徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

ゴーズオン/糸居五郎「僕のDJグラフィティ」

2010-12-01 22:34:12 | Books
<小林 「日本語ってむこうでつくられた音楽にのれないですよ。最近の若い人たちの発音が変わってきて、だいたい音楽にのれるようになってきたけど、昔の日本語、あるいはもともと日本語の性質というのはミュージカル・アクセントの言葉ですから音の高低で進行する。歌みたいな言葉で、ストレス・アクセントじゃない。
 つまり、強弱で進行しないから、ロックやジャズのリズムにとてものりにくい言葉なんですよね。それをのせるという話法を糸居さんがつくったということ。
 あと、それに関連するんですが、言葉の文体を変えちゃったということ。
 ぼくの解釈ですけども、糸居さんが、『おはよう』といった時、もう『ございます』はカットしちゃう。一小節があったら一小節に『おはよう』をぶち込む。そのときの間で進行する。こんにちわ、おはよう、ドン、きょうはいい気分、ドン、みたいなそれでいっちゃう。
 そういうふうなスタイルを糸居さんは日本でつくったということですね。ぼくとして、すごく尊敬してます。」
糸居 「人間はリズム人間とメロディー人間とありましてね。玉置さんのはやっぱりメロディー人間のやり方で、じつにうまく言葉をつないでいく。ぼくたちのはリズムで、わりあい切っちゃうことが多い。そういった意味では野球の実況放送なんかによく似ているところがありますね。というのは、話す文体をすぐおしまいにできるようにつねに考えながらやってるから。」(中略)
小林 「たとえば糸居さんが接続でいく時に『さて』とかそういうのより『続いての曲、そう、何とか』というふうに糸居さんが発明した間の言葉があって、みんなそれをいやらしいくらいにコピーしているわけですよ。そういうような意味じゃ初めてですよね、糸居さんのスタイルってのは。」>
(糸居五郎×小林克也 DJは音楽の料理人/糸居五郎『僕のDJグラフィティ』第三文明社刊)

<昭和20年の夏、ボクがあの敗戦を中国の大連でむかえた時、まわりの日本人は、みんな慟哭していたよ。だけど、僕は不思議に泣けなかった。これから、ユダヤ人のような長い放浪の旅が始まるんだな。思ったのはそれだけだった。>
(糸居五郎 81年6月30日午前6時)

AT WORKS/「Annie Leibovits AT WORKS」

2010-12-01 17:35:31 | Books


勢いで買った(てほど値段は全然高くないけど)「Annie Leibovits AT WORKS」。
ローリングストーン時代の写真はホント良く目にしてた(本誌じゃなくてphoto japonとかで)。移籍後の作品は写真家があるステージを上がって純粋な自己表現に向かうときに陥りがちなオーバープロデュースって気もしないでもない。まあ、それも時代だし、表現者の性ですね。
すごく良い時代に巡り合った写真家だと思う。

アストロ球団と遠崎史郎/「アストロ球団メモリアル」

2010-09-27 04:00:22 | Books
本の整理をしていて『アストロ球団メモリアル』(太田出版)を再読。流し読み。
最初に読んだときもきっと思ったはずなのだけれども、これ、何で原作者の遠崎史郎先生の話題を、不自然なほどスルーしているんだろう(関係者インタビューを読む限り、意図的に遠崎先生の話題をスルーしているとしか読めない)。
ちょっと検索してみたところ、
<原作通りに描かれているのは1巻程度>
と書いている、アストロファンのブログがあった。確かにそれならば遠崎先生が「遠慮」した可能性もある。中島徳博先生と編集者の後藤広喜さんの「共同」作品なのだろう。
しかし、そのブログのコメント欄に
<それで印税が折半なんてひどいよねー>
みたいな書かれ方をされている。
遠崎先生がそんなことを言われる筋合いがあるのだろうか。
中島先生が言っているならともかく。言わないだろうが。
ちなみに中島先生の『朝太郎伝』は、オレが熱狂的に愛したほぼ最後の少年漫画です。作品の中で描かれた朝太郎の「箇条書き」とか、ノートに書き写したりしてたもんな(バカ)。

オレは本書にもインタビューイとして登場する西村繁男さんの『さらば!わが青春の少年ジャンプ』(幻冬社文庫)を読んで、遠崎先生のエピソードに心を揺さぶられた人間なのだが、そういった経緯も絡んでいるのだろうか。時代が時代だったということもあるけれども、フリーランスや契約社員になったことのある人間ならば義憤にかられるよ、あれは。西村さんはさらっと書いているけれども。

詳しい人がこのエントリを奇跡的に読んでいたら教えて下さい。
もしくは奇跡的に編集者の林和弘さんに遭遇したら訊いてみるか…。

党派性を難ず/坂口安吾「咢堂小論/党派性を難ず」

2010-08-23 05:09:50 | Books
<何故にかかる愚が幾度も繰り返さるるかと云えば、先ず「人間は生活すべし」という根本の生活意識、態度が確立せられておらぬからだ。政党などに走る前に、先ず生活し、自我というものを見つめ、自分が何を欲し、何を愛し、何を悲しむか、よく見究めることが必要だ。政治は生活の道具にすぎないので、古い道具はいつでも取変え、より良い道具を選ぶことが必要なだけである。政治の主体はただ自らの生活あるのみ。自らの生活は宇宙の主体であって、自我が確立せられてのみ国家も亦確立せられるだろう。(改行)日本に必要なのは制度や政治の確立よりも先ず自我の確立だ。本当に愛したり欲したり悲しんだり憎んだり、自分自身の偽らぬ本心を見つめ、魂の慟哭によく耳を傾けることが必要なだけだ。自我の確立のないところに、真実の道義や義務や責任の自覚は生まれない。近頃の流行によれば学徒や復員軍人が「魂のよりどころを見失って」政党運動に走っているというのであるが、之は筋違いで、政治は人間生活の表皮的な面を改造し得るけれども、真実の生活は人間そのものに拠る以外に法はない。>
(坂口安吾「咢堂小論/党派性を難ず」1945年)

ポスター

2010-07-29 17:17:08 | Books


これは何週間か前の新聞広告なんだけど、いよいよ発売された模様。新聞広告をいまだに大事に持ってるってのが我ながらアナログだ。
いや、しかし、猛烈に読みたい、見たい、欲しい…のである。
できれば大阪のポスター展も行きたい。

最近欲しい本が高額なのばっかし。
まあその価値はあると思うけど。

とりろう…/ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて 第二次大戦後の日本人」

2010-07-21 02:25:23 | Books
<ラジオ番組で人気だった喜劇役者・三木とりろうは、汽車が駅に停まるたびにミカンの値が上がるというドタバタ・ソングを歌って、この追っても追っても追いつかない超インフレを表現した。(中略)公定価格で手に入るミカンがまったくないとき、庶民はそれこそ三木とりろうばりの哀れな歌でも歌うしかなかった。>(ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて 第二次大戦後の日本人』上巻 p136 岩波書店)

何かニュアンスが違うような気がするんですが…読んでいて気になっちゃって仕方ない。

継続は力なり/「MY R&R 仲井戸麗市全詞集1971‐2010」

2010-07-08 00:16:15 | Books

MY R&R 仲井戸麗市全詞集1971‐2010』購入。
まあ確かに「詩集は売れない」ってのは本当だろうし、チャボの歌詞はWebでも公開されていたし、“あとがき”にもあるようにかつてセブンスマザーが発行した詩集もあった。今回の詞集も広く多くの読者に向けて作られた本というわけではないだろう。チャボが行脚する全国各地のライブハウスや10月にSHIBUYA-AXに行く(いつもの)顔が見えるリスナーやファンに向けて作られた本なのだろう。
ハードカバーで、これだけのヴォリューム感は、やはりWebや電子書籍では味わえないものがある。まあ、要するに詞(詩)ってのは“情報”じゃないのだろう。

チャボ畢生の名曲であるということのみならず、日本のロックのひとつの到達点である「MY R&R」が、この誇らしい詞集の書名になるというのは至極当然で、コアファンはソロ初期のアルバムを愛する人が多いのだけれども、“1900年代の終わりに”『MY R&R』というアルバムをリリースできたのはチャボにとってとても大きなマイルストーンだったのではないかと思う。かつてインタビューしたときに、ベスト盤でお茶を濁すようなベテランが少なくない中で(当時、ベスト盤でチャート1位になったりした人がいたのだ)、ここまでのクオリティのオリジナルを作れるのはさすがチャボさんっスね…って言ったら軽くいなされた。だけど今でも本当にそう思っている。あのときは50歳だったか。今年の10月には60歳になろうとするチャボに、昔とまったく変わらぬ現役感を感じ続けるのは彼が“作り続ける人”だからに他ならない。
『磔磔2008』にも収録されている“継続は力なり”…ってのはオヤジだから口にしちゃうんだけれども、これは続けなきゃ言えないことでもある。夭折する機会を失ってしまった、かつて若かった有名無名の天才たちは続けることでしか自らを証明することはできない。
書き続けよう、歌い続けよう。
チャボも、チャボを愛し続けるファンたちも。
ひとりひとりの「MY R&R」のために。
…ってか。


あのキャラクター/佐藤タイジ「やめんかったらロックスター」

2010-06-16 21:16:56 | Books

「やめんかったらロックスター インディペンデントな仕事と生き方の発見ノート―YOU GOTTA BE Series」佐藤 タイジ/¥2,100 同友館

twitterにも書いたけれども正直編集については疑問に残るところが多いので、そういう意味では評価の難しい本なのだけれども、内容についてはタイジ節がそのまんま炸裂している。オレが愛するナチュラル・ボーン・ロッカー佐藤タイジがそのまま本文から溢れ出ている。
徳島のバンド少年時代からデビューに至るまでを基調として、現在の想いも織り交ぜながらタイジの生き方が縦横無尽に語られる。中には、例えば町田康とのエピソードに関しては実に際どい内容だと思うのだが、それをそのまま出せるのもタイジのキャラクターがあってこそなのだ。
あのライブでのタイジの語り口がそのまま生かされていて、面白くないわけがない。明らかに説明不足な部分がある一方で、“あふれ出る”ようなタイジの過剰な愛とパッションが本文から見えてくる。小滝橋通り時代のロフトのビルでセックスした話とかね。
タイジのトークはそれでいい。それがタイジだから。そしてそれはファンには必ず伝わるだろう。

しかし、それと本作りは違う。逆に言えば、それが編集の不在だと思うのだ。
ディテールでファンを納得させ、構成や注釈で佐藤タイジやtheatre brookをあまり知らない層にもアピールできる内容(構成)になぜできなかったのか、ということである。同社のシリーズ物の中のひとつとして刊行されたという意味で制約があったのかもしれないけれども、その点は非常に残念。

活動が再開した今年は、タイジとtheatre brookを盛り上げていかなきゃいけないのだ。
タイジとtheatre brookに武道館でライブさせるためにも。

あ、あと帯のイラストのモデルって望月さんが撮ったタイジかな? 何かそれっぽいんだが。

“僕”らの大好きな、ピカレスク物語の基準/フレデリック・モンテサー「悪者の文学」

2010-04-14 19:30:33 | Books
①主人公は貧しい状態にある若い人物で、財産や職業を持たない人間であること。
②主人公の活動は最小限の犯罪行為に限定し、無意味な暴力や殺人を犯さないこと。
③主人公が社会批判を意識していること。
④ヒロインは肉体的快楽を覚えても決して淫乱な性質ではないこと。
⑤生き残るという基本的問題を論議するくだりがあること。
⑥主人公が法や秩序の側に立たないこと。
(フレデリック・モンテサー『悪者の文学』畠中康男・訳/南雲堂)

林檎の件/ブライアン・サウソール他「ノーザン・ソングス 誰がビートルズの林檎をかじったのか」

2010-04-08 17:18:09 | Books


注文していた「ノーザン・ソングス 誰がビートルズの林檎をかじったのか」(ブライアン・サウソール、ルパート・ペリー/著 上西園誠・訳)購入。60年代当時、日本のみならず欧米のミュージシャンたちも“認識が希薄だったという”著作権の世界。プロの時代からアマチュアの時代へ…といったら言い過ぎか、天才の時代なんだから彼らが若くて騙されやすくて、認識が希薄だったのは当たり前なんだけど(当然いつまでも若くはないので彼らの多くはマネージメントとトラブルになる)。革命時代というのは変化に惑わされずに生き馬の目を抜くような、上手く立ち回れる連中が儲ける。目先のJASRAC批判で音楽出版(著作権)の世界の“冷酷さ”を嘆き憤るよりも、本書でジョン&ポールという20世紀最大級のソングライターチームが振り回された奇奇怪怪を理解するのは無駄じゃないと思うです。マイケルも最重要人物として登場するしね。
この辺は複雑怪奇の世界なのでサザナミの資料としてきちっと読んでおきたかったなあ…今更ながら。本書を読んでからサザナミもご覧下さいw

ギターマガジンを読んで猛烈に聴きたくなったので、新星堂に寄ってジミヘンの「Valleys of Neptune」も勢いで購入。ここんところあんまし余裕ないんだけどなあ。1969年に絞った「Electric Ladyland」以後、Woodstock前後のジミヘンの世界。「First Rays of the New Rising Sun」と併せて聴くのか吉かのう。
ライナーを書いている大鷹さんの<ついにジミ・ヘンドリックスの新しい章の開始だ。>という冒頭の一文はちょっと大仰だなあ、と思うが。
ほら、これから「ノーザン・ソングス」も読むし。


(5月12日追記)
『ノーザン・ソングス』、大筋ではスリリングな展開を見せる面白い本なのだけれども、実に読みにくい本だった。まず著作権を巡る有象無象のビジネスマンが登場するストーリーなのだから、著作権周辺用語の解説はともかく、もう少し個人や時代背景の理解を促す注釈の充実が欲しかったところ。構成に関しては翻訳本だから仕方がない部分もあるんだろうけどもう少し小技で編集の仕方があったんじゃないかなあ…。ビートルズのもう一つの側面を知ることができる労作なのは確かなんだが、ビートルズだから!と準備がない一般読者が読み始めるのにはちとハードルが高いかも。あと通貨の表記とかね。

溶ける/北野謙「溶游する都市」

2010-03-10 14:31:17 | Books

火曜日。水道橋のUPフィールドギャラリーで 『北野謙 溶游する都市/Flow and Fusion』。<溶游する都市>は北野さんの<OUR FACE>を経て現在取り組んでいる<ONE DAY>に連なるシリーズの原点と言える作品だ。

<僕は颯爽とストリートスナップするタイプではない。最初から三脚を使ったスローシャッターであった。それは奇をてらったわけではなく、僕の中から自然に生まれた写真感覚であった。>(作品集『溶游する都市』「存在する者として」より)

スローシャッターで溶游されていくのは都市、自然、人間、そして日常。
今回の作品集はブックデザインも相当力の入ったもので、これは個展で手に取って見て頂きたい。12日には北野さんとデザイナーの町口覚さん、編集者の本尾久子さんによるトークイベントもある(18時30分~@NADiff Apart
ちなみにパリでの最初の購入者はちょっと驚くようなロック・レジェンドだったそうだ。

てなアーティスティック方面の話はひとまず置いておいて。

ギャラリーで合流した北野さん、徳間のKさんと呑みに行く。
まずは秋葉原の赤津加。みぞれ交じりの雨を抜けて店に駆け込んだのでいつもの絶品煮込みがさらに超絶品。
さらに雪の中、錦糸町の三四郎へ移動して串焼き。
ふたりとも放っておいても語るタイプだからこの日も語る語る。
久々にコの字を満喫したです。

オレもそろそろ開拓しなきゃなあ…。

年月のあしおと/広津和郎「宇野浩二病む」

2010-02-03 02:23:12 | Books
「俺は母親(おふくろ)が可哀そうでね」と彼は沈み込んだ声で云った。
「そうだよ、お母さんも奥さんもみんな可哀そうだよ」
 突然彼は四つ角で立ち止り、
「広津、僕の母親を呼んで来て呉れ」
「うん、呼んでくるからここで待っているね」
「うん、待っている」
 私は宇野の家まで走って行って、彼の母をつれて来た。
 彼は「あ、お母さん」と云って母を庇うようにその背中に腕をまわし、彼女の頭をやさしく撫で始めた。(中略)
「よく見えるがな。浩二、わたし眼悪くないがな」と母はおろおろと泣き出しそうな声で云った。
「広津、女房を呼んで来てくれ」
 私は又走って彼の細君を呼んできた。
「広津、兄貴も呼んで来てくれ。可哀そうな兄貴なんだ」
 私は彼の兄をも呼んで来た。彼の兄は子供の時分脳膜炎をやった事があるので、廃人同様で、彼の家に厄介になっていたが、顔は年を取っているのに、いつも子供のように無邪気な笑顔をしていた。こういう場合にもやはりその笑顔は消えなかった。
 宇野は往来の真中で、母と細君と兄とを抱きかかえるようにしたかと思うと、突然こんな声を彼が持っていたかと思われるような大きな声を張り上げて、
「これだけが宇野浩二の家族だぞォ!」と叫び、続いて、「おう!おう!おう!」と何度も語尾を引っぱって唸るように叫びつづけた。
 彼に抱かれた三人の家族は、言葉も出ずに悲しそうな顔附で、吼えつづける彼に取りすがっていた。
 私は一間ほど離れたところに立ち、その光景を呆然と傍観していた。
 彼の声に煙草屋からも酒屋からも、その反対側の店屋からも人が出て来た。私の側に来て二、三人が訊いた。
「どうなすったんですか」
「ウイスキーに酔っ払って管を巻いているんですよ」
 私は咄嗟にそう答えたが、不覚にも涙が溢れて来そうになったので、その場を去り、一人で宇野の家の六畳に帰って来て、そこに坐り込んだ。(中略)
兎に角あの光景は見ていられない--併し自分は見ていられなくなって此処まで逃げて来たが、母や細君や兄は見ていられないと思って帰って来てしまう事も出来ないのだろうと思うと、家族というものの悲しさが改めて考えられて来る。「これだけが宇野浩二の家族だぞォ!」……あの光景は人間生活の淋しい縮図のような気がしてくる……
(広津和郎『年月のあしおと』講談社刊 「宇野浩二病む」より)

上野桜木町の往来で発狂する宇野浩二。
何か、暗くて熱いんである、この時代。

ツイッター再び

2009-12-07 04:54:47 | Books
「<他人のむき身の「思考の断片」>が新鮮だった」
「これまでのネットと違ってツイッターは社会と結節したと感じます」
「大学時代にインターネットに触れ、“世の中が変わる”と多くの可能性に期待したけど、社会の根本はあんまり変わらなかった。でもツイッターはいけるかもと……。僕自身の体験からも人を行動へとかりたてる力にはすごい手応えを感じる」
(朝日新聞12月6日付 著者インタビュー『Twitter社会論 新たなリアルタイム・ウェブの潮流』津田大介インタビュー)

そんな簡単に、世の中が<根本的>に変わるわけがないと思うんだが。

まあ、まだ本は読んでないんですが。
ツイッターが面白い面白くないは別として、何でインターネットでは駄目なんだろう。何でブログでは駄目なんだろうと思うわけです。結局インターネット教ツイッター派でしかないと思うんだが、何でこういうツイッター礼賛の言葉って伝わってこないんだろうと思う。<世の中が変わる>という試みには興味があるけれども、何か別の意図があるとしか思えないなあ…。

たぶんよくわからないのは津田さんがいう<世の中が変わる>というのは何を指して変わる(変わった)のかということなんですが…同書の例に挙げられているという<ハドソン川の旅客機不時着事故、イランの政治運動、オバマの選挙戦略>は<根本的>というにはあまりにもスペシャルな出来事でないの?
まあ、どう考えてもネットだけでも十分、確実に世の中を変えてますけどね。
ネットだけじゃ(I Can't Get No) Satisfactionてことですか。
それってもしかしてセカイ系とかゼロ年代につながってたりして。
ああ、どんどん話が拡がりそうだ…。

とか何とか言いながら、たぶん今日もツイッターやりますけど。
今日は博多出張です。もうすぐ出発(ツイッター風)。

センスとスピードと皮膚感覚/内田裕也「俺は最低な奴さ」

2009-11-27 21:33:43 | Books

カメラマンの大甲君に電話したら、この本の話になった。
勿論、すぐに近所の書店へ買いに行った。

ヘアヌードもすごいけれども、研ぎ澄まされた<センス>と<スピード>と<皮膚感覚>がほとばしるユーヤさんの言葉の凄み。やはりこれは間違いなく近田さんでなければできなかったであろうロングインタビュー集。昨年リリースされたジュリアン・コープの「ジャップ・ロック・サンプラー」と対を成す、ジャップ・ロックの歴史そのものの当事者の生々しい証言。ちょっと高いけど一級資料であります。相変わらずこのジャンルでは白夜書房が飛ばしてますね。
そんなユーヤさんのお言葉は本書を読んでいただくとして、インタビュアーの近田さんがプロローグでこんなことを書いている。

<ところで、我々の住むこの世界とはどんなところなのであろうか。ひとつ言えるのは、それこそローリング・ストーンズの歌ではないが、あふれかえるユースレスなインフォメーションにウンザリしながらも、結局はその源であるメディアの一方的な支配に甘んずること以外、ここで現実を暮らすのは至難の業だということだろう。(中略)
実は世界の“秩序”やら“正義”やらは世界の都合で出来ていて、いかにも変幻自在なものなのだが、なんとも仕組みが巧妙で、ついつい絶対的なものに見えてしまう。
「そんなことはねぇだろう!」
内田裕也は様々な表現を通じて、そのことをずーっと訴え続けてきたのだと思う。そして内田裕也の何が素晴らしいかと言って、そうした作業のすべてを<<ロックンロール>>と呼んだ、その直観に尽きる。>
内田裕也「俺は最低な奴さ」白夜書房 プロローグより)

やっぱり近田さんのスタンスもずーっと変わってないのだ。それも嬉しかった。



もう一冊。
西岡研介「襲撃 中田カウスの1000日戦争」(朝日新聞社)。発行直前に取材拒否を続けた当事者のひとり、林マサさんが死去してしまうという出来事が起こった。吉本帝国の裏面史と中田カウスという芸人の魔力をまっとうに語っているわけが、カヴァーにカウス氏のポートレートを使ったのはちと勘違いされる可能性が高いですね。