徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

「フェア」であるということ/静岡ダービーでの処分について思うこと

2013-11-08 21:46:58 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14
実に気分がどよーんとしている。
静岡ダービーでの出来事について清水ゴール裏の一部サポーターに対する処分について、である。
今季春の大不振では3月から6月にかけてゴール裏のサポーターを中心にフロントへの激烈な抗議と糾弾が続いたわけだが、先月の静岡ダービーでの「事件」に便乗してフロントが意趣返ししたような状況だ。

10月27日ジュビロ磐田戦に関するご報告(清水エスパルス公式)
試合時における横断幕の掲出について(清水エスパルス公式)

「迷惑行為」に及んだ一部サポーターグループには無期限の入場禁止処分、さらに無期限のサポーター活動(横断幕・フラッグ類の掲出や使用、当該グループに所属すると見られる衣服や装飾品を着用しての活動、その他弊クラブが当該グループとしての活動と判断する全ての応援活動)禁止処分』を科す、とある。
マナーやモラルに関する話題については、オレにとってはこれまでの磐田ゴール裏の所業を含めて「ゴトビ核爆弾に比べれば大したことはない」に尽きる。リーグを含めて、あの差別表現をナアナアで見逃しておいてマナーもモラルもあったものではない。
椅子(という名のヤマスタの老朽化したプラスチック板)破壊に関しては、「あれは椅子だ」と主張する以上はやらかした人間が弁済なり処分を受けるべきだろう。それは器物破損という罪なのだから仕方がない。
とにかく問題の当事者(個人)を認定し、しかるべき処分を下すだけならともかく規制が全体に及ぶのはナンセンスと言わざるを得ない。

しかし何よりも問題なのは、もはやトラブルをサポーター間で事を収めることなく、ダイレクトにクラブに対して無責任なクレームを入れ続ける一部のネットサポーターの問題だ。サポーター間のトラブルについてクラブはあくまでも第三者であるべきで、クラブはサポーターの管理者ではないのだ。しかし現場感のない連中は手っ取り早くフロントに処分させようとする。
彼らにとってサポートするということはその程度のことでしかない。
彼らはゴール裏を売った。その程度の価値しかないからだろう。腹立たしくて仕方がない。
降格寸前のストレスを解消して溜飲を下げたキミたち、もしくは同じ清水サポーターでありながら当該の一部サポーターを快く思わなかったために無邪気に規制を喜ぶキミたちは、一体サッカーから何を受け取って、何を学んだのか。

「フェア」を謳うフロントと社長には徹底抗議する。
ロコロコなど自分たちに都合がいいサポーターの熱狂は利用するくせに、都合が悪くなれば切り捨てるのではあまりにも都合がよすぎる。「フェア」であるということは、こういうこと(以下引用)である。

<いきなり大風呂敷を広げるようで恐縮であるが、人間にとって最大の悪は病いと負傷と死に違いない。そこで人間はそういう悪の恐怖から逃れそれらの危険を避けるために、たがいに寄り付き合い結ばれ合って、社会という共同体をつくった。そうしてそれぞれの力をひとつの権威に預け任せることを発明した。つまり人間は社会的な動物になったわけである。
 では、その人間たちの最大の関心事はなんであったか。意見はさまざまに分れるだろうが、私の考えでは、
「正義はきちんと行われているか」
 これにもっとも関心が集まっていたのではないかとおもわれる。そして正義の根本は平等にあった。(中略)実際綱吉という人物は奇妙である。その治世を二つに分ければ、前半期(天和-貞享)の彼は名君だったといってよかろう(中略)重要なのはこの時期の彼が掲げた政治原理で、それは、
「賞罰厳命」
 である。「刑罰の公平な割当て」が政治を刷新し、人心を活気づけたわけだ。(中略)忠臣蔵物語を、今も私たちが愛するのは、やはり不公平な世の中がつづいているからだろうか。>
(井上ひさし『イヌの仇討』文春文庫「日本の仇討」より)

今年の清水を取り巻く事柄について、いまだに公正な処分が行われていないから尚更腹が立つのだ。

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