徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

「ファーストネームのアーチスト」

2012-10-16 14:16:29 | Books


<最後に客席に質問が求められた。若い観客が次々と手を挙げる積極性も意外だったが、なにより驚いたのは誰一人「オノさん」と言わなかったことである。男女を問わず全員が「ヨーコさん」と親しげに呼びかけたのだ。(中略)そのとき私は思い出したのである。もう一人、みんなからファーストネームで呼ばれる芸術家がいたことを。ピナ・バウシュである。私の知る限りだれも彼女を「バウシュ」とは言わない。「ピナ」と言う。>

<展覧会のタイトルにもなった「YES」という作品は次のようなものである。天井に額装された紙があり、何か書かれている。その文字は小さ過ぎて床から見上げるだけでは読めない。観客は設置された脚立を登り、吊り下げられた虫眼鏡でやっと読むことができる。するとそこに「YES」という3文字がある。ジョン・レノンがこれに感動して小野洋子と親しくなるきっかけになったというのはよく知られた話だ。この作品の特徴は、観客が作者の指示に従って行動しなければ何も見えないという点にある。(中略)ささやかとはいえ自ら行動を起こし、身体的不安を克服してようやく発見したこの言葉は、観客にとって自分の一切を肯定する天の声のように思えるのだ。それは小野洋子という他人に肯定してもらったというより、内心でうすうす感じていたことが今ここではっきりと確認されたという感覚である。(中略)小野洋子の作品は一般に指示(インストラクション)という手法をとる。指示の内容は不可能なことを想像すること、あるいはささやかな行為を行うこと(中略)要するに観客は自分自身の想像や行為のプロセスの中で、自分が既に知っていた世界を再確認したという気になるのである。そして同時にこの仕掛けを作った小野洋子も同じ世界を見ていることを確信し、他人とは思えなくなるのである。>

<ピナ・バウシュのことを「ピナ」と言い、「ピナさん」と呼びかける理由もたぶんこれに似ているだろう。その作品を見ているとき、他人の思想や感情の表現を見ているという気がせず、むしろ自分自身の思想や感情を確認してしまうのである。たぶんそれは忘れていたもの、見ていながら見ぬふりをしようとしていたものなどを再発見し、再確認することである。>

<たぶん私たちは誰しも世界の変貌を経験している。それは受け入れがたい事件のせいかもしれないし、異常な環境のせいかもしれないし、回想や想像によって一瞬現実を飛び出しただけかもしれない。その後再び、私たちはこの世界で安定した自分を保って生きるために、それらの経験を忘れてしまう。ピナ・バウシュの舞台をそれを思い出させるのである。おそらくピナは何度も世界の終わりを、戦場の恐怖を、壁の中で大空を見る想像を、経験してきたのだろう。ピナの舞台を見るとき、観客は見馴れた社会の姿が消え、まるで戦場のような、あるいは廃墟のような世界が、あるいは薄っぺらな書き割りのような世界が現われるのを目にする。>

<私は、初めてピナ・バウシュの舞台を見た女性の友人の言葉を忘れることができない。彼女はこう言ったのだ。
「明日から私は、生きたいように生きるわ」>
(2004.7『ピナ・バウシュ・ヴッパタール舞踊団日本公演プログラム』/尼ヶ崎彬「ファーストネームのアーチスト―ピナ・バウシュとオノ・ヨーコ」より)

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