徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

遊びはいつまで続くのか/排外デモカウンター行動(7.14-8.6)

2013-08-09 05:23:53 | News
6月30日、2500人のカウンターが集結した、新大久保での在特会系の排外デモ<在日外国人犯罪者追放デモ in 新大久保>から、7月11日のデモ中止(延期)、更には今月11日に予定されていたデモも中止(変更)されるなど、現在新大久保周辺から排外デモは排除され続けている。

<「表現の自由もあり、不許可にはできない」「主催者側は無理に中心部を通ろうという姿勢ではない。今後は(中心部を)外した形になっていくのではないか」>(【ヘイトスピーチの現場】警察に配慮しデモコース変更 在特会など主催者 47トピックス(共同通信)8月8日付

まずしばき隊の目的は排外デモ終了後にレイシストたちによる新大久保周辺の飲食店、商店への嫌がらせ(お散歩)阻止であり、さらに6月30日をひとつのピークにした一連のカウンター行動が求めていたのは、「排外」の刃を直接突きつけられる在日、外国人が集まる新大久保でのデモ阻止であったのだから、これは完全にカウンターの勝利といえるだろう。
3月の時点で「お散歩」は実質的にしばき隊によって阻止され、さらに警備に囲まれながら駅まで誘導される「集団下校」が行なわれるようになっていたものの、「表現の自由」の名の下に新大久保のデモコースは維持され続けた。
それでも強行されるデモにはレイシストに対して執拗に直接抗議(という名の罵声、怒声)の声を上げると同時に、現場の警備にもデモの不許可を求め続けてきた。
勿論「どっちもどっち」の番人である警備にデモそのものを中止させる意思はないだろうが(有田芳生参院議員を先頭に数十人のカウンターが文字通り体を張ってデモのスタートを阻止し、中止を求めた6月30日にはその可能性があった)、デモを追走するカウンターには好都合な路地が多く、デモとカウンターによる攻防のメインストリートとなる大久保通りの狭い歩道で挑発が続くのは警備上にももはや限界があったのだろうと思う。2500人というのはそういう数である。
ひとまず新大久保からレイシストは排除された。

参院選を挟んでこの間に彼らが集団として新大久保に姿を現したのは、7月14日、新風の鈴木信行氏による新大久保駅前での街頭演説だった。これは鈴木氏が演説の中で話したように、この支持者絶無の新大久保駅前での街宣は「支持者のリクエスト」という実にふざけた理由で実施された。鈴木氏の演説の内容も、一般の通行人に広く支持を呼びかける「選挙中の候補者のそれ」ではなく、選挙演説という体裁ながら、まさにレイシストの支持者の「リクエスト」に十分応えた内容であったのは間違いない。もちろん街宣車の前に陣取った聴衆の半分はカウンターで、集まったカウンターに向かって鈴木氏は自ら中指を「リクエスト」した。それを合図に数十本の中指が鈴木氏に突きつけられた(どこからともなく飛んできた「八王子でも演説しろ!」という野次と共に)。野次を飛ばすこともなく黙って聴いていたカウンターだったが、リクエストなのだから仕方がない。

しかし新大久保から排外デモが排除されたとはいえ、参院選後も東京周辺では排外デモが繰り返し開催されている。
参院選の真っ只中の7月6日に渋谷で排外デモ<日韓国交断絶行動in帝都>を強行した主催者は、さらに参院選直後の7月29日に<反日極左と不逞外国人から川崎を護るデモ>を行なった。川崎駅東口周辺を「一周半」して、日曜日の休日で賑わう駅ビル前の広場で解散するという、実に頓珍漢なルートで、少数のカウンターに過剰警備を敷く県警に囲まれた挙句、一般人の視線に長時間晒された。
さらに今月4日に浅草で行なわれた<日本民族よ立ち上がれ! 拉致被害者全員奪還・国民大行進 IN 浅草>では、主催者のコントロールが効いていたのが、少数のプラカード以外は目立ったヘイトスピーチは行なわれなかったものの、やはり少数の問題参加者が相変わらずの行動を繰り返し、デモ終了後に中でも目立って(いつも通り)騒いでいた人物に対して当該デモの出入禁止を宣言した。

そして68年前、広島に原爆が投下された6日には広島と東京で<核武装推進デモ 支那・北朝鮮の核の脅威から我が国を守ろう!~>が強行された。慰霊式典に合わせた街宣、さらには市内でデモが行なわれる広島へは関西、中国地方のカウンターを中心に、関東からも多くのカウンターがチャーターバス(!)で広島へ乗り込んだ。
オレは東京のカウンターに参加し、東京駅から歩いて集合場所の萱場町の坂本町公園周辺へ向かう。
川崎、浅草の警備は機動隊を中心にしたかなり強固な(過剰な)警備が敷かれていたのだけれども、さすがに平日の、東京駅周辺のオフィス街ということもあるのか、今回は私服中心の警備体制。それでも20人程度のカウンターへのマンマークは川崎、浅草同様に厳しく、反対側の歩道に回り込まなければ併走はできず、同じ歩道を併走をしていたオレは、東京駅周辺ではデモ最後部がかろうじて見えるたびに、横断歩道で止められ続けることになった。
もうこうなると警備の皆さんとトークしながら追い続けるしかない。

確かに「核武装」を主張することは表現の自由なのだと思う。
それだけを取り出せば彼らの主張を支持する日本人も少なくはないだろう。しかし、やはりこの日にそれを主張するのはある種の悪意(ヘイト)を感じざるを得ない。彼らにとって核兵器でさえもレイシズムの欲求を満たすためだけのダシなのだ。「気に入らないもの、自分たちに反対するものはすべて反日、在日」と同じように、「気に入らないものを挑発する」ためだけに核武装は主張される。そしていつも通りの主張が、いつも通り繰り返される。この日も憎悪のコピペが繰り返された。
さすがに警備の方々も顔をしかめていたのは言うまでもない。
だからオレは「遊びでヘイトやってんじゃねえよ!」と叫ばずにはいられないのだよね。

広島で叫ばれた「被爆者特権」という、この日一番の醜悪なヘイトスピーチは東京ではさすがに確認できなかったという。
憎悪のコピペは絶え間なく繰り返されるのだが、いくらレイシストでもそれに付いていける人間ばかりではないだろう。
今日、長崎も68回目の夏を迎える。