徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

正義はきちんと行われているか/井上ひさし「イヌの仇討」

2012-11-27 12:37:23 | Books


<いきなり大風呂敷を広げるようで恐縮であるが、人間にとって最大の悪は病いと負傷と死に違いない。そこで人間はそういう悪の恐怖から逃れそれらの危険を避けるために、たがいに寄り付き合い結ばれ合って、社会という共同体をつくった。そうしてそれぞれの力をひとつの権威に預け任せることを発明した。つまり人間は社会的な動物になったわけである。
 では、その人間たちの最大の関心事はなんであったか。意見はさまざまに分れるだろうが、私の考えでは、
「正義はきちんと行われているか」
 これにもっともか関心が集まっていたのではないかとおもわれる。そして正義の根本は平等にあった。(中略)実際綱吉という人物は奇妙である。その治世を二つに分ければ、前半期(天和-貞享)の彼は名君だったといってよかろう(中略)重要なのはこの時期の彼が掲げた政治原理で、それは、
「賞罰厳命」
 である。「刑罰の公平な割当て」が政治を刷新し、人心を活気づけたわけだ。
 ところが後半期(元禄-宝永)の政治はひどかった。綱吉は一気に暗君、愚君、暴君に成り下がる。たとえば悪名高い生類憐みの令。近ごろ、これは簡単に悪法ときめつけるのではなく、「命あるものを、人類を含めて憐れむ心が大切である」とした綱吉の初志をすこしは評価したいという見解もあるようだが、しかし一禽一獣のために処罰された者十万、そのために家がこわれて流離散亡した者数十万というのでは困る。(中略)したがって赤穂浪士による上野介殺害は、大公儀(おかみ)がつくりだした不公平への抗議、実力による正義の回復だった。彼らの抗議は本所の吉良屋敷を通して、生類憐みの令や金銀貨の悪鋳とそれが引き起こしたインフレ(年率平均十五%の物価上昇)やその他もろもろ、幕政全体にまで及んだ。人びとの「正義は行われてほしい」という願いが討入りにそういう意味を持たせたのだ。
 忠臣蔵物語を、今も私たちが愛するのは、やはり不公平な世の中がつづいているからだろうか。>
井上ひさし『イヌの仇討』文春文庫「日本の仇討」より)

「ファーストネームのアーチスト」

2012-10-16 14:16:29 | Books


<最後に客席に質問が求められた。若い観客が次々と手を挙げる積極性も意外だったが、なにより驚いたのは誰一人「オノさん」と言わなかったことである。男女を問わず全員が「ヨーコさん」と親しげに呼びかけたのだ。(中略)そのとき私は思い出したのである。もう一人、みんなからファーストネームで呼ばれる芸術家がいたことを。ピナ・バウシュである。私の知る限りだれも彼女を「バウシュ」とは言わない。「ピナ」と言う。>

<展覧会のタイトルにもなった「YES」という作品は次のようなものである。天井に額装された紙があり、何か書かれている。その文字は小さ過ぎて床から見上げるだけでは読めない。観客は設置された脚立を登り、吊り下げられた虫眼鏡でやっと読むことができる。するとそこに「YES」という3文字がある。ジョン・レノンがこれに感動して小野洋子と親しくなるきっかけになったというのはよく知られた話だ。この作品の特徴は、観客が作者の指示に従って行動しなければ何も見えないという点にある。(中略)ささやかとはいえ自ら行動を起こし、身体的不安を克服してようやく発見したこの言葉は、観客にとって自分の一切を肯定する天の声のように思えるのだ。それは小野洋子という他人に肯定してもらったというより、内心でうすうす感じていたことが今ここではっきりと確認されたという感覚である。(中略)小野洋子の作品は一般に指示(インストラクション)という手法をとる。指示の内容は不可能なことを想像すること、あるいはささやかな行為を行うこと(中略)要するに観客は自分自身の想像や行為のプロセスの中で、自分が既に知っていた世界を再確認したという気になるのである。そして同時にこの仕掛けを作った小野洋子も同じ世界を見ていることを確信し、他人とは思えなくなるのである。>

<ピナ・バウシュのことを「ピナ」と言い、「ピナさん」と呼びかける理由もたぶんこれに似ているだろう。その作品を見ているとき、他人の思想や感情の表現を見ているという気がせず、むしろ自分自身の思想や感情を確認してしまうのである。たぶんそれは忘れていたもの、見ていながら見ぬふりをしようとしていたものなどを再発見し、再確認することである。>

<たぶん私たちは誰しも世界の変貌を経験している。それは受け入れがたい事件のせいかもしれないし、異常な環境のせいかもしれないし、回想や想像によって一瞬現実を飛び出しただけかもしれない。その後再び、私たちはこの世界で安定した自分を保って生きるために、それらの経験を忘れてしまう。ピナ・バウシュの舞台をそれを思い出させるのである。おそらくピナは何度も世界の終わりを、戦場の恐怖を、壁の中で大空を見る想像を、経験してきたのだろう。ピナの舞台を見るとき、観客は見馴れた社会の姿が消え、まるで戦場のような、あるいは廃墟のような世界が、あるいは薄っぺらな書き割りのような世界が現われるのを目にする。>

<私は、初めてピナ・バウシュの舞台を見た女性の友人の言葉を忘れることができない。彼女はこう言ったのだ。
「明日から私は、生きたいように生きるわ」>
(2004.7『ピナ・バウシュ・ヴッパタール舞踊団日本公演プログラム』/尼ヶ崎彬「ファーストネームのアーチスト―ピナ・バウシュとオノ・ヨーコ」より)

2003年6月 空のあなたの道へ/レイ・ブラッドベリ「火星年代記」

2012-06-11 00:19:37 | Books
<車が動き出した。「さようなら、ティースさん」
「でなきゃ<ドライ・ボーンズ>か」
「さようなら、旦那様!」
「勝手にしやがれ、ロケットが爆発したって知らねえぞ!」
車は誇りを巻きあげた。少年は立ちあがり、両手をメガホンのように口にあてて、ティースに最後のことばを叫んだ。「ティースさん、ティースさん、これから毎晩何をするんですか。毎晩何をするんですか、ティースさん」
静寂。車は道の彼方に消えた。見えなくなった。「ありゃどういうことだ」とティースは考えこんだ。「おれが毎晩何をするかって?」
(中略)それは見事な質問だった。ティースは胸がむかつき、心はからっぽだった。そう。本当におれたちは毎晩何をしたらいいんだろう、とティースは思った。やつらがいなくなった今、何をしたらいいのか。心は完全にからっぽで、手足は萎えたようだった。>
(レイ・ブラッドベリ/小笠原豊樹・訳『火星年代記』「2003年6月 空のあなたの道へ」より)

殴りあわなければ理解できない関係/岡本かの子「越年」

2012-02-27 22:46:13 | Books
録音しておいた岡本かの子の「越年」(NHKラジオ文学館)を聴く。

年末、主人公のOLが突然ひとりの男性社員から平手打ちを喰らう(そのまま彼は退職する)。怒りに燃えた同僚と共に男性社員を犯人捜しをしていたら、年を跨いで銀座で発見。同僚に煽られながら彼女は彼を引っ叩く。

という何てことのない短編なんですが、彼が彼女を殴った理由がまた大した理由じゃない。
しかし最後のワンフレーズで何だかわけのわからない焦燥感に襲われる。
結局そこには取り残された感情だけがあって、あとに何も残らなかった。いや、もしかして最初から何もなかったのかもしれない、という焦燥感。
それはもしかしたら結べたかもしれない人間関係の行き違いという、現代にも十分に通じる関係の問題。
殴り合わなければ理解できない関係というのは不幸なものである。

てか、何も言わずに殴るな。殴ったら逃げるな。

のちの時代のひとびとに/「ブレヒト詩集」

2012-02-21 15:37:50 | Books
のちの時代のひとびとに


そうなのだ、ぼくの生きている時代は暗い。
無邪気なことばは間が抜ける。皺をよせぬひたいは
感受性欠乏のしるし。笑える者は
おそろしい事態を
まだ聞いていない者だけだ。

なんという時代――この時代にあっては、
庭がどうの、など言ってるのは、ほとんど犯罪に類する。
なぜなら、それは無数の非行について沈黙している!
平穏に道を歩みゆく者は
苦境にある友人たちと
すでに無縁の存在ではなかろうか?

たしかに、どうやらまだぼくは喰えている。
でも、嘘じゃない、それはただの偶然だ。ぼくのしごとは
どれひとつ、ぼくに飽食をゆるすようなものじゃない。
なんとかなってるなら偶然だ。(運がなくなれば
おしまいだ。)
ひとはいう、飲んで喰え、喰えりゃあ結構だ、と。
だがどうして飲み喰いできるか、もしぼくの
喰うものは、飢えてるひとから掠めたもので
飲む水は、かわいたひとの手の届かぬものだとしたら?
そのくせぼくは喰い、ぼくは飲む。

賢明でありたい、と思わぬこともない。
むかしの本には書いてある、賢明な生きかたが。
たとえば、世俗の争いをはなれて短い生を
平穏に送ること
権力と縁を結ばぬこと
悪には善でむくいること
欲望はみたそうと思わず忘れること
が、賢明なのだとか。
どれひとつ、ぼくにはできぬ。
そうなのだ、ぼくの生きている時代は暗い。


ぼくが都市へ来たのは混乱の時代
飢餓の季節。
ぼくがひとびとに加わったのは暴動の時代、
ぼくは叛逆した、かれらとともに。
こうしてぼくの時がながれた
ぼくにあたえられた時、地上の時。

戦闘のあいまに食事し
ひとごろしにまじって眠った。
愛を育てもしたが、それに専念する余裕もなく、
自然を見ればいらだった。
こうしてぼくの時がながれた。
ぼくにあたえられた時、地上の時。

ぼくの時代、行くてはいずこも沼だった。
ことばのためにぼくは屋どもにつけ狙われた。
無力なぼくだった。しかし支配者どもには
ぼくがいるのが少しは目ざわりだったろう。
こうしてぼくの時がながれた。
ぼくにあたえられた時、地上の時。

ぼくらのちからは乏しかった。目的地はまだまだ遠かった。
でもはっきり見えていた、たとえぼく自身は
行き着けそうもないとしても。
こうしてぼくの時がながれた
ぼくに与えられた時、地上の時。


きみたち、ぼくらが沈没し去る潮流から
いつかうかびあがってくるきみたち、
思え
ぼくらの弱さを言うときに
この時代の暗さをも、
きみらの逃れえた暗さをも。
事実ぼくらは、靴よりもしばしば土地をはきかえて
絶望的に、階級間の戦いをくぐっていったのだ、
不正のみ行われ、反抗が影を没していたときに。

とはいえ、無論ぼくらは知っている。
憎悪は、下劣に対する憎悪すら
顔をゆがめることを、
憤怒は、不正に対する憤怒すら
声をきたなくすることを。ああ、ぼくたちは
友愛の地を準備しようとしたぼくたち自身は
友愛にのみ生きることは不可能だった。
だかきみたち、いつの日かついに
ひととひととがみな手をさしのべあうときに
思え、ぼくたちを
ひろいこころで。(1938)
(野村修・訳「ブレヒト詩集」飯塚書店1971) 

さからいさえしなければ/安部公房「友達」

2012-02-18 03:51:54 | Books


「さからいさえしなければ、私たちなんか、ただの世間にしかすぎなかったのに……」

原点なんていう偉そうな背景はないのだけれども、子供の頃からずっとトラウマのように安部公房の戯曲『友達』(1967)の有名なの台詞が頭から離れず、時々思い出す。
有名な作品だし、改めて書くことでもないのだけれども『友達』はそれ以前に書かれた『闖入者』という小説を下敷きにしている。下敷きにしてはいるが、作者曰く、
<テーマもプロットも、まったくちがっている。もし、脚色と原作が同一人物でなかったら、二人は生涯許し合えない敵になってしまうだろう。私が、私自身であったことを感謝する。>(安部公房『友達/榎本武揚』河出書房 あとがき)

タイトルの通り、一人のサラリーマンの部屋に見知らぬ家族が押しかけ住み着いてしまうという悪夢のような物語なのだが、一方が権利を主張する「闖入者」としてが描かれるのに対して、もう一方は(少なくとも一見)悪意のない「友人愛」「隣人愛」を押し付け、部屋に居座り、主人公を死に追いやってしまう。安部公房はさらにこう書いている。
<非常な多数決原理で襲いかかった「闖入者」たちが、こんどは、親愛なる同朋として、「友情」の押し売りをはじめたというわけだ。プロットには共通性があるが、テーマはすっかり変質してしまった。「闖入者」を「友達」という、いささかトボケた題名に変えることによって、私は偽似共同体のシンボル(明治百年、紀元節の復活、等々)に対する、われわれの内部の弱さと盲点を、その内部からあばいてみようと考えたわけである。>(安部公房『安部公房全集』新潮社 「友達―『闖入者』」)

89年だって思い出したし、2012年も思い出している。

ところで、同じようなプロットが藤子不二雄A(安孫子素雄)先生の『笑ゥせぇるすまん』のエピソードとして描かれているそうなのだけれども、オレ、アニメ版の「サザエさん」でも観たような記憶があるのだけれども、これは空脳だろうか…。
一時期そういう悪夢見てたもの。

オレたちは何に怒っているのか?/日隅一雄・木野龍逸「検証 福島原発事故・記者会見」

2012-01-28 18:12:15 | Books


日隅一雄さん@yamebunと木野龍逸さん@kinoryuichiの『検証 福島原発事故・記者会見――東電・政府は何を隠したのか』
原発事故は一方で「事故」として技術論で語られるべきだとは思うわけだが、本書は事故直後から昨年11月までの<記者会見>を通して「人災」のトーンで貫かれている。
技術で語られる原発事故はミスはミスとして指摘し、修正できる部分に関しては修正し、対策を施すことで対応できるならば対応すればいい。原発は所詮は機械でしかない。しかし、事故が起こった場合の影響が甚大で、コントロールさえできない技術は技術といえるのか? もはやそんな技術は信じられない。

技術論で反/脱原発派を牽制しようとする勢力がいるわけだが、正直個人的にはあえて同じ土俵に上がる必要はないと思っている。かつての反原発派の技術者たちはそれでも同じ土俵に上がり、事実と論証を積み上げることによって推進勢力に抗していた。それはとても勇気と体力がいることだし、彼らの行動は本当に尊敬に値する。しかし本当に事故が起こってしまった今、技術論は、もはやそれほど大きな意味は持たない(勿論現状を理解するための「解説」は絶対必要だけれども)。
それでも一部の思想家や経済人などは「人類の叡智」などという言葉を使って技術冒険主義を主張するわけだが、誰がそんなものに賛同できるというのか。

オレは何を怒っているのか。
自然災害ならば諦めもつく。それによって起きた事故「だけ」ならばそれなりに納得もする。しかし、それが拡大し続ける「人災」だから怒っているのだ、としか言いようがない。事故の原因が人間だから怖いし、怒りもするのだ。
本書にも収録されているSPEEDIの一件にしても、そして昨日報道によって判明(リーク?)した原子力災害対策本部や緊急災害対策本部など、東日本大震災関連会議の議事録「隠し」にしても、3.11の原発災害は単なる事故ではなく、「人災」であることを明らかにしている。

『検証 福島原発事故・記者会見』は今後も書き足され、書き継がれていくべき本だ。議事録「隠し」は本書に収録されていれば優に1章は必要な重大な「人災」である。事故は何も終わってはいないし、このまま放置しておけば「人災」は今後も起こり続けることは必至である。
日隅さんと木野さんには今後の活躍と健康を祈りたい。日隅さんには長生きして頂きたい。

そして明日は渋谷で、浜松で、福岡で、心ある人たちと歩き、声を挙げる。
自然災害や事故は止められないかもしれない。でも人災ってのは止められるんだよ。人災なんだから止めようぜ。

1.29反原発デモ@渋谷・原宿
@twitnonukes
日時:2012年1月29日(日) 
集合:13時30分 出発:14時00分 
集合場所:みやしたこうえん

原発いらない浜松デモ 1.29脱原発デモ@浜松
@twitnonukes_hmt
日時:2012年1月29日(日) 
集合:13時30分 出発:14時00分 
集合場所:アクト通り「東ふれあい公園」

WE ARE NO NUKES !!!『全原発停止 原発は必要ありませんでした from 九州
@twitnonukes9syu
日時:2012年1月29日(日) 
集合:13時30分 出発:14時00分
集合場所:福岡 天神 警固公園



田舎と日本人/鈴木智彦「ヤクザと原発 福島第一潜入記」

2012-01-08 19:53:45 | Books
鈴木智彦「ヤクザと原発 福島第一潜入記」読了。
まずはタイトルに偽りなし。「原発とヤクザ」ではなく、やはり「ヤクザと原発」である。

つまりこれは「ヤクザと迷惑施設」ではないか。
本文にもあるように原発だからヤクザが絡んでくるのではなく、ヤクザは「迷惑施設」だからこそシノギを求めて入り込んで来る(入り込もうとする)。迷惑施設とは原発、火力・水力発電所のみならず、ダム、ゴミ焼却場、場外馬券(車券)場から墓場まで、人が「迷惑」だと思えば、そこはいつでも「迷惑施設」となる。そして迷惑であればあるほどヤクザが入り込む余地は生まれる。
迷惑は巨大なビジネスになる。
そして本書には「田舎と原発」という側面もある。それも学者が論じるような調査ではなく、クールな現実主義者のコミュニティとしての田舎の生の声。ここに登場する人物は都会でかっこいい反原発デモをしている人間たちではなく、故郷(とコミュニティ)を愛しながらも迷惑施設をビジネスとして受け入れている。

確かに潜入記というサブタイトルはついているものの、実際の現場潜入についての記述のヴォリューム感はそれほどではなく、それよりも現場に潜入するまで、現場周辺の話題に紙面の多くを割いている。それはもちろん世界が注目するシリアスな作業現場であっても、個人の作業自体は単純な肉体労働だったこともあるだろう。そうなるとおのずと働く人々を描かざるを得なくなり、個人を特定するような内容は書き難くなり、このような構成になったのだろうと想像する。ただし抑制気味に感じる部分はあっても、それでも十分面白い。実録物で身体を張ってきた著者ならではの構成と展開で、文章は本当に読みやすい。
水素爆発直後のフクシマ50のエピソード(発言)も含めて原発事故レポートとしても生々しい。

現場の作業で外国人技術者と日本人の軋轢を描くエピソードがある。著者はそれを歓迎するように、好意的に書いているのだけれども、どうしたって最終的には「外圧」が必要な世界(ムラ)なんだろうなと、改めて思った(実際は、登場する「外国製」は何の役にも立たなかったわけだが)。

展開がスピーディで文章も比較的平易で読みやすい本なのでおすすめです。

手の中のもの/マイケル・S・リーフ他「最終弁論 歴史的裁判の勝訴を決めた説得術」

2011-09-25 23:41:42 | Books
<陪審の皆さん、私にはまだ半時間残されていますが、それを使わないことにいたします。私の主張をただ今もって終えます。最後に短い話、賢い老人と、彼をばかにしてお利口ぶりたい少年の話を聞いてください。少年の計画はこうでした。【ぼくは森で小鳥を捕まえる。それを手の中に入れて老人のところに行き、言ってみるんだ。「賢いおじいさん、ぼくが手に何を持っているか当ててみて」。「あー、キミは手に小鳥を持っているね、坊や」と老人は答えるだろう。そうしたらぼくは訊くんだ。「賢いおじいさん、鳥は生きているか、それとも死んでいるか?」老人が「死んでいる」と答えたらぼくは手を開くんだ。そして鳥が飛び去るのを見せてやろう。老人が「生きている」と答えたらぼくは手の中の鳥をじわじわ握り殺すことにしよう、そして手を開いて「ほら、死んでる」と言うんだ】そこで少年は賢い老人のところへ行き、訊きました。「賢いおじいさん、ぼくが手に何を持っているか当ててみて」。「えーと鳥だろう、坊や」と老人。少年は訊きました。「賢いおじいさん、鳥は生きているか、それとも死んでいるか?」老人は答えました。「鳥はきみの手の中にある、きみ次第さ、坊や」
 どうもありがとうございました。皆さんと人生の一部を共にしたことは私の喜び、神がくださった喜びでした。本当です。
 ありがとうございました、裁判長。>
マイケル・S・リーフ、H・ミッチェル・コールドウェル、ベン・バイセル/藤沢邦子・訳『最終弁論 歴史的裁判の勝訴を決めた説得術』朝日新聞社刊「プルトニウムの死」より)

なにがまちがっていたのか/グラス・アダムス「さようなら、いままで魚をありがとう」

2011-08-07 04:07:40 | Books
<この惑星にはひとつ問題がある、というか、あった。そこに住む人間のほとんどが、たいていいつでも不幸せだということだ。多くの解決法が提案されたが、そのほとんどはおおむね小さな緑の紙切れの移動に関係していた。これはおかしなことだ。というのも、だいたいにおいて、不幸せだったのはその小さな紙切れではなかったからである。
 というわけで問題はいつまでも残った。人々は心が狭く、ほとんどの人がみじめだった。デジタル時計を持っている人さえ例外ではなかった。
 そもそも木から降りたのが大きなまちがいだったのだ、と多くの人が言うようになった。木に登ったのさえいけない、海を離れるべきではなかったのだと言いだす者もいた。
 そんなこんなのある木曜日のこと。たまには人に親切にしようよ楽しいよ、と言ったばかりにひとりの男が木に釘付けされてから二千年近く経ったその日、リクマンズワースの小さな喫茶店に座っていたひとりの若い娘が、いままでずっとなにがまちがっていたのかふいに気がついた。>
ダグラス・アダムス/安原和見・訳「さようなら、いままで魚をありがとう」プロローグ 河出文庫2006

オナニズム的/坂口安吾「日本人に就て 中島健蔵氏への質問」

2011-05-14 03:49:11 | Books
<僕は時々日本人であることにウンザリします。むろんウンザリしてはいけないのですが、時々ウンザリするのです。近頃自意識過剰ということが言われていますが、我々日本人の場合これを自意識過剰というべきや行動過少というべきや甚だもって疑わしいと思われるのです。
 日本人は宗教心を持たない代りに手軽な諦らめとあんまり筋道のはっきりしない愛他心とに恵まれてきました。元来情熱は一途に利己的なものであるようですが、日本人はこれまで情熱を追求することを教えられず、途中で抑え、諦めることに馴らされてしまい自分の正しい慾念よりも他人の思惑の方に余計気にしたりするようであります。それの愚かしいことに重々気付き、又憎んでいても、長い習慣から脱けでることができません。(中略)
 日本人の精神生活を性生活にたとえると全くオナニズム的ではないでしょうか? 性的な意味だけではなく、日本人の小説を読んでいると打たれる美の多くのものがオナニズム的な傾向を多分にもっていることに僕はよく気付くのです。けれども日本人が年中オナニズムにふけっているわけでなく、あたりまえの性生活だってチャンとやっているように、日本人の小説も所詮オナニズム的であることはまぬかれないとしても、もっと積極的な行為の生活へはいってゆく必要はあるでしょう。>
坂口安吾『日本論』河出文庫1989「日本人に就て 中島健蔵氏への質問」1935.7)

Tomorrow Never Knows/共同通信社社会部「銀行が喰いつくされた日」

2011-05-14 03:04:32 | Books
<九三年の末、頭取の堀江鉄弥ら経営首脳は、再度、決断を迫られていた。
 内部調査委メンバーが言う。
「このころが最後のチャンスだった。株式の含み損などを総合的に判断すれば、長銀にはまだ処理のための体力が残されていた。堀江さんの責任は重いと言わざるを得ない」
 堀江ら経営陣の決断は重く、危機感に欠けていた。
「当面は受け皿会社に移し、時間をかけて徐々に処理していこう」が全社的方針になり、以後、長銀内では不良債権隠しは中間処理対策と呼ばれることになる。(中略)
 過剰融資の傷跡を隠すことによって塗りつぶそうとした長銀が作った受け皿会社は最終的に直系だけで十九社、グループ全体では九十九社に上り、十九社だけでも六千九百六十億円分もの不良債権隠しが行われた。営業畑にいた元部長は必死な表情でこう訴えた。
「隠したって言うけど、悪意なんかなかった。当座しのぎだったんだ。地価の回復に一縷の望みをかけてね。地価さえ持ち直せばすべては解決するってね。何年かたって、いつか同僚とあの時は苦しかったなって笑って話せる日がくると思ってたんだよ」
「その日」がくることはなかった。>
共同通信社社会部「銀行が喰いつくされた日」講談社+α文庫


イカの煙幕と総懺悔meets放射能/ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて 第二次大戦後の日本人」

2011-04-29 04:25:59 | Books
<日本は、原爆体験という基盤のうえに立って、世界の非武装・非核の唱導者となることで、過去の失敗を(あるいは犯罪を、あるいは悪行を、あるいは罪を)一部なりとも償うことができる、という考えがしだいに平和運動の中核をなす教義となった。しかし、「懺悔」の語法で表現されるこのような考え方は、占領が始まる前からすでにあったのである。八月二七日、『朝日新聞』は、内閣情報局総長が外国による占領にいかに対応すべきかの心構えについて国民に指示を出したことを報じる社説で、こう提言した。戦争は相対的なものであり、深刻なる反省をしなければならないのは常に、勝者ではなく敗者である。これは必要であり、望ましいことだ。「われら一億はみな等しく「懺悔」三昧の生活に」入らなければならない。もしかしたら、今後の世界人道のため核兵器使用禁止において指導的役割を果たすことで、日本人は「戦争の敗者」転じて「平和の勝者」になりうるかもしれない。>

<八月一五日に辞職した鈴木貫太郎首相は、同じ日の夕刻のラジオ放送で、「今回戦争における最大欠陥であった科学技術」について語った。退任する文部大臣も同日付けの声明で、戦争中の学徒の苦労をねぎらい、これからは日本の「科学力と精神力」を最高の水準に押しあげることが責務である、と激励した。三日後に就任した新文部大臣、前田多門のもとでの戦後教育は「基礎科学に力注ぐ」と新聞の見出しが報じた。そして八月二〇日の「科学立国へ」と見出しを掲げた『朝日新聞』は「われらは敵の科学に破れた。この事実は広島市に投下された一個の原子爆弾によって証明される」と断じ、「科学」とは、組織の各部、社会のあらゆるレベルにおける「理性」と「合理性」を含めた、きわめて広い意味で理解しなければならない、とわざわざ指摘した。(中略)
「敗戦の責任」にたいするこの実用主義的こだわりが、基本的に保守的で自己本位なものであることは疑いを容れない。しかし、これはつづれ織りの織り糸の一本であった。一本が緩めば織物全体が、この場合は日本帝国という織物が、ぐずぐずとほどけてしまう。国民を犠牲にした張本人はもはや鬼畜米英ではなく、本質的に後進的で、非理性的で、抑圧的な制度的構造のなかで動いてきた無責任な指導者たちになった。>

<八月二八日、アメリカ軍先発隊の第一陣が厚木航空基地に到着した日、公的論議の中心は「懺悔」であった。日本人記者たちに「敗戦の原因」を問われた東久邇首相は、注意深く説明した――それには、多くの規制や統制、軍部や政府当局の誤り、それに、たとえば闇市などに見られるような国民道徳の低下など、多くの原因があった。そして、前日の情報局の声明に使われたことばを借用して、こう断言した。「軍官民、国民全体が徹底的に反省し懺悔しなければならぬと思う。一億総懺悔をすることがわが国再建の第一歩であり、国内団結の第一歩と信ずる」。
 それまでの二週間、軍部と文民官僚が一丸となって好ましくない証拠文書の廃棄作業に忙しかったのだから、まさにその瞬間において、この「責任」の均一化、集団化の議論はある種ねじれた真実であった。誰も責任をとりたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。この数年後、政治学者の丸山真男が、政府の「総懺悔」キャンペーンを、緊急場面に遭遇したイカが危険から逃れようと噴きだす墨の煙幕に喩えた。個人の責任を真剣にとらえ、厳しく自己批判していた個人や団体も多少はいたが、公式版の総懺悔は、基本的に、まるでイカの墨のようにどこへともなく霧散してしまった。>
(以上 ジョン・ダワー/三浦陽一・高杉忠明・田代泰子・訳「敗北を抱きしめて 第二次大戦後の日本人(下)」岩波書店

夜明ケと完全自殺マニュアル

2011-03-29 15:39:43 | Books
<ボクはいつだって「デカイ一発」を待っていた。20年前学生が暴れてた時「お、デカイやつがくるぞ!」と思った。アポロが月に行ったり、石油がなくなりそーだったり、ソ連がどっかに侵攻したり、昭和が終わりそーだったり、そのたびに「今度のはデカいぞ」と思った、だけどどれも震度3、ブロック塀が倒れるテード。顔を見あわせ、「すごかったね」で笑って終わりだ。>(しりあがり寿「夜明ケ」1990より)

<80年代が終わりそーなころ、“世界の終わりブーム”っていうのがあった。「危険な話」が広まって、いちばん人気のあったバンドがチェルノブイリの歌を歌って、子どものウワサはどれも死の匂いがして、前世少女たちがハルマゲドンにそなえて仲間を探しはじめた。僕たちは「デカイのがくるぞ!」「明日世界が終わるかもしれない!」ってワクワクした。
 だけど世界は終わらなかった。原発はいつまでたっても爆発しないし、全面核戦争の夢もどこかへ行ってしまった。アンポトウソウで学生が味わったみたいに、傍観してるだけの80年代の革命家は勝手に挫折感を味わった。
 これでやっとわかった。もう“デカイ一発”はこない。>(鶴見済「完全自殺マニュアル」1993より)

穴は深い/白汚 零「地下水道 undercurrent」

2010-12-19 14:49:42 | Books
NTT関係の保守・点検のバイトをしていた頃、数ヶ月間地下に潜っていた。
地下に潜るというのは文字通り、都内に張り巡らされた地下トンネルに潜るのである。
見慣れている人にはなんてことのない「職場」なんだろうけれども、想像以上のスケールの大きさに軽くショックを受けるような光景が見られる。保守・点検のバイトなんてつまらないように思うかもしれないけれども、正直これは楽しかった。


「地下水道 undercurrent」白汚 零(草思社)

穴というのはいろんな意味で深いのである。