっていくのではないか」>(【ヘイトスピーチの現場】警察に配慮しデモコース変更 在特会など主催者 47トピックス(共同通信)8月8日付

まずしばき隊の目的は排外デモ終了後にレイシストたちによる新大久保周辺の飲食店、商店への嫌がらせ(お散歩)阻止であり、さらに6月30日をひとつのピークにした一連のカウンター行動が求めていたのは、「排外」の刃を直接突きつけられる在日、外国人が集まる新大久保でのデモ阻止であったのだから、これは完全にカウンターの勝利といえるだろう。
3月の時点で「お散歩」は実質的にしばき隊によって阻止され、さらに警備に囲まれながら駅まで誘導される「集団下校」が行なわれるようになっていたものの、「表現の自由」の名の下に新大久保のデモコースは維持され続けた。
それでも強行されるデモにはレイシストに対して執拗に直接抗議(という名の罵声、怒声)の声を上げると同時に、現場の警備にもデモの不許可を求め続けてきた。
勿論「どっちもどっち」の番人である警備にデモそのものを中止させる意思はないだろうが(有田芳生参院議員を先頭に数十人のカウンターが文字通り体を張ってデモのスタートを阻止し、中止を求めた6月30日にはその可能性があった)、デモを追走するカウンターには好都合な路地が多く、デモとカウンターによる攻防のメインストリートとなる大久保通りの狭い歩道で挑発が続くのは警備上にももはや限界があったのだろうと思う。2500人というのはそういう数である。
ひとまず新大久保からレイシストは排除された。

参院選を挟んでこの間に彼らが集団として新大久保に姿を現したのは、7月14日、新風の鈴木信行氏による新大久保駅前での街頭演説だった。これは鈴木氏が演説の中で話したように、この支持者絶無の新大久保駅前での街宣は「支持者のリクエスト」という実にふざけた理由で実施された。鈴木氏の演説の内容も、一般の通行人に広く支持を呼びかける「選挙中の候補者のそれ」ではなく、選挙演説という体裁ながら、まさにレイシストの支持者の「リクエスト」に十分応えた内容であったのは間違いない。もちろん街宣車の前に陣取った聴衆の半分はカウンターで、集まったカウンターに向かって鈴木氏は自ら中指を「リクエスト」した。それを合図に数十本の中指が鈴木氏に突きつけられた(どこからともなく飛んできた「八王子でも演説しろ!」という野次と共に)。野次を飛ばすこともなく黙って聴いていたカウンターだったが、リクエストなのだから仕方がない。

しかし新大久保から排外デモが排除されたとはいえ、参院選後も東京周辺では排外デモが繰り返し開催されている。
参院選の真っ只中の7月6日に渋谷で排外デモ<日韓国交断絶行動in帝都>を強行した主催者は、さらに参院選直後の7月29日に<反日極左と不逞外国人から川崎を護るデモ>を行なった。川崎駅東口周辺を「一周半」して、日曜日の休日で賑わう駅ビル前の広場で解散するという、実に頓珍漢なルートで、少数のカウンターに過剰警備を敷く県警に囲まれた挙句、一般人の視線に長時間晒された。
さらに今月4日に浅草で行なわれた<日本民族よ立ち上がれ! 拉致被害者全員奪還・国民大行進 IN 浅草>では、主催者のコントロールが効いていたのが、少数のプラカード以外は目立ったヘイトスピーチは行なわれなかったものの、やはり少数の問題参加者が相変わらずの行動を繰り返し、デモ終了後に中でも目立って(いつも通り)騒いでいた人物に対して当該デモの出入禁止を宣言した。

そして68年前、広島に原爆が投下された6日には広島と東京で<核武装推進デモ 支那・北朝鮮の核の脅威から我が国を守ろう!~>が強行された。慰霊式典に合わせた街宣、さらには市内でデモが行なわれる広島へは関西、中国地方のカウンターを中心に、関東からも多くのカウンターがチャーターバス(!)で広島へ乗り込んだ。
オレは東京のカウンターに参加し、東京駅から歩いて集合場所の萱場町の坂本町公園周辺へ向かう。
川崎、浅草の警備は機動隊を中心にしたかなり強固な(過剰な)警備が敷かれていたのだけれども、さすがに平日の、東京駅周辺のオフィス街ということもあるのか、今回は私服中心の警備体制。それでも20人程度のカウンターへのマンマークは川崎、浅草同様に厳しく、反対側の歩道に回り込まなければ併走はできず、同じ歩道を併走をしていたオレは、東京駅周辺ではデモ最後部がかろうじて見えるたびに、横断歩道で止められ続けることになった。
もうこうなると警備の皆さんとトークしながら追い続けるしかない。

確かに「核武装」を主張することは表現の自由なのだと思う。
それだけを取り出せば彼らの主張を支持する日本人も少なくはないだろう。しかし、やはりこの日にそれを主張するのはある種の悪意(ヘイト)を感じざるを得ない。彼らにとって核兵器でさえもレイシズムの欲求を満たすためだけのダシなのだ。「気に入らないもの、自分たちに反対するものはすべて反日、在日」と同じように、「気に入らないものを挑発する」ためだけに核武装は主張される。そしていつも通りの主張が、いつも通り繰り返される。この日も憎悪のコピペが繰り返された。
さすがに警備の方々も顔をしかめていたのは言うまでもない。
だからオレは「遊びでヘイトやってんじゃねえよ!」と叫ばずにはいられないのだよね。

広島で叫ばれた「被爆者特権」という、この日一番の醜悪なヘイトスピーチは東京ではさすがに確認できなかったという。
憎悪のコピペは絶え間なく繰り返されるのだが、いくらレイシストでもそれに付いていける人間ばかりではないだろう。
今日、長崎も68回目の夏を迎える。

「ロック」が喚起したもの/夏フェス予習編 ロックと反レイシズム

2013-07-26 05:38:46 | News
水曜日。ネイキッドロフトで<レイシストをしばき隊presents「夏フェス予習編 ロックと反レイシズム」>
「夏フェス予習編」と銘打ちながら夏フェス出演者はほとんど語られず、クリップも流されず、ひたすら70年代から80年代の英ロックシーンがいかにレイシズムと対峙していったのかが語られる。
一説にはあの会場でフジロックへ行く人はクボケンさんだけだったらしい(んなわけないだろうが…)。

その中でもっとも熱く語られたのは「なぜしばき隊にはおっさんが多いのか?」である。
オレも含めてカウンター勢には確かにおっさん(おばさん)が多い。カウンターの中核を担っているのは30代、そして特に40代だと思うのだが、その背景を音楽=ロックから探っていく。ゆえに当然、そして断固トーク前に流されるクリップは1978年4月30日、ヴィクトリアパークで開催されたRock Against Racismでのクラッシュであらねばならない。



イベント内容の詳細はこちら。
2013/7/24@nakedloft レイシストをしばき隊 presents「夏フェス予習編 ロックと反レイシズム」(togetter)

今でこそ「自分語り」と揶揄されるロッキングオンだが、70年代から80年代初頭にかけて「ロックとシリアスに向き合うこと」を伝え続けてきたのがかつてのロッキングオンだった。今時、岩谷宏さんの名前があれほど登場するイベントがあるだろうか。ロックと岩谷宏は読者をその気させていた…というのはちと大げさか(ちなみに中継終了後にはロッキングオフな情けないエピソードが語られたわけだが)。
しかし、「その気」にさせてしまうのが大事なのだ。明確な意思表示、態度表明と行動の喚起。その時、オレたちは当事者になる。

60年代から約10年ほどで急速に巨大化、複雑(多様)化してしまったロックの凶暴な雑食性は、そのままポップミュージックにおけるアンチレイシズムを象徴しているだろう(「音楽」そのものがアンチレイシズムでなければ成り立たない)。そしてそれはRock Against Racism(RAR)誕生のきっかけになったエリック・クラプトンのヘイトスピーチへの返答である「最初のヒット曲がボブ・マーリーのカバーだってのに、そりゃないぜ。認めろよ、エリック、お前の音楽の半分は黒人音楽じゃないか」という言葉に通じる。ロックンロールの爆発力、そしてロックの多様化、多国籍化はレイシズムに対する不同意の宣言でもある。
しかし当然ロックが産業として巨大化してしまうとクラプトンの舌禍のようなヘイトスピーチ事件も起こってしまう。スーパースターとオーディエンスという関係は、スターを肥え太らせ、オーディエンスを傍観者にしてしまう(人間宣言する前のボウイが素晴らしかったのは、その時代、その関係をカリカチュアさせたところにある)。
そんな中、パンクやニューウェーブを中心に、レゲエ、アフロ、そして80年代に勃発したヒップホップ勢はロックンロールを取り戻すと同時に、不同意、異議申し立ての先鋭的なカウンターになる。
ということで「そんな音楽=ロックを聴きながら少年時代を過してきた私たちはなぜカウンターになったのか」ということが4時間以上に渡って語られた。カウンターに40代が多いのは当然というものである。

しかし「そんな音楽=ロック(洋楽)を聴きながら少年時代を過してきた私たち」には、幸か不幸か、それとも幸というべきかリアルタイムで欧米や(当然)南アフリカのような苛烈な状況にはなかった。関西ならまだしも、オレの出身地である静岡には在日問題、被差別問題が語られるような土壌もなかった。

昨夜帰ってきてから2ちゃんねるのしばき隊スレを見ていたら、おそらくネトウヨの揶揄だと思うけれども、こんなレスがあった。
<ロック(ごっこ)と反レイシズム(ごっこ)、ネット配信してるの?>
痛いところを突いてきたと思った。
そして80年代のロッキングオンで、MODSの森やんに対してインタビュアーの渋谷陽一が歌詞について猛烈に突っ込み続けたエピソードを思い出した。どのアルバムだったか、何の楽曲だったのか、詳細は忘れてしまったけれども、東南アジアあたり(スモーキーマウンテンだったかなあ…)を舞台にした歌詞の世界に対して「リアリティがない」と、森やんが気の毒なくらい突っ込みまくっていた。
時代はブルーハーツだったのだ。
当時、ヒロトやマーシーもインタビューでMODSの歌詞を批判気味に引用していた。そこに語るべき「状況」がないのならば等身大の自分を語るのは当然。勿論ブルーハーツは「チェルノブイリ」もリリースした先鋭的なバンドでもあったけれども、メジャーな日本のロックバンドはロックの形を借りたフォークやポップスを量産し続けた。
海の向こうで起こるチェルノブイリも、サンシティも、ネルソン・マンデラも、ベルリンの壁も、LA暴動に対してもリアリティに欠けた<ロックごっこ>的な気分がなかったとは言えない。

しかし幸か不幸か、今度は不幸というべきだろうが、3.11以降の一連の不幸な出来事や新大久保や鶴橋でのレイシストの躍動、右翼政権の躍進はリアリティを持って目の前に現れている。
かつて「ロック」が現実=リアルに対して明確な意思表示と明快な行動を求めていたのならば、今動かなくてどうするのだ。<ロックごっこ>に止まるような、フィクショナルで呑気な状況ではないのだ、と思う。
目の前で起こっていることはノン・フィクションだ。ならば「そんな音楽=ロックを聴きながら少年時代を過してきた私たち」が状況にどう対峙していくべきなのかは明確じゃないか――。

2008年、<この国の政治には、未だにがっかりさせられっぱなしだけど、この国の文化に迷う事はもうない。イギリスは他民族社会であり、そう在り続けるためにも、俺が出来る事は何でもする>

そして2013年、<街なかで一般市民や近隣店舗に嫌がらせしたり暴言を吐いたり暴行を働いたりするネット右翼を説教します。必要なあらゆる手段を使ってレイシズムを食い止めます>、である。

これは今、日本で起こっていることである。




<リベラルが親になってしまったゲームとは、周到な責任逃れのゲームである。「私には何ができるのだろうか」という問いがしばしば発せられる。(中略)リベラルは、自分たちがリベラルであることをできるだけ多くの黒人に証明してみせるのに多くの時間を消費する。これは、自分たちは黒人の問題に直面しているという誤った確信から生じている。黒人には何の関係もない。問題は白人人種主義であり(中略)白人リベラルは、黒人の問題は黒人自身に任せて、彼らはわれわれの社会の本当の悪―白人人種主義を問題にしなければならない。>
(フランク・トーク=スティーヴ・ビコ「白い皮膚に黒い魂?」/スティーヴ・ビコ『俺は書きたいことを書く 黒人意識運動の思想』峯陽一、前田礼、神野明=訳 現代企画社)

<なんか「俺は一生ヒップホップに命を捧げるよ」っていいきっちゃった手前、無理してやっている人がいるとしたら、その音楽に対してよくないことだ。重要なのは、そこから感じた精神だと思うんだよ。その精神がなんなのかっていうことは形じゃない。ヒップホップから得たものは、自分が作った音楽で自分がここまで勇気を出せるのかっていう実効性だと思う。(中略)かっこいいことをやるには、自分がそれに見合った行動をするっていうことでしか表現できないっていうことが、ヒップホップの持っている構造のレベルの高さでもあるんだ。>
(近田春夫/後藤明夫・編『Jラップ以前~ヒップホップ・カルチャーはこうして生まれた』TOKYO FM出版)

ナリは多少不細工でも、誰だって意思表示と行動でかっこよくなれるってのが「ロック」の良さだよ。クボケンさんかっこいいもの(すみません!)。あとあの天真爛漫ってのは稀有だよなあ。

言葉の問題/サッカーと愛国-フットボールvsレイシズム-(3)

2013-07-15 09:17:49 | News
最後に木村さんと千田さんがイベントの終わりに言った「ヘイトではなくはっきりと差別と言った方がいいんじゃないか」というメッセージについて。
それは確かにそうで、その方が伝わりやすい場合もある。しかし「差別」という言葉が持つ昔ながらの硬直化したイメージよりも、ヘイト、ヘイトスピーチという言葉が持つ喚起力の方が大事じゃないかと思うわけです。
Jリーグの「革命」というのは、ファンをサポーターに、球団をクラブ、フランチャイズをホームタウンと言い換えたところから始まる。差別という言葉の通りやすさよりも、オレはヘイトという言葉の持つ違和感の方が、今は必要なんじゃないかと思う。在特会が自ら講習会(たぶん頓珍漢な内容だろうけれども)を開いてしまったように、ある意味で人を挑発し、人を動かす言葉ってのは必要です。

で、やっぱし個人的にはこの言葉を思い出す。

<我々がする仕事は、東京の片隅で起きていてもグローバルなコミュニケーションの中にある。>

当たり前のようでいて、今もこの言葉は頭の片隅に置いてある。

「憎悪」だけでサッカーは楽しめるのか/サッカーと愛国-フットボールvsレイシズム-(2)

2013-07-15 09:11:52 | News
『ネットと愛国』でその事実を書いた安田浩一さんも改めて指摘したように、「2002年」が嫌韓のきっかけになったレイシストは少なくないらしい。当然、2002年というのは小泉純一郎首相の日朝首脳会談と日韓ワールドカップだ。

1996年5月29日、博多の森球戯場で行なわれたキリンカップ・メキシコ戦は興味のない観衆、視聴者をも惹きつける好ゲームとなり、当時代表史上最高のゲームと評された。3日後に決定する2002年ワールドカップ開催国決定に最高の機運が訪れた。
いまだにワールドカップ出場経験のない開催候補ではあったが、ホームゲームとはいえメキシコ相手に一歩も引かないゲーム内容に、誰もが日本単独招致を疑わなかった。Jリーグ各サポーターも招致委員会の活動に協調し、来日したFIFA理事へのPRに自ら協力していたものの、Jリーグブームは沈静化し始めていたし、FIFA副会長だった鄭夢準大韓サッカー協会会長の強力な政治力に一抹の不安を感じながらも、開催国は日本だろうと固く信じていた。
しかし、結論は日韓共催。やはり鄭夢準の政治力でドローに持ち込まれたという印象が強い。
サッカーにはドローがある。劣勢がドローに持ち込めば、むしろ勝ちに近い。逆に勝利を確信しながら終了間際に同点ゴールを決められればダメージは大きい。この辺り、鄭夢準はやはり政治家で、サッカーを知っていた。
盗まれた(韓国の招致委員会設立は日本の2年後)と憤ったサッカーファンも少なくはなかったけれども、出し抜けを喰らった招致委員会はともかく、この「遺恨」についてニュースはそれほど続かなかったと思う。何しろ共催とはいえ自国開催が決まった以上、2002年の前大会である1998年のフランス大会は是が非にでも出場しなければならないとサポーターは覚悟したからだ。
だから翌1997年のアジア予選は、アジア大陸を横断する初のホーム&アウエイ方式も相まって異常な盛り上がりを見せた。アジア予選の壮行試合となった国立競技場での日韓戦では20歳の中田英寿が本格的な代表デビューを果たした。中田は後に国歌斉唱問題で右翼に糾弾されるわけだが、1997年以降、2002年へ向けて、いかに「代表」が世間の注目を集め続けていったのか、ということである。

そして2002年は日本のサッカーファン念願だった「祭り」になる。もうひとつのホスト国である韓国のゲーム(イタリア戦、スペイン戦)を、主審として華麗にアシストしたモレノというスーパースターも生まれた。



2002年までは「代表のサポーター」がいた、と思う。2002年以降は、きっと状況が変質してしまったのだろう、と思う。
しかしスタンドそのものが今変質しているのかといえばそんなことはないだろう。確かに「代表専門のサポーター」もしくは「代表にそれほど興味を持たないJリーグサポーター」が増えたのは実感としてあるが、ここでいう「過激化」しているのはサッカーや代表のゲームをダシにヘイトスピーチをする快感を覚えてしまったネット限定サポーターで、要するにネトウヨである。
鄭夢準の関与疑念を招きかねないモレノのレフリングや一部韓国サポーターの挑発的な行動は、嫌韓を是とするネトウヨを狂喜乱舞させ、彼らにサッカーの「もうひとつ」の楽しみを教えてしまった。ゲームを通じて「敵」を口汚く罵倒する楽しみ、である。勿論、サッカーの楽しみ方はそれだけではないのだが。



サポーターはネットによって育まれた。その「ゆりかご」の代表格が2ちゃんねるとサポティスタだっただろう。
2ちゃんねる前夜のサポティスタはスタジアムで配布されていた、実に情熱的なサポーター有志によるフリーペーパーだったわけだが、サイト化と同時に「ネタ」集めのポータルサイトとして浸透した。2ちゃんねるの代表的な嫌韓ネタスレといえば「しお韓(ようやくしおらしくなってきた韓国サッカー)」だろうか。数々の2ちゃん用語=ヘイトスピーチを生み出しながら、「ネタ」としての嫌韓を煽り続けた。
勿論今でも「ネタ化」をカルチャーと言い換えてもおかしくはない。それも確かにサッカーの楽しみ方である。しかしレイシズムの土壌になってしまっては、そんなカルチャーはお話にならない。

Jリーグにしても、代表にしても現状でスタンドでヘイトを繰り出す悪質なネットサポーターは少数派だろう。
磐田サポーターの少年2人がやらかした「ゴトビ核兵器」ダンマクなどは、いかにも2ちゃんねる的な無邪気なヘイトスピーチだった。そんなバカは確かにまだ少数派だ。
しかし、それに対して「スタジアムに政治は持ち込まない」というお題目を唱えているだけのリーグの対応はまったくお粗末で、ヘイトスピーチに関してやはり無自覚だったと思わざるを得ない。FIFA、UEFAがアピールしているように問題が国際的に共有されつつある今こそ、問題が小さい(小さく見える)からといってスルーするのではなく(まさにこれは「荒らしはスルー」のテンプレ化の弊害だ)、リーグも積極的にメッセージしていくべきだろうと思うのである。


(木村 元彦、園子温、安田浩一『ナショナリズムの誘惑』ころから)


(安田 浩一、朴順梨『韓国のホンネ』竹書房新書)


(ガブリエル クーン、甘糟智子・訳『アナキストサッカーマニュアル スタジアムに歓声を、革命にサッカーを』現代企画室)

挑発と憎悪/サッカーと愛国-フットボールvsレイシズム-(1)

2013-07-15 09:03:34 | News


木曜日。ネイキッドロフトでマリノスの清さん主催の「新大久保アゲインスト・レイシズム サッカーと愛国―フットボールvsレイシズム―」。在特会の悪行を追い続けるジャーナリストの安田浩一さん、松沢呉一さんに加え、ピクシーとフットボールと旧ユーゴスラビアとその周辺で起こった<ヘイトの現場>を描いた名著『悪者見参 ユーゴスラビアサッカー戦記』『誇り ドラガン・ストイコビッチの軌跡』の著者・木村元彦さん、元日本代表監督イビチャ・オシムの通訳を務め、旧ユーゴスラビアにも長く滞在されていたジャーナリストの千田善さん、レッズサポーターのフリーライター小田嶋隆さん、そして途中客席からはサッカージャーナリスト、写真家の宇都宮徹壱さん、『アナキストサッカーマニュアル』翻訳者の甘糟智子さんが登場するという豪華なメンバーとなった。


(木村元彦『誇り ドラガン・ストイコビッチの軌跡』東京新聞出版社/集英社文庫)


(木村元彦『悪者見参 ユーゴスラビアサッカー戦記』集英社/集英社文庫)


(木村元彦『オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える』集英社インターナショナル)


本編は期間限定で公開されている模様なので今のうちに視聴してみてください。
新大久保 アゲインスト レイシズム サッカーと愛国 -フットボール vs レイシズム-(前編/ust)
新大久保 アゲインスト レイシズム サッカーと愛国 -フットボール vs レイシズム-(後編/ust)
そして司会の清義明さんのブログ。当日話した内容に加えて、おそらく話せなかった(話したかった)と思われる内容ががっつり書かれていますので必読。
くさいものにはフタをしろ!-初心者でもわかる在特会一派とカウンター活動-(清義明のブログ Football is the weapon of the future REDUX)

まずは前提。
サッカーの思想はボーダレスで、日本の片田舎で行なわれているゲームであっても常に「世界」とつながっている。それは背景にカルチャーの違いがあったとしてもボールひとつで「語り合える」共通言語を持っているからで、そこにサッカーの否定でしかないヘイトが入り込む余地はない。
Jリーグのほとんどのクラブには外国人プレーヤーが加入していて、またラグビーほどではないにしても、「日本人」だけで構成されているはずの日本代表には帰化選手が毎回のように参加している。サッカーという共通言語の前で日本人であること、日本である意味はそれほど重くはない。「違いがあること」それがサッカーの「豊かさ」を担保している(音楽だって、映画だって、文学だって同じ事だ)。

スタジアムでモンキーチャントのようなヘイトスピーチ(差別表現)が横行する欧州のシーンや、文字通り血を血で洗うようなヘイトの戦場だった旧ユーゴスラビアと日本の現状は勿論比べ物にはならない。しかし欧州にしてもヘイトスピーチに対する規制はまだ歴史が浅いという。だからこそ近年UEFA、FIFAでは差別反対に関して積極的なPRが行なわれている。
オレたちはゲーム前にテレビに映し出される、その<FIFA Say NO to Racism>という横断幕をどこか絵空事のように見ていないか。

翻ってみれば、直接「差別」という言葉ではなくとも、これまでも我が日本平スタジアム(IAI日本平スタジアム)には「人権」に関するバナーが掲示されていたし、配布物の中にそれに関するチラシもあった。
オレたちはそれを軽くスルーしている。2ちゃんねるあたりではそれを嘲笑するような書き込みも多く見た。
『空気の研究』ではないが<空気と安全はタダ>というのが日本の通り相場だったはずだが、いまやこれに「人権」を加えてもおかしくない。国会議員によって「生活保護」の思想が否定され、毎週のように排外デモが行なわれるこの日本で、生きる権利、平等に生きる権利は、それほど、残念ながら軽く、安っぽい(軽く見られて、安っぽく扱われている、と言うべきか)。

日本のスタジアムではヘイトスピーチ(差別表現)がほとんど見られない。しかし文字通りのヘイト(憎悪)=挑発はサポーターの習い性で、スタジアムでは揉め事がいくらでも起こる。2008年にサポーター同士が直接衝突したレッズ対ガンバ戦や、今年4月に4時間近くサポーターがスタジアムに軟禁されたレッズ対エスパルス戦のように挑発(または誤解)がエスカレートするケースも知っている。おとなしくて、従順な日本のサポーターの間でもヘイゼルヒルズボロのような悲劇は起らないとも限らない。

一方で、そんな挑発を「ネタ」として、観戦のスパイスにしている事実も否めない。
小田嶋さんが言うように、サポーターはゲーム中だけはヘイトスピーカーなのかもしれない。
その意味でサポーターは挑発(ネタ)のエスカレートに対して自覚的で、スタジアムは高度に空気を読まなければならない空間でもある。「ある程度」の挑発は織り込み済、挑発をネタとして楽しみ、もはやゴール裏同士で挑発し合うことが名物になっているゲームは存在する。いくら2ちゃんねるに醜悪なヘイトスピーチが溢れていようとも、日常的に、スタジアムという現場でサッカー的な思考に触れているJリーグのサポーターは、良くも悪くも空気を読む。つまりある意味でマニア化、蛸壺化しているわけだが、それ故にエスカレートに関して「安全装置」も働くわけだ。
過激なコアサポーターはどのクラブにも一定数いる。Jリーグで最も動員力がありレッズが最も「過激」で「暴力的」であるのは、抱えているサポーターのパイが他クラブよりも巨大で、一般的であるということだろう。一般的になればなるほど、ヘイトの問題は顕在化していく。

ということで、目下の問題は「代表」ということになる。
いや、スタジアムという「現場」に行かない、ネットサポーターというべきか。

ぎりぎりまで執拗に/排外デモカウンター行動(7.6)

2013-07-07 21:49:56 | News


土曜日。渋谷で日韓国交断絶行動in帝都のカウンター行動。7月7日の新大久保デモが事実上の中止になったとはいえ、彼らのデモは終わったわけではない。
集会開始前にはすでに集合場所周辺には機動隊が展開し、公園につながる陸橋の入口も完全に塞がれ近づくことさえできない。デモ出発前にはKポペンにロックオンされた新風の鈴木信行候補が演説するということで、カウンター勢は交差点近くのスターバックス周辺に集まる。オレも距離を見計らいながら待機する。参院選の選挙期間に突入し、警備も厳重になったこともあり、今回はカウンター参加者も少なく(とりあえず7日の新大久保が中止になったことも大きかったのだろうが)、初っ端からほとんどマンマークで規制され続けることになる。
デモは真夏日に近い悪コンディションもあり先週目立った多かった高齢者は減り100~150人程度、カウンターはほとんど個別に展開していたようなので自分が見た限りでは30~50人程度か。



レイシストが宮下公園を出発し交差点に姿を現すと、まずスターバックス前に待機していたカウンターの行動が規制される。距離を置いて併走し始めたオレにもすぐに警官が近づきマンマークで張り付く。こちらの抗議には激しく規制がかかるのだが、「許可を得たデモ」の挑発はほとんど野放し状態だ。彼らのヘイトに満ちたプラカードや罵声は相変わらず、さらに警備に囲まれ、行く手を阻まれたカウンターにカメラのレンズを向け、挑発と罵声を繰り返す。彼らに与えられた「許可」とは歩行者を挑発しても構わないという許可なのか。公園通りでは抗議のサインすら引きずり下され、遮られ、抑え込まれた。
ひたすら抗議――挑発は許されない。
仕方がないとはいえ、連中に近づくどころかまともに歩道を歩くことさえ規制する警備には抗議せざるを得ない。
とはいえ新大久保とは違い、渋谷には彼らのヘイトの向かう先はない。「どっちもどっち」の街で彼らは白い目で見られる冷笑の対象でしかない。むしろカウンターの存在だけがそのヘイトの対象になるわけだ。そして、松沢さんが解説した「カウンターの行動原理」にもあったように、法的規制がない限りはどこまで行っても「どっちもどっち」でしかない警察を動かす(動かざるを得ない状況に持ち込む)のもまたカウンターである。
だから執拗に、ぎりぎりまで、である。

デモ終了後、山本太郎と三宅洋平の街宣でヒートアップするハチ公前へ行くと、「集団下校」したはずのレイシストたちが集結し、新風・鈴木氏の演説が始まった。ハチ公前の片隅で再び日の丸と旭日旗が翻る。
街宣によってレイシストの「集団下校」が反故にされたせいで、喫煙所ではハチ公周辺に展開していたカウンターによって荒巻丈らのレイシストが排除され、この日もひとりのレイシストがカウンターへの暴行未遂で警察に拘束された。
駅構内まで追われたレイシストの女は「…気持ち悪い」と呟いていた。
カウンターはそれほど執拗である。

Rody's bullets/2013年7月6日 渋谷排外デモ


境界線の在り処/排外デモカウンター行動(6.30)

2013-07-02 11:09:02 | News


30日はナノゼリーこと瀬戸弘幸氏が主催する「在日外国人犯罪者追放デモ in 新大久保デモ」へのカウンター行動で新宿へ向かう。
この一週間は大きな動きがあった。レイシスト、カウンター双方から複数の逮捕者を出した16日の新大久保・排外デモを受けて100人以上の弁護士がヘイトデモを告発、山岸憲司・日弁連会長も声明を発表した。

人種的憎悪を煽り立てる言動に反対する会長声明(日本弁護士連合会)

これに対して、今回ヘイトデモを強行するレイシスト側もさまざまな「対策」を打ってきた。
中でも大きかったのはスタートは大久保公園、ゴールは柏木公園という設定自体は変わらないのだが、これまでのように職安通りから明治通りを左折して大久保通りに浸入するという、彼らが思い存分ヘイトを撒き散らすコースは取られず、右折して靖国通りを直進するコースが設定された(当初デモは新宿区役所に抗議するデモのはずだったが、区役所通りはおろか、靖国通りから区役所に顔を向けたレイシストすらもいなかったのではないか。相変わらず趣旨がいい加減過ぎるのだ)。
「in 新大久保デモ」と銘打ちながら、今回彼らは「新大久保」を歩けないというわけだ。
公安委員会から名目上の許可を得て、デモの名を借りた新大久保の「お散歩(=ストレス解消の嫌がらせ、ヘイトクライム)」はひとまずこれで完全に阻止された。これはレイシストをしばき隊、プラカード隊、ダンマク(横断幕、ゲートフラッグ)隊を始めとした無数のカウンター諸氏の行動力、新大久保駅前でのヘイトデモ反対署名やネットを通して新宿区に公園の使用不許可を求める署名活動を地道に続けてきた皆さんの成果といえるものだろう。
逆に彼らのデモが本来の「デモンストレーション」の意味を果たしたいのならば、そして不特定多数の日本人に訴えたい主張があるのならば、大久保通りよりも新宿のメインストリートのひとつである靖国通りでデモができることを喜ぶべきだろう。そこで、どれほど「普通の人たち」の好奇の目に晒されても、である。
しかし、まだ彼らはヘイトデモ自体を止めたわけではない。

正午過ぎに一旦大久保公園に行ってみると、すでに公園に通じる道路各所に鉄柵が設置され始め、13時頃から徐々に周辺のカウンターが警備によって排除され始める。
ヘイトデモ参加者のレイシストたちはスタート地点である大久保公園に三々五々集まるのではなく、新宿駅東口交番前に一旦集合してから全員で大久保公園まで「集団登校」するという。警備の動きを見ながら、オレは歌舞伎町一番街から西武新宿駅周辺で待機する。



前日29日には「丁寧な言葉使いでヘイトを撒き散らす」という、実に頭の悪い試験的なデモが少人数の参加者で、新大久保で強行されていた。
ヘイトスピーチの問題は「丁寧な言葉使い」などとはまったく関係ないのだが、いまだにカウンター批判の根拠を「許可を得ているデモに対して無許可のデモ(カウンター)は法律違反」という、まったく頓珍漢な批判を繰り返すネトウヨらしい発想である。あくまでも個人参加のカウンター行動は所謂許可が必要な「デモ」ではないし、車道を使用しているならともかく、歩道で行動している以上は、まったく問題もない(現時点では)。
このデモではレイシストの集合場所の情報が錯綜した。デモ出発前に何とか集合場所に追いついたものの、主催者を取り囲んでのしばき開始と共に、今度はカウンターが、あっという間に集まってきた30、40人ほどの警備に取り込まれ、デモ終了まで公園内に「軟禁」、大久保通りにデモを通過させるという事態になった(その場を逃れていたカウンターは追走した模様)ため、この日の行動はとにかく先回りが意識された。

15時前後、彼らは事前に、ナノゼリーこと瀬戸氏のブログでアナウンスされていた「50人」ごとではなく、全員まとまって集団登校してきた。
16日に逮捕された人間を含む、関東で顔と名前を売っている連中が名古屋に向かっていたためか、また動員されたためか、今回は予想以上に高齢者が多い(わずか2週間前に、主催デモで逮捕者を出すという醜態を晒した桜田がいたのには驚いた)。
まずは「お出迎え」の怒声と罵声を喰らわせつつ、路地を先回りし「登校中」のレイシストを追う。また公安と機動隊も道路の入口ごとに展開し、カウンターの行動を規制し続ける。
大久保公園の入口となる道路では、しばき隊を中心にしたカウンターが大挙して押し寄せ道路を封鎖していた。今回のカウンターでは近隣の大久保病院を考慮して公園周辺でのトラメガの使用を自粛するよう、しばき隊公式からアナウンスされていたため、生声での「帰れ」の怒声が地鳴りのように巻き起こる。
レイシストたちが公園に入るとオレは職安通りに向かい、レイシストの通過に待機する。

一方でデモのスタートを待つ大久保公園では、カウンター行動がこの日のひとつのピークを迎える。
「カウンターはあくまでも個人参加」と書いてはいるが、この日のカウンター行動には「集団」としての大きなテーマがある。
「奴らを通すな No Pasarán!」である。
今回は大久保公園に集合したレイシストたちを封じ込め、デモに出発させないこと、中止にさせることを目的としている。これは野間さんと「レイシストをしばき隊」の名で広く呼びかけられたもので、カウンター行動が次の段階に移っていることを示している。
切迫した問題であった「お散歩を称した新大久保周辺の商店、買い物客への嫌がらせ行為を止めさせる」、そして「レイシストのデモ隊に大久保通りを歩かせない」はひとまず成功させた。これらはレイシストをしばき隊設立の大きな動機になっているテーマだろう。
そして次は「デモをそのものを止めさせる」というわけだ。

お部屋2517/しばき隊の「暴力性」 1―-行政警察活動の根拠を作る(松沢呉一の黒子の部屋)

緊迫した状況になった大久保公園の「No Pasarán!」の動き、警備に厳しく規制された中、公園周辺に入り込んだ40人のカウンターと有田芳生議員、弁護士団の行動に関してはノイホイさんのツイートのまとめに詳しい。
動き出したデモ隊先頭の街宣車の前に座り込んだ人もいたという。

noiehoie氏の6/30大久保カウンターへの振り返り(togetter.com)
【新宿デモ】新大久保に立ち入れなかったヘイトデモ隊と、レイシズムにノーを突きつけるために集まった人々(6・30)(togetter.com)
2013/06/30 カウンター・アクション(Timeless Confused/TAKAYUKI MISHIMA)

予定時間をだいぶ過ぎてから、待ち構えていたカウンターの盛大な抗議と怒声と罵声と数多くのプラカードに出迎えられながらレイシストたちが職安通りに姿を現した。
「No Pasarán!」を全力で支持、支援しながらも、やはりどうしたって当日にデモを止めるのは難しいだろうと思っていた。これはレイスシト云々ではなく警備警察の面子にかけても強行させるだろうと思う。主張や正義とは関係なく、このミッションが警察、機動隊が人員を配備し、展開した「消化すべき仕事」である以上、そして当日規制し切れると判断した以上、やるものはやっちゃうのである。これをお役所仕事という。

しかし現場でレイシストとカウンターの間に立っている彼らは「どっちもどっち」の境界線である。彼らがいるおかげで結果的に実力行使には至らないし、彼らのおかげでレイシストとオレたちの間にも厳然たる一線が引かれている。いくら言動が「どっちもどっち」であろうとも、機動隊員や公安の方々を挟んだ「向こう」と「こっち」には別の世界が拡がっている。
オレはその境界線を踏み越える気はない。しかしデモを止めるためには「No Pasarán!」の行動と共に、個々のレイシストたちに対して「非暴力超圧力」(これは某グループ参加者の名言)を貫く必要がある。そのためには目の前にある境界線の「ギリギリ」を探りながらカウンターを続けなければならない(ギリギリの攻防を計りつつ…とにかく逮捕は負けです)。
いや、本当、警備の方々に対しては感謝する側面もあったりするのだ。レイシストの連中は守ってくれている警察とすぐに集団で喧嘩してしまうのだが、カウンターで警察と喧嘩する人はほとんどいない(いることはいる)。喧嘩せず仲良くするどころかナンパもしてしまうぐらいである。適当に仲良くしたいものです。

オレは職安通りを併走しながら怒声と罵声を浴びせ続ける。明治通り、靖国通りからはレイシストのデモ隊とは反対側の歩道からは準備したトラメガを使いながら応戦する。真横を併走するならともかく、超一級の幹線道路である明治、靖国通りの歩道からではとてもじゃないが生声では勝負にならない(最後の小滝橋通りが狭く感じた)。
カウンターはレイシストが集団下校する歩道橋しばきまで続いた。

来週、7月7日には再び新大久保でレイシストのデモが行なわれる。デモタイトル<東京韓国学校無償化撤廃デモ in 新大久保/日本人差別をなくせデモ実行委員会代表世話人 菊川かをり(日侵会)> などは伝わっているものの、コースはまだ発表されていない。
次回デモが強行された場合は、子どもがレイシストの標的になる。

この日のカウンター参加者は2500人(警察発表800人)だったそうだ。規制を求めたり、説得を試みることでレイシストたちが自主的に開催を撤回していくことが勿論一番平和な方法だ。しかし、それでもデモが強行された場合、カウンター参加者が今回の倍の5000人になればデモを中止させることもできるかもしれない。
やはり、どうしたって、数は大事です(前日に10人足らずのカウンターがあっさり警察に軟禁されて、本当に身に沁みたのだ…)。
「No Pasarán!→7.7 THEY SHALL NOT PASS.」はまだ続く。


(イースタンユースの吉野さんも現れたカウンター後の新大久保での飲み会、画像は在日中国人?台湾人?の英雄として、16日の件で台湾系のフリーペーパーの一面に掲載されたクボケンさん)

その夜、泥酔した若い衆から「レイシストの問題は大人の責任だコノヤロー」と泣きながら訴えられた。
やりましょう。

(追記 7月2日)
7月7日に予定されていた新大久保での「東京韓国学校無償化撤廃デモ in 新大久保」は中止になった模様です。
それぞれの「自分のやり方」で彼らと対峙したカウンターの皆さん、おめでとうございます!
続けていきましょう。

一線を越える/排外デモカウンター行動(6.16)

2013-06-17 19:45:06 | News


開始時間である14時30分前から歌舞伎町交番、大久保公園周辺はかなり沸騰していたようだ。
この日のデモ隊がどこか散漫で、疲労感さえ漂わせていたのは、おそらく事前のトラブルが頻発し、集合場所の公園内外でプレッシャーをかけられ続けた(かけ続けた)効果だったのだろうと思う。
しかし、今回はこれまで以上にさまざまなことが起こり過ぎた。

そんなことも知らずにオレは14時に新宿に到着し、歩いて大久保公園へ向かう。
この時点ですでに清さんとクボケンさんのトラブルは起こっていたようだが、確かに先月、先々月と比較しても歌舞伎町交番の周囲は機動隊の姿が多かった。公園に到着すると大久保病院の入口周辺(公園の出入口ゲートがある)では、ケータイカメラを構えた一般人(カウンター?)にデモ参加者が掴みかかり、揉み合いが始まった。間もなくノイホイさんたちもやって来て、機動隊の規制線を挟んで10数人で罵声と「帰れ」コールが起こる。
その時点で集会前のトラブルは知らなかったけれども、徐々に歩行者に向かって笑顔で手を振る余裕さえなくなっている春先から現在までの経緯、デモ前の桜井(高田)誠の挑発的な実力行使予告もあって、今回は只ならぬ雰囲気を感じていた。今回は手を出してくるのは間違いない――そもそもこの時点でデモ隊とカウンターの対立以上に、警備のテンションも上がっていたのは間違いないだろうと思う。



スタート時間が近づき、デモの出発ゲート付近に移動。移動途中、「檻」の中から挑発する輩が4人、5人とやって来る。その中にセレソンのユニフォームを着たおじさんがいた。彼は日系ブラジル人だという。
途中からオレたちは罵声や怒声ではなく、二言三言と普段のトーンで言葉を交わす。彼も直前までのように敵意を剥き出しにするようなことはせずに話す。参加するのを止めるように話し続けたが、彼は「在日特権が…」と言いながらオレたちに背を向けて、スタートを待つ隊列の中へ戻って行った。
オレもゲート前のカウンターに加わる。

間もなくカウンターから凄まじい「帰れ」コールが始まった。住民のクレームもありゴールの柏木公園でのカウンターが封印されて以来の怒声だったと思う(警備がしっかり排除しなかったせいか、反・反原発のプラカードを掲げて詰め寄る頓珍漢なオヤジもいたが…)。
盛大な「帰れ」コールが10分近く続く中、デモはなかなかスタートせず、カウンターは徐々に機動隊に公園から引き剥がされ、職安通り方向へ押し出されていく。オレはデモ隊が公園のゲートを通過した時点で職安通りに回り込む。

今回のデモは「桜田祭り」と題されていた。よりによって「桜田」の「祭り」である。そもそも真面目に行動しているとは思えない連中ではあるけれども、ヘイトで弄んでいるとしか思えないネーミングである。それまでも「カーニバル」等を使用していたけれども、もはやこのようなデモに許可を出す意味がわからない。まったくデモのネーミングに情熱を燃やす連中の神経がわからない(これは左右に関係なく、そう思う)。
職安通りの手前で先頭の街宣車の助手席にいた「桜田」に併走して怒声を浴びせかける。

職安通りに出ると明治通り方面に向かって警察車両(人員輸送車)が長々と駐車され、デモ隊が歩く車道とカウンターが併走する歩道を完全に遮断していた。オレは横断歩道を渡らずに反対側の歩道で併走しながらデモを追う。反対側から明治通りに回り込むと、職安通りでかなり通行規制がされたらしく明治通りではカウンターの数が激減した。それでも通過中もトラブルが頻発していたようで、デモは遅々として進まない。

「メインストリート」の大久保通りでは街宣車のふざけた、挑発的なコールが炸裂する。ちょっとこれは悪ふざけとしても理解不能であったが、連中のコールや怒声はこれまでのように在日や朝鮮半島を対象にしたものよりも、確実に「しばき隊(カウンター)」に向けられたものが増えているように感じた。
この日のデモは取ってつけたようなヘイトスピーチを除けば、ほとんど「しばき隊(カウンター)に直接向けられた怒声、罵声」か「しばき隊(カウンター)から自分たちを守らない警察批判」のみと言ってしまってもいい内容だったのではないか。
憎悪(ヘイト)の対象は在日、朝鮮人から、これまで以上にしばき隊(カウンター)、警察に向けられている。

デモの最後の直線である小滝橋通りでは小競り合いや、それに関する逮捕者が続出した。
オレは反対側の歩道を追走しながら柏木公園へ向かったのだけれども、小滝橋通りではこれまでにないぐらい直接併走していたカウンターが多かった。これはきっとカウンターの「学習効果」だろう。
もともと最初の集合場所では威勢がいいものの、後半に向かって猛烈な勢いでバテ続けるのが連中の特性なので、傍目からも疲れている様子は見て取れた(二日酔いかもしれない)。そこに強烈なカウンターが併走していれば「暴挙」に及んでしまうのも頷けるというものだ。
まったくカウンターは非暴力ながら性格が悪い。
小滝橋通りの後半からゴール付近では隊列も乱れに乱れていた。

逮捕者1名を出した前回の柏木公園封鎖が今回の事態を招いたと言えなくもないが、今回も名の売れた連中が逮捕されたが、何といっても「被害者のつもりで被害届を提出しに行ったら逮捕された」という桜井逮捕の影響は小さくない。
「遊び」はもうおしまいだろう。
しかし「遊び」はもうおしまいだからって、これからまた面倒なことは起こり続けるのだろうけれども、もはや「一線」は越えてしまったのだ。先週12日には山形県生涯学習センターが新大久保での一連のデモ、トラブルを理由に在特会への施設貸し出しを拒絶した。来週には渋谷でデモがある。そして今月30日には再び新大久保でのデモが予定されている。桜井が拘束されている新宿署前で「不当逮捕」と抗議を続ける彼らも決断を迫られている。

しかし、カウンター側もクボケンさんや清さんらが意味不明に拘束されてしまった。これらのトラブルは現場での目撃者や動画が残っているので大事にはならないだろう。
彼らの一日も早い解放を願っている。
#FreeKuboken #FreeMasterlow 
残りの人たちも。

フィクションを越える術/言論しばき VOL.2「ヘイトとは何か」

2013-06-10 21:51:37 | News


日曜日、銀座(その後の渋谷も)ではいろいろとあったようだが、ネイキッドロフトでレイシストをしばき隊presents 言論しばき VOL.2「ヘイトとは何か」
もはや「言論(理屈)」で在特会周辺に勝ち目がないのは当然なわけだが、野間さん、松沢さんが4時間半に渡ってヘイト豚とその一味を完全に「言論」でしばきまくる。また弁護士の山下さんは法律家の立場からヘイトに対峙していくための法律の解説とその具体例を挙げていく…のだが実は国連の人種差別撤廃条約を留保付きで締約している日本の差別に対する認識の薄さ、ヘイトスピーチの法規制に関して「表現の自由」を金科玉条とする法曹界を中心にしたの抵抗などが多少愚痴っぽく語られた。
目の前にあからさまな「ヘイト」が通り過ぎても凝り固まった世間の認識はなかなか動こうとはしない。

この日、提示された資料、データは野間さんがUPしているのでそちらを参照。これを読むだけでも現状を把握することができると思います。
前半「ヘイト解説」
後半「法規制関係」

(↑ヘイトスピーチの意味と新大久保の現状をダイレクトにわかりやすく表現した図解は、やっぱしこれ)

イベントの終盤、「天皇朝鮮人説」を質問した方がいたのだけれども、これを野間さんはレイシスト言説に対抗するためのレトリックとして認めつつも「(民族も人種も)フィクション」と言い切った。

そして、ある人たちにとっては差別やヘイトもフィクション(他人事)なのだろう。
そんなフィクションに対していかにシリアスに向き合い、乗り越えていくのか。法規制のハードルは高いのだろうが、その一方で小さくとも個人でやれることはある。レイシストをしばき隊(カウンター)やプラカード隊はそのひとつの「やり方」である。
時代遅れの理屈やフィクショナルな言葉が行動を縛るのではなく、スピーカーや参加者が語ったひとつひとつの具体的な言葉が「あと一歩」を踏み出させるきっかけになる、そんなイベントになったと思う。
今、現場でリアルに生きている言葉や現状に生かされるべき法律ってのはそういうものである。

4時間半に渡る言論しばきの最後を野間さんは「このへんに…しといたるわ!」と締めた(…言うと思った)。

イベント終了後、Fマリノスの清さん@masterlowに初めて挨拶。
それまで挨拶をしたことはなかったけれども、その言葉と行動力において実に誠実な人だと思っていた(見た目は違った)。
来月11日に同じネイキッドロフトでサッカーとレイシズムに関するトークイベントを開催する予定だという。予定されている参加者を聞く限りではサッカーファンにとってはかなり豪華になりそうだ。おそらくこの日同様ustでも中継されると思うのでこれは必見。できれば現場で。

サッカーにとってレイシズム、ヘイトはかなり身近な存在である。2ちゃんねるのサッカー板やヤフコメを巣食っているのは「ネタ化」されたレイシズムとヘイトスピーチの数々で、正直そんな言葉が、呑みの席などでリアルに漏れてきたときは暗澹たる思いになるものだ。
清水エスパルスにとっても一昨年5月のダービーで起こった「ゴトビ核兵器弾幕」は記憶に新しいだろうと思う。あれはライバル関係にあるチーム(清水)に対して少年2人(磐田)が行なった悪ふざけというだけではなく、ヘイトスピーチの一種であったことは、まず、間違いない。
経緯と顛末は発生当時以下のエントリーで書いた。

自己表現/第13節 磐田戦(2011年5月29日)
誹謗中傷について(2011年7月1日)

清水ゴール裏の連中は、おそらく後先を考えずに磐田ゴール裏に殺到した。これは、まずまったく感覚的に正しい(弾幕の表現がヘイトスピーチに該当するという認識はなかっただろうけれども)。
しかし「事件」の収束は腰砕けになってしまった。
少年たちの無邪気なヘイトスピーチに関して、リーグはまったく問題意識を持ち合わせていないことが露呈したのだ。まるで「現在の日本が人種差別思想の流布や人種差別の煽動が行われている状況にあるとは考えていない」(2013年1月、国連人種差別撤廃委員会に提出した人種差別撤廃条約の実施状況に関する「第7回・8回・9回政府報告」)と同じような、愕然とするような認識がそこにはあった。

違和感があるなら、まず動こう。その違和感に間違いがなければ理屈なんてものは、実は、後からいくらでもついてくる。



彼らは突然吠え始めた/排外デモカウンター行動(5.19)

2013-05-21 06:18:29 | News


日曜日は新大久保でのレイシストたちの排外デモ(「通名制度の悪用なくせ!デモin新大久保」)のカウンター行動。
動画を観ればわかるように、大久保公園をスタートし、職安通りに彼らが顔を出した瞬間から、カウンターに対してこれまでのようなニコニコ作戦から、好戦的な挑発行動に変わったのは明らかだった。先週の川崎での動画を観ていて、川崎駅へ集団下校している連中が「今度は逮捕かなー」などと話しているのを聞いて、実に嫌な予感がしていたのだ。
カウンターの怒声には漏れなく反応し、併走状態だった職安通り、明治通りは罵声の応酬、小競り合いが続く。ひたすら続く。果たしてこんな状況で最後まで持つのかと思っていたのだけれども、この日の顛末は最初の罵倒の応酬から決まっていたような気がする。
ただし警備の歩道規制は前回以上で、はっきりと併走が続いたのはここまでで、大久保通りから小滝橋通りではさすがにデモ隊の最後部以上は絶対に併走させなかった(新大久保、大久保駅前の状況は勿論、歩道の狭さを考えれば仕方がないのだが)。業を煮やした多くのカウンターは反対側の歩道に移動してデモを追い、車線を挟んで怒声とコールを浴びせかける。
オレは併走側の歩道でぎりぎりまで追いかけていた。最終的に30名程度のカウンターを止めるために歩道を規制するのはさすがにやり過ぎじゃないかと思ったのだが、デモ隊を追い、時折近づく最後部に怒声を浴びせつつ、機動隊の若い衆とトークしながら足を進めた。

小滝橋通りに入ると併走側のカウンターの数も相当減ったので(しばらくは横断歩道も規制された)、規制が緩くなったところを見計らって反対側の歩道に移動。そのまま迂回して柏木公園へ向かった。
どうやらその頃、小滝橋通りの反対側歩道では警備の厳しい規制が行なわれたようで、デモ隊のゴール地点である柏木公園周辺住民のクレームもあってことで追走を断念を判断し、カウンターの多くはここで解散したようだった。
つまりこの時点で、実際に柏木公園周辺に向かっていた(待機していた)カウンターはかなり少なかった可能性がある。その「少ないカウンター」にデモ隊は過剰反応を起こすことになる。

オレが公園に到着した時点では、まだデモはゴールしておらず、カウンターの姿もまばらだった。さすがに公園には近寄れなかったものの、先月と比較すると公園周辺に通じる道路の規制はかなり緩い。ダンマク隊の横断幕の一枚は公園入口方向に向けて、中から見えるように、そして大久保方面の小滝橋通りに通じる道路を封じるように掲示されていた(はっきりと確認はしていないのだけれども、あと2、3箇所ある大久保方面の道路にもカウンターがいたようだ)。
その場にいたカウンターは勿論トラメガを使うこともなく、表立って「帰れ」コールをすることもなく状況を見守る。
オレはひとまず横断幕の傍で待機した。



短い集会のあとデモ隊――レイシストが「集団下校」を始めると、オレは「NHK-!NHK-!」と叫ぶトラメガの声を聞きながら、機動隊とメディア関係者が固まっている下校(新宿駅)方面の道路へ走る。
しかし、ここでレイシストたちは帰りがけに突然猛烈な勢いで警察批判を始めた。
歩道橋のダンマク隊が見えたのかもしれないし、少数のカウンターの姿が見えたのかもしれない。散発的にカウンターをしていた人もいたし、公園近隣の駐車場で状況を見守っていた安田浩一さんの姿を見つけたこともきっかけになったのかもしれない(安田さん、そして野間さんは名指しで罵倒され続けた)。
表面上、違法行為がない限りは無言で罵声を受け止めるしかない公務員に対しては実に強気な連中なので警察批判はいつものことながら、しかし、このときの暴発はちょっと唐突過ぎた。
新宿書の警告にも聞く耳を持たず、トラメガでがなり続けるレイシスト。まったく収拾がつかない状況に陥り、残っていたデモ参加者の一部は一旦公園内に戻り、「しばき隊のせいで帰れない、警察はなぜ連中を排除しないのか」という主張を延々と続ける。(勿論デモ参加者はこの時点でも帰ることは可能だったし、実際に帰った「賢明」な参加者もいたようだ)。
さらにヒートアップした一部は公然と暴力を主張し始めた。

ここでオレも再び公園の入口周辺に移動。
トラメガを持った明らかなカウンターも20人から30人集まる。野次馬はその数倍、ただの見物人もいただろうし、その中にはカウンターも混じっていただろう。とにかくカウンターはとっても普通の人で一般人なのである。
ただし解散時間をとうに過ぎ、日も落ち、薄闇に包まれ始めた状況の中で檻の外と中から見える光景は恐らく違って見えていたのだろう。ここから先は警察、カウンター、一般人に関わらず、目に見えるものすべてに噛み付いていたような印象がある。そして、このときは松沢呉一さんともうひとりのカウンターさんが殴られた(突進、体当たり)とは知らなかったのだけれども、目の前でひとりの参加者(デモ隊の警備要員とか…)が警察に逮捕されていった。
ここからまたしばらくレイシストと少数のカウンターの怒声の応酬が始まる。
いや、もうここまでに至ってしまっては柏木公園の使用許可は下りないんじゃないかと思う。



いよいよ最後の集団下校を始めた30人ほどのレイシスト集団をカウンターはさらに追う。新都心歩道橋では、歩道橋下にトラメガのカウンターが追い、反対側の歩道橋上にはダンマク隊の横断幕が待ち構える。
この後ノイホイさんたちは、連中の行動に憤慨した外国人観光客、新宿で働く心ある皆さんの情報によってしょんべん横丁(思い出横丁)でのんびり呑んでいたメタル兄弟まで「しばき」をかけたというのだからカウンターは果てしない。
シリアスな話にしてしまえば、レイシズムを撒き散らすだけではなく、さらに逮捕者を出し、ここまで対警察を鮮明にしてしまった桜井と在特会に、もはやオウムを重ね合わさずにはいられない。

しかし、しょんべん横丁での「しばき」も含めて、この一連の流れが全部Youtubeで見られるというのが、何とも(笑)。

新しい関係/TwitNoNukes#16(05.18)

2013-05-21 04:04:14 | News


土曜日、昼は渋谷でTwitNoNukesの16回目の反原発デモ。
TwitNoNukesの言いだしっぺで主催のひとりである平野君が前日のTwitterで「主催や運動から離れる」とのツイートもあり、そんなことが頭に引っかかりながらも、(いつもながら)ぎりぎりの時間に宮下公園に到着。
この日はいつものNO NUKESの裏側に、駅の途中のセブンイレブンでネットプリントしたHdK(‏@h2d4k2)さんの<原発 国内54 運転中は関西電力2だけ/東京の電気は原発で作っていません>を貼りつけた。一方で問いかけ、一方で主張する、実にシンプルなメッセージだ。
スタート地点では少なく感じた参加者も、振り返って見れば公園通りを下ったあたりから渋谷駅を抜ける頃には倍程度には増加していたように感じる。途中でドラム女子隊も後方に下がってコールをリードしていた。

しかし改めて感じたのは警備の少なさだ。この2年間でどれほどデモを取り巻く状況が激変したか。2、3メートル、下手をしたら1メートルごとに並んで歩いていた警備はいまやほとんどいなくなってしまった。さすがに通行量が多い青山通りや表参道のような場所では目につくにせよ、以前はいた必要以上に「仕事熱心」な警官ももはやこのデモで見かけることはほとんどない。
これは主催者と警備の関係、参加者と警備の関係、そして主催者と参加者の関係を象徴していると思うのだ。
最初からわかっていたこととはいえ、オレたちは段々にしか前に進めない。だから遅々として進まない状況に倦むことなく行動を継続することの大切さや、継続するために必要なことを学んだり、その必要性から新しい関係を結び直してきたのだ。
TwitNoNukesはまったく「衝突」することなく渋谷の町に溶け込んでしまった。
いや、だからといって「熱さ」を忘れたわけではないのだけどね。
もはやデモは日常で、そこに集まって、一緒に歩くことだけが熱さの証明なのだから。




来月2日には久しぶりに「国会包囲」が行なわれる。ここでは熱さが問われます。
安倍さんも東京の邸宅に引き篭もってないで、一刻も早く官邸に引っ越してきてもらいたいものだ。

★0602 反原発☆国会大包囲
日時:2013年6月2日(日)16:00~19:00 国会議事堂周辺 ※雨天決行。悪天候の場合は中止。
<タイムスケジュール>
16:00~国会包囲
17:00~19:00 国会前大集会〈場所:国会議事堂正門前〉
最寄り駅:地下鉄有楽町線・半蔵門線・南北線「永田町駅」、
地下鉄丸の内線・千代田線「国会議事堂前駅」、
地下鉄有楽町線「桜田門駅」
主催:首都圏反原発連合
協力:さようなら原発1000万人アクション/原発をなくす全国連絡会/経産省前テントひろば
/再稼働阻止全国ネットワーク/脱原発世界会議
〈お問い合わせ〉首都圏反原発連合 メール:info@coalitionagainstnukes.jpTwitter:@MCANjp

平野君はなぜ「看板」を下ろすようなツイートをしたんだろう。勿論事情はあるのだろうけれども自分の看板なんて自分次第で、わざわざ他人に断る必要なんてないと思うんだがね。

もう「知らなかった」とは言わない/排外デモカウンター行動(5.12)

2013-05-14 23:40:49 | News


日曜日は川崎でヘイトデモ「反日極左と不逞外国人から川崎を護るデモ」に対するカウンター行動。
野間さんのツイートによると、少なく見積もってもデモ参加者50名に対してカウンター参加者も50人程度だったという。オレは木野さんがトラメガでスピーチしていた銀座街を抜けて、清さんたちダンマク隊が集合している辺りで待機。有田芳生さんもダンマク隊周辺で待機していた。
都心から比較的近い川崎といってもさすがに新大久保のように狭い歩道で人が溢れるということはなく、仮に規制されたとしても移動は容易にできた。
もちろん裏の路地では新大久保並みの接近戦になるわけだが、一度大通りに出てしまうと、駅前以外は歩く人もまばらで、カウンターも真横に貼り付かない限りは対面の歩道からは結構な距離がある(それでも警備が一旦規制を始めてしまうと歩行者はかなり滞留する)。この状況になるとすでにデモの効果も薄れているわけだが、カウンターの一参加者としてはさすがにマイトラメガの必要性を感じ始めている(マイルールには反するんだが…)。

この日は在特会の桜井(高田)誠が久しぶりに参加しているということもあり、集中砲火的に怒声が浴びせられたわけだが、それにしてもあの赤いチェックはかなり目立っていた。ここのところ自称体調不良らしいのだけれども、一説にはもはや往時のカラ元気もないという(相変わらず警備に対しては強気らしいが)。
解散場所の公園近くの歩道橋の上から、彼らが「集団下校」する間もカウンターは続いた。
というかデモが終わった後の川崎駅では、まだ神奈川県警の警備が続いており、何人かのカウンターにはマンマークで警備が張り付いてくる状況が続いていた。
この日の川崎でのデモと駅構内の状況を把握できていない川崎市民の方々のツイートがtogeterでまとめられていたけれども、そりゃわけわからんよなあ。多少数字は前後していたと思うけれどもデモ参加者50人、カウンター50人の争いに対して、警備は数倍…とまでは言わないまでもそれ以上は集まっていたと思う。

最後の駅前では、おそらく集団下校中のデモ隊から引き離す時間稼ぎ目的で私服警備に話しかけられた。
彼らにとってみればデモに対してもカウンターに対しても「どっちもどっち」で対応するしかないのだろうが、彼は個人的な意見として「煽っているのはデモ隊」とはっきりと言い切っていた。まあ、これもオレと話しているからそう言うだけで、本音はわからない。もちろん彼が在特会の主張を受け入れているとは思わないが、第三者から両者の行動を見れば「どっちもどっち」としか言いようがないだろう。
しかし誤解を恐れずに言ってしまえば、「どっちもどっち」と言われようともカウンターの「直接行動」というのはそういうものなのだから仕方がない。同じ場所を歩きながら、同じ目線で相手に対して怒声を浴びせているのだからトラブルも辞さず、としか言いようがない。仮に、そこに「どっちもどっち」の醜悪があったとしても、それを受け止めつつ、それでもオレはまた怒声を浴びせる。
もう「知らなかった」とは言いたくない。もう「賢く」、彼らを「放っておく」ことはできない。
日曜日にはまた、凝りもせず新大久保で再びヘイトデモが行われる。
いい加減に、彼らを止めさせる手立てはないのだろうか。

しかし帰りの電車の中では軽い熱中症が出てしまった。頭に血上らせ過ぎたかな。